金木 - Ⅳ

 芦野公園駅前に、旧駅舎を使った赤い屋根の喫茶店がある。芦野公園は、太宰が幼いころに遊んだというから、ぜひ行ってみたかった。電車がないので、店までは、キャリーバッグを引いて歩かなくてはならない。鎮痛剤を飲んだとはいえ、肩の調子が心配で、あきらめた。


 かわりに、斜陽館の近くにあるカフェに行くことにした。こちらも、行きたいカフェとして印をつけておいた。日曜日の昼どきだが、入れるだろうか。祈る気持ちで扉をひらくと、先客は一組だけだった。


 ログハウス調の建物で、天井が高い。ゆるやかな階段があり、奥は中二階となっていた。私たちは階段をあがって左手の席に案内してもらった。改装で壁を抜いたのか、梁や柱がむき出しだ。もとが民家だったとしたら、こまごました間取りのままでは、飲食店には向かないだろう。右手は四人がけで、もっともひろい席だ。壁には、可愛らしい棚がつくりつけてある。りんごにまつわる絵本や、太宰の本がならぶ。装丁がおしゃれな本を集めているようで、角川文庫が夏に発売する手ぬぐい風のカバーのもの、ピンクの表紙の英語版『人間失格』などが眼についた。


 ランチメニューはナポリタンとカレーの二種類だ。母は迷わずナポリタンをえらんだが、私はケチャップ味が苦手なので、カレーをえらんだ。サバが入っていて、エスニック風にスパイスを効かせたものだという。


 注文を終えると、お店の方が先客のテーブルを片づけにいき、カレーの味を訊ねた。客は、おいしかったと答えた。

「少し辛い味つけだから気になって。そう言ってもらえて安心しました」

 明るい声である。私は不安になった。お冷やのグラスに眼をやる。足りるといいけれど。


 もう、おおきな目的は果たした。ゆったりした気持ちで待つ私たちとは裏腹に、大忙しのようすだ。カフェは二人で回しており、料理ができるまでには少し時間がかかるという。キッチンが席から見えた。持ち帰りの注文も受けるのか、使い捨ての容器にナポリタンを詰めている。


「とうとう、買ったわね」


 椅子に置いた袋を見て、母が微笑んだ。透明なビニール袋に、薄い赤色の林檎がふたつ入っている。斜陽館の向かいにある道の駅で買ったものだ。ちなみに、店名は「産直メロス」だった。商店も兼ねた品揃えで、土産ものだけでなく、生鮮食品や基本調味料などもならぶ。


 なかでも意外だったのは、ボードン袋だ。ボードンは通称で、漢字では「防曇」と書く。野菜や果物を入れる袋で、農作業に出る私には見なれたものだ。袋に空気孔が空いているので、ビニール袋よりも水はけがよく、食品が腐りにくい。まさか、金木で出会うとは思わなかった。このあたりは畑も多いし、うっかり切らした農家が買いにくるのかもしれない。


 もちろん、林檎も売られていた。東京で買うより、はるかに新鮮で安い。ラベルに書かれた値段と出荷日を見て、なんとうらやましいことかと思った。荷物が重くなるのは避けたかったが、おいしい林檎に飢えている私は、買わずにいられなかった。それでも、持ちかえれるのは、たったの二個、あっという間になくなってしまう。食べるまえから、哀しくなった。この林檎に包丁を入れるときのことを想像する。きっと、切るのに力がいるだろう。おいしい林檎は、刃を入れると、ぐぐぐ、と抵抗がある。まずい林檎は、私の下手な包丁でも、あっけなく切れる。だから、食べないうちに味がわかる。


 林檎に思いをめぐらせているあいだに、カレーとナポリタンが運ばれてきた。まず、量は申しぶんない。食いしん坊の私でも、大満足である。付合せの野菜のおかずもたっぷり載って、種類も豊富だ。タンドリーチキンまで載っていた。サバの身を細かくほぐしたドライカレーは、緑がかった色で、パクチーの香りがする。辛さはたしかに強かったが、覚悟していたほどではなく、味わいながら食べすすめた。スパイスの風味もいい。


 ナポリタンは、甘みが強く、昔ながらの味わいだったそうだ。母の口には、合ったようである。

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