弘前 - Ⅰ
東京駅を八時四十八分発の新青森行きに乗った。土曜日とあって、新幹線は満席らしい。陽の光がホームいっぱいにあふれている。これから、雨の弘前に向かう。東京は晴れ、最高気温は二十九度の予報だという。
駅構内は、キャリーバッグを引く人、子どもを連れた家族などで大混雑だった。ホームにあがって待合室を覗いたら、窓に沿った端の二列はすでに埋まっていて、真ん中の列にわずかに隙間があるきりだった。私と母は、キャリーバッグの車輪を注意ぶかく転がして進み、席に腰かけた。向かいの窓から、連結された新幹線が見えた。赤色と緑色の車体である。めずらしいことなのか、まえを通る人が写真を撮っていく。小さな男の子が新幹線の前に立ち、両親に笑顔を向けた。
母が飲みものを買いに出た隙に、本をひらいた。さきほど、全集の二巻を読みおえたと書いたが、じつは旅行の一日目にやっと読みおわったのである。一日めは弘前を見てまわり、斜陽館には二日めに行く予定だ。まだ間に合う。
東北新幹線は久しぶりだ。幼いころは、福島県の郡山というところに住んでいたので、東京生まれの母の実家に帰省するときは、よく乗ったものだ。きょうは、郡山には停まらない。旅行先には、関西や九州をえらぶことがほとんどだった。すりガラスを介したような冬の弱い日差し、部屋のなかで聞く風のうなり声など、厳しい冬の記憶が、私たちを雪国から遠ざけていた。
天気予報で見たとおり、北へ向かうほど、空が曇ってきた。ゆうべ、布団に入るのが遅かったこともあり、本を読んでいるうちに眠くなってきた。降参して、しおりを挟んだ。私は首がやわらかく、座ったままで眠ると、姿勢がおおきく崩れる。首の痛みで眼を覚ましては、また眠る。何度めかで、頭をあげた。おろしていたカーテンを、ゆっくりとあげてみる。過ぎていく景色を見たところで、どこを走っているかはわからない。眠気にくもった瞳で眺めていると、ふたつならんだガスタンクの片方に、ふくしま、という文字が見えた。たちまち、眼が冴えた。携帯電話で地図をひらき、現在地を示す青い点の位置を確かめる。郡山からは、もうずいぶん離れてしまっている。きゅうにつまらなくなり、カーテンをおろした。
仙台駅を出発すると、母は座ったままで伸びあがり、うしろを窺う。
「ずいぶん空いたね」
ほとんどの人が降りてしまった。あとの停車駅は八戸と新青森を残すだけだ。満席というから驚いたが、必ずしもみんなが終点まで乗るわけではないことを忘れていた。
今回の青森旅行が決まって、弘前と金木以外の町についてもしらべてみた。八戸には、八戸ブックセンターという市営の書店がある。読書会専用の部屋や、執筆のためのデスクがあり、イベントもたびたび行われるようだ。青森市の青森県立美術館、三内丸山遺跡にも訪れてみたい。地図上の位置を大ざっぱに言うとすれば、弘前は青森の左側、金木は左上、八戸は右側にあり、一度の旅で回るのはむずかしい。ちなみに、『津軽』は県内の左上を旅して書かれた。
新青森駅には、十二時ちょうどに着いた。同じ車両で、終点まで残っていた乗客は、ほかに二組だけだ。ホームに出ると、鼻先が冷たくなった。ブラウスにジャンパースカートを重ねて、足元はタイツとブーツで固めている。上着は、裏地のないコーチジャケットだ。青森の気温を横眼に服を決めたのに、寒い。東京では少し暑いくらいだった。
新青森から
いっぽうで、身体は、底に沈んでいた記憶を一瞬で呼びもどす。
郡山の風は強かった。きんと冷えた空気に頬をさらしながら、眼をすがめて歩いた。家の扉には触るなと、きつく言われたものだ。叩きつける勢いで閉まるので、もし指でも挟んだらと思うと、子どもながらに怖かった。当時の私が全身を押しつけても、風の力がはるかに勝り、扉はびくともしなかった。
観光客の多くは青森方面に向かうらしく、反対側に停まった電車にぞろぞろ乗っていく。走っても走っても、窓の外は畑ばかりだ。空は灰色に曇り、駅に停車するたび、霧雨が風に流れるのが見えた。ただ、予報で見たような大雨ではない。
三十分ほどで弘前駅に着いた。時刻は一時を回っていた。改札を出ると、おおきな林檎のオブジェが私たちを迎えた。弘前は、林檎の産地で有名である。幼いころから、林檎は大好きだ。私が食べられる果物は、林檎、ぶどう、みかんの三つきりで、秋と冬にしか果物を食べない。このあたりでは、林檎の無人販売があると聞いた。青森の子どもだったら、学校からの帰り道にかじりながら歩きたい。弘前市内には、林檎狩りを楽しめる公園もある。林檎好きとして行かない手はない、と言いたいところだが、今回は時間がなかった。足早にホテルに向かう。さいわい、早めに部屋に入れてもらうことができた。荷物からダウンコートとマフラーを出す。これで、ひと安心である。
昼食は、弘前れんが倉庫美術館内のレストランにあたりをつけていた。レストランと美術館は、それぞれべつの建物で、倉庫を改装してつくられている。入って左側にミュージアムショップがあった。いちばん奥の壁はガラス張りで、向こうがわに、シードルをつくるためのタンクが数台そびえている。天井は高く、席のあいだもひろい。テーブルがギチギチにならべられた店にうんざりしている身としては、息ができてありがたかった。東京に住んでいるが、ふだんは多摩地区から出ない。職場も自宅も郊外となると、都会には用がないのである。いくら便利だの雰囲気がいいだのと言っても、都会のレストランは席が狭いし、何よりいつも混んでいる。食いしん坊の私からすれば量も少なく、そのくせ高い。
ガイドブックで見たプレートランチは、すでに売切れのようだった。鶏肉のコンフィにサラダとスープのセットをつけて、飲みものを頼んだ。母はシードル、私はアップルソーダである。私は酒をほとんど飲めない。具合が悪くなるのがいやで、飲まないでいるうちに、五年くらい経ってしまった。アップルソーダには甘みがなく、林檎の豊かな香りを楽しめる。母のシードルをひとくちもらったところ、似たような風味だったが、よく注意するとアルコールの香りがした。度数は、かなり低い。
スープは、とうもろこしのポタージュだった。塩気はさほど強くなく、とうもろこしの甘みが最後にほんのりと香る。おいしい。青森は、とうもろこしも名産で、弘前駅で売られているのを見た。じっくり味わって食べたかったのに、お腹が空いていて、ほとんど一気飲みしてしまった。鶏肉のコンフィは、骨つきのチキンステーキと似ていたが、皮に焼きめがついていない。油脂に材料をひたして、低温でじっくり火を通す料理だという。フォークとナイフで切ってみると、たいして力を入れなくても、骨から肉が取れた。しっとりした舌ざわりで、噛むとほろほろと身が崩れる。付合せの野菜もみずみずしく、グリルした大根が、とくにおいしかった。
美術館内の展示も見たかったが、ほかの場所の閉館時刻を考えると、あきらめざるをえなかった。入口に鎮座する、奈良美智の『あおもり犬』だけ、鑑賞した。
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