終
新青森駅では、みやげもの屋をひやかした。時間に余裕があるかわからなかったため、最低限、必要なぶんのおみやげは、弘前駅で買ってあった。ラグノオという菓子店のアップルパイや、アップルスナックという、スライスした林檎を揚げたお菓子などである。
棚のあいだをぶらぶらしていると、見覚えのある意匠の箸がずらりとならんでいた。津軽塗とある。驚いた。この箸、うちにある。数年まえ、蚤の市に出店していた古道具屋で買ったのだ。赤い地に黒いうねうねした模様が不思議で、持ってみると、つるつるして心地よい。お気に入りだった。たたき売りの品だったので、いわれを何も知らなかったが、津軽のものだったとは。
こぎん刺しのヘアゴムに眼が留まった。黒いヘアゴムに、くるみボタンのような飾りがついている。デザインはばらばらで、黄色地に赤い模様のものを買うことにした。しおりもあった。こちらも、黄色いものをえらんだ。
最後に、書きそえておきたいことがある。方言についてである。旅行のあいだじゅう、人々の言葉に耳をすましていた。わずかに濁って聞こえる「か行」の発音や、ゆるやかな波を描く抑揚が、懐かしい。たとえ縁のない土地を訪れても、方言を耳にすると、懐かしいのだ。
幼いころ、私はいくつかの土地に住み、それぞれの場所で、それぞれの言葉を話した。いまでは、すっかり忘れてしまった。住んでいた家は賃貸だったし、あのころの友だちが何をしているか、まったくわからない。せめて言葉だけでも、と真似てみたとしても、使えなくなった呪文のようで、なんにもならない。
旅行から、一ヶ月が経つ。原稿に向かっているあいだは、旅がつづいているようで、訪ねた町のことを思いださない日はなかった。こぎん刺しのヘアゴムも、すっかりお気に入りとなった。道の駅で買った林檎は、半分ずつ、四日かけて食べた。おおきく、みずみずしく、甘かった。太宰治全集は、ほかの本の合間に引きつづき読みすすめ、ようやく半分を越えた。
いま、東京は短い秋を過ぎ、急ぎ足で冬を迎えた。コートに袖を通して街を歩くようになり、気づくと、十月の青森とくらべている。きょうは、あの日より寒いだろうか。おぼろげである。でも、ふたたび訪れたら、必ず思いだすだろう。冷たい床板、風にふるえるガラス戸の音、新幹線から降りたときの、鼻先の冷たさを。
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