弘前 - Ⅲ

「ホタテの貝焼きですね」


 ふすまを開けて、若い女性の店員が皿を置く。長い金髪をうしろでひとつに結っていた。頬にはそばかすがまばらに散っており、嬉しくなった。私は、そばかすができやすい。


 さびれたアーケード街にある居酒屋に、夕食を食べにきた。引き戸をあけると、にぎやかな声があふれた。アーケード街の静けさが嘘のようだ。人気の店らしい。ひとつきまえ、母が予約を取ろうと電話したら、七時半より早い枠は埋まっていた。席はすべて掘りごたつの個室で、通路を挟んだ向かいの部屋では、学校の先生たちが宴会をしている。教頭とか先生とか呼びあう声が聞こえてきた。


「カヤキだ。ほんものだね」


 おおきなホタテ貝の貝殻が、さらにおおきな皿のうえに載っていた。貝殻に、卵や味噌、ホタテなどの具材をそのまま載せて焼いた料理だ。私には塩気がやや強く感じられた。とはいえ、酒のあてだから、このくらいがちょうどいいのだろう。『津軽』に、知人の同僚であるSさんの家で、カヤキを出してもらう場面がある。太宰によれば、カヤキは「貝焼き」が訛ったものらしい。Sさんが、連れてきた太宰をもてなそうとするところは、笑いなしでは読めない。


[「おい、東京のお客さんを連れて来たぞ。これが、そのれいの太宰って人なんだ。挨拶をせんかい。早く出て来て拝んだらよかろう。ついでに、酒だ。いや、酒はもう飲んじゃったんだ。リンゴ酒を持って来い。なんだ、一升しかないのか。少い! もう二升買って来い。待て。その縁側に掛けてある干鱈(ひだら)をむしって、待て、それは金槌でたたいてやわらかくしてから、むしらなくちゃ駄目なものなんだ。待て、そんな手つきじゃいけない、僕がやる。干鱈をたたくには、こんな工合いに、こんな工合いに、あ、痛え、まあ、こんな工合いだ。(中略)待て、食うものが無くなった。アンコーのフライを作れ。ソースがわが家の自慢と来ている。果してお客さんのお気に召すかどうか、待て、アンコーのフライとそれから、卵味噌のカヤキを差し上げろ。これは津軽でなければ食えないものだ。そうだ。卵味噌だ。卵味噌に限る。卵味噌だ。卵味噌だ。」]


 さて、もう一品、気になっていたものを食べた。筋子のおにぎりである。私は筋子を食べたことがなかった。太宰は、筋子納豆といって、筋子と納豆をごはんにかけて食べるのが好きだったらしい。青森の人にとっては、当たりまえの食べかただという。私は納豆が苦手で、とはいえ健康のために食べなくてはと、ほとんど薬のつもりで、ふだんの食卓にならべている。むろん、旅先では、健康など二の次、三の次である。


 母と私とで一個ずつ注文したところ、運ばれてきたものを見て、絶句した。おおきい。飯椀二杯分はあろうか。〆として食べるつもりだったので、満腹に近い胃には、厳しい量である。


「おおきいって教えてくれればいいのに」


 母はこぼした。ふだんの食事で米をあまり食べない私たちには、よけいにおおきく見える。とはいえ、つくってもらったものは食べようと、めいめい手を伸ばした。指先にじんわりと熱が伝わる。ひとくち、かじってみた。まだ、筋子に届かない。三回めで、ようやく赤い姿が見えてきた。いくらにくらべて、塩気は薄い気がした。無心で食べすすめるうち、手のなかの米はどんどん減っていき、けっきょく、ふたりとも食べきってしまった。おにぎりは、不思議な食べものだ。眼のまえにすると、とても食べられないと思う量でも、まだ大丈夫、まだおいしい、と食べているうちになくなる。


「メインは明日なのよね」


 帰り道、母が思いだしたように言った。ああそうか、と声が漏れる。金木の斜陽館に行くつもりで、青森旅行を決めた。弘前をあちこち巡るだけでも、じゅうぶん楽しんでしまった。


 明日も早い。冬のにおいのする弘前を足早に歩いて、私たちは宿に戻った。

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