髭の先生
風馬
第1話
「今日で君たちに講義を教えるのが、最後になってしまった。」
その一言が教室に響いた瞬間、静寂が支配した。窓の外では風が軽やかに吹き抜け、鳥たちのさえずりもどこか遠くから届くように感じられる。しかし、その平穏な空気とは裏腹に、教室内では生徒たちの動揺がひしひしと伝わってきた。
教師の言葉は続く。
「先生は、明日義兵隊の募集に応募する。君たちもこれからは自分の道を歩みなさい。」
教壇に立つその人物、髭の先生と呼ばれる彼は、穏やかな顔立ちの中に決意のようなものを秘めていた。だが、周囲の生徒たちにはその決意が到底受け入れがたいものに映った。誰かが、何かを言おうとしたその瞬間、すべてが凍りついたようだった。
「先生、待ってください!」
一人の生徒が飛び出すようにして教壇に駆け寄った。彼の顔は青白く、目の奥には強い不安が漂っていた。その生徒は、いつも先生の教えを真剣に受けていた。今、その目はただ一つの問いを投げかけていた。
「先生、どうして戦争なんかに行ってしまうんですか?私たちはまだ、あなたの教えを受けたいのです。このまま、先生として私たちを導いてください!」
その声には、無意識のうちに強い訴えが込められていた。それが、他の生徒たちにも波紋を広げる。多くの生徒たちがその言葉に耳を傾け、沈黙を守っていた。しかし、髭の先生はしばらく黙ったまま、ゆっくりと顔を上げ、やがて静かな声で答えた。
「何故かって、それは早く戦争を終わらせたいからさ。君だって、戦争が続けば、どれだけ多くの命が失われるか分かっているだろう。私だって戦争なんて嫌だ。だが、今はその覚悟を決めなければならない。」
生徒はその言葉にしばらく言葉を失った。彼が見上げる先には、髭の先生の表情がしっかりと見えた。普通の教師なら、目をそらしてしまいそうなその眼差し。だが、先生はしっかりと前を見据えていた。彼の言葉には、戦争に行くことで何かを変えられる、何かを守れるという信念がにじんでいた。
「戦争が終わったら・・・戻ってきてくれますか?」
その問いは、生徒の心から自然に溢れ出たものだった。先生が戻ってくると信じて、彼は目を輝かせた。しかし、先生の答えは一つだけだった。
「必ず。」
その言葉を最後に、髭の先生は教壇を降り、静かに教室を出て行った。その背中が遠ざかるたびに、教室の中はただただ重い空気に包まれていった。
数十年が過ぎた。長かった戦争はついに終結を迎えたが、先生が戻ることはなかった。生徒たちは、幾度も期待し、そして、幾度も待った。しかし、あの日の約束は果たされることなく、無常にも時の流れに消えていった。
それでも、先生のことを忘れることはなかった。むしろ、先生がいなくなったことで、彼の存在はますます大きくなっていった。人々は先生を思い、先生が教えてくれたことを胸に、各々の人生を歩んでいった。そしていつしか、先生の名は神格化され、伝説となった。
髭の先生が生きた時代の教訓は、後の世代にも語り継がれることになった。戦争の悲劇を二度と繰り返さないために、何かを変えるために立ち上がる勇気を持つこと。それが、先生が遺した最も大切な教えだった。
そして、先生が残した信念は今も生き続け、人々の心に根強く根付いている。彼の意志は、戦争が終わった後も変わることはなかった。神になった先生の姿を、今もなお人々は崇め、その教えを大切にしている。
年老いた生徒は、どこかで先生の姿を感じながら、今日も戦争の記憶を胸に生きている。先生の約束は果たされなかったが、それでも彼の心には、あの約束が確かにあったことを信じ続けている。
「先生、私たちは忘れません。」
その言葉を、誰もが心の中で呟くのであった。
髭の先生 風馬 @pervect0731
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