冬の記憶
風待葵
序
出発の前々日、弘前は大雨予報だった。爪を赤く塗った。
旅先を青森に決めたのは、旅行好きの母に、いつか斜陽館に行きたいと話したことだった。斜陽館とは、青森県の金木にある、太宰治の生家だ。太宰は大地主の家の生まれで、生家が洒落にならないおおきさなのである。津島家(太宰の本名は津島修治)が没落して屋敷を手放したあとは、旅館として使われたという。旅館にできる家となると、もはや、家と呼ぶのはためらわれるほどの規模だ。写真を見てみた。たしかに、何も知らずに見たら「なんか古そうな旅館ね」と答えるであろう佇まいだった。立派な赤い屋根が載った、レンガ造りの豪邸である。外壁が画角の外にまで延びている。
母は腰が軽く、私が行きたいところをぽろっと言うと、観光情報や道のりなどを調べあげて連絡をくれる。行くなら冬が来るまえでなければ、という話になり、十月の土日に一泊二日することに決まった。九月のはじめくらいだったと思う。
太宰が好きだったわけではない。ただ、小説を書いていることだし、玉川上水の近所にある学校に通っていたこともあるし、なんとなく、気にかかる存在だった。まじめに読まなかったくせに、それが、どこか後ろめたかった。
母は、どうせ行くならと太宰の作品を読みはじめた。もともと、読書が好きな人である。青森に関係のある作品からと、『津軽』に手を伸ばした。追いつこうと、私も読みはじめた。恥ずかしながら、読んだ覚えがあったのは「走れメロス」と「女生徒」くらいだ。ところが、部屋の本棚を探してみると、太宰の文庫本が八冊ほど出てきた。きれいに忘れていた。
いい機会だ。ちくま文庫から出ている全集を買って、少しずつ読んでいった。短編が多いことがさいわいして、読んだ作品を母と教えあい、感想を話すことができた。出発前に読めたのは、全集四巻ぶんと、青空文庫などで気まぐれに読んだ数篇だ。全集には、好きなところから手をつけたので、一、二、三、七を読んだ。青森に関するものでは、「思い出」と『津軽』は読んでから行くことができた。
太宰は、文章が抜群に上手い。読んでいて嬉しくなる。世の中の文章、たとえ小説家の手になるものであっても、一気に読んで、ああ楽しかった、おもしろかったと思うことはめったにない。つっかえたり、違和感を覚えたりして、気がそれる。上手い書き手の文章は、読みつかれることがない。声のいい歌手みたいなものだ。外国の歌手で、歌詞がぜんぜんわからなくても、声がよくて歌が上手かったら、いつまででも聴いていられる。
女性独白体の短編、魯迅の青年時代を描いた『惜別』、『御伽草子』など、作家本人から少し距離のある作品が好きである。本人に近いところの話なら、なんといっても、『津軽』がいい。おかしくて笑っちゃう、と涙をふいたあと、寂しい風がすっと胸を過ぎていく。
案内が遅れたけれど、『津軽』は、作者が故郷の青森の町をめぐる作品である。今回の私の旅行は、それよりもずっと短いし、訪れた場所も弘前と金木だけだ。
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