金木 - Ⅰ
眼が覚めた。部屋は暗い。時刻は四時過ぎだった。右の首筋から肩甲骨にかけて、痛みが点滅するように走る。内心で舌打ちした。合わない寝具で眠ると、すぐに身体を痛める。今回は、枕が合わなかったらしい。なんとか寝なおせないものかと、痛みが走らない体勢を探してうごめいていると、母が気づいて起きた。どうしたのか、どこが痛いのかと訊ねる。
「うるさいな。いま痛くないところを探してるから、ほっておいて」
うるさくして母を起こしたのは、私である。
けっきょく、一睡もできなかった。あきらめて支度を済ませ、鎮痛剤を飲んで過ごすことにした。母のキャリーバッグのほうが軽かったので、私のものと交換して持つことになった。母もずっと肩を痛めているので申し訳なかったが、翌日は仕事で畑に出なくてはならず、お願いすることに決めた。八時半すぎにホテルをチェックアウトして、弘前駅に向かう。
この日、青森の最高気温は十二度で、東京の十二月に匹敵する気温だった。が、翌日は二十度まであがったということなので、私たちが旅行した二日間だけが、異様に寒かったらしい。季節が二ヶ月も早送りになり、寒さがよけいに堪えた。ダウンコートを着こみ、首にはマフラーを巻いた。セーターを持ってきて、よかった。
五所川原駅まで、リゾートしらかみ号に乗る。津軽鉄道に乗りかえ、金木駅には十時ごろ着く予定だ。母が見事な旅程を立てたおかげで、五所川原駅では待たずに乗換えができる。五所川原も見てまわりたかったが、あいにく、二時半の新幹線で東京に帰らなければならない。
ホームにすべりこんできたリゾートしらかみ号は、窓のおおきい電車だった。以前、飛騨高山で乗った特急ひだに似ている。私たちが乗るひとつうしろは、ファミリーレストランのボックス席のような車両だった。テーブルがあれば、トランプやすごろくも遊べて楽しそうだ。乗車後に流れたアナウンスによれば、人形浄瑠璃や津軽三味線を車内で楽しめるらしい。五所川原駅を発車後に催されるとのことで、残念ながら鑑賞はかなわなかった。
弘前駅を出ると、窓の向こうを、林檎畑がいくつも通りすぎた。緑のなかにぽつぽつと、淡く赤い点が散らばっていると思うと、遅れて、林檎とわかる。林檎畑だと気づいたときには、うしろに行ってしまう。住宅街に差しかかると、小さな女の子と母親がならんで歩いていた。女の子が、電車を指さして何か言った。
五所川原駅では、乗換えを数分で済まさなくてはならない。駅名の掲示を大急ぎで写真に撮り、階段をあがった。津軽鉄道のホームに降りる手前に、ガイドの女性が立っている。切符を買う必要はないので、電車に乗って待っているように、と津軽訛りで案内した。ホームには、鼻先に「走れメロス」というプレートをつけた電車が停まっている。雪のなかをずんずん走るメロスを想像してみる。足が冷たくて、俺はもうダメだと泣きだすかもしれない。太宰にあやかった店名や商品名には、メロスが採用されることが多いようだ。作中の人物名で印象的に残るものと考えると、白羽の矢が立つのもわかる。
私たちが行ったのは十月半ばで、まだ雪も降っていなかった。ガイドの方によると、冬は雪よけの車両を先頭につけて走るという。車両はホームを挟んで向こうがわに停まっていた。車体が真黒く塗られているから、雪景色のなかで、よく目だつだろう。
電車には、さきほどホームに立っていたガイドの方が同乗した。私は、社会科見学でも修学旅行でも、バスガイドの話をまったく聴かない生徒だった。歴史的建造物が右を通るの、左に有名な山があるのといっても、ただ通りすぎるだけだ。民家の面構えや、知らない店の看板などを眺めるほうがおもしろい。友だちと話すと怒られるのも、気に入らなかった。景色を指さして、あれはなんだろうと言いあうことが楽しいのに。修学旅行で沖縄に行ったときは、隣に座った子と、シーサーの数を小声でかぞえていた。
ガイドさんは途切れることなく案内を述べる。車内には、津軽鉄道の各駅を描いた水彩画が飾られていた。元美術教諭の駅長が描いたものだという。私は学生時代と同じく、ほとんどを聞きながした。シャッターチャンスだと言われても、携帯電話を出すこともせず、黙って座っていた。
[「や! 富士。いいなあ。」と私は叫んだ。富士ではなかった。津軽富士と呼ばれている一千六百二十五メートルの岩木山が、満目の水田の尽きるところに、ふわりと浮んでいる。実際、軽く浮んでいる感じなのである。したたるほど真蒼(まっさお)で、富士よりもっと女らしく、十二単の裾を、銀杏の葉をさかさに立てたようにぱらりとひらいて左右の均斉も正しく、静かに青空に浮んでいる。]
私が津軽鉄道に乗ったときは曇り空で、岩木山の頂には雲がかかっていた。線路沿いの風景は、太宰が生きていたころと、どれほど変わっているのだろうか。民家ばかりで、目だつ建物はなく、ほとんどが農地だ。金木駅が近づいてきた。ガイドさんが左斜め前を指し、あの赤い屋根が斜陽館だと言った。このあたりでは、いまもなお、もっともおおきな建物らしい。
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