2029.12.31 19:20 Japan

 時計が19時1分を差した。


 世界は、何事もなかったかのように元に戻っていた。

 塵となった雲散霧消うんさんむしょうしたはずの高層ビル、消失した意識、多くの者が直前の姿のまま戻ってくる。

「……あれ?」

 しかし、全員の記憶の中にある恐怖。

 自分達は宇宙……世界の崩壊を経験したという事実。

 何もかもが潰され、自分もまた潰れたという事実の認識を共有していた。

 ただ、それを口にする者はほとんどいない。

 それを口にしたが最後、先程経験した事実をもう一度知覚するのではないかという恐怖があるからだ。



 もしかしたら、自分達が見たのは悪夢だったのでは。

 世界が崩壊したなんて何かの間違いではないかと思った瞬間、再び現れた。

 先程世界の終焉を宣言した、ツインテールの少女が。



 世界でもっとも早く2030年を迎えたキルバス・ラエン諸島が0時15分になった。

 ニホン時間では12月31日の7時15分である。

 世界中の液晶ディスプレイに『知恵の使徒』を名乗った少女の顔が映る。

 今回は視線を逸らす者も、電源を切ろうとか別のページにしようという者もいない。

 全員、不安げな顔で見つめている。

『時差的にまだの人達が多いけれど、人類は2030年を迎えることができたようだわ。良かったわね』

 全く他人事のような言い方である。


『色々聞きたいことがあるように見えるけれど、みんなもあまり私がダラダラ時間を奪うのは嫌でしょ? だから1つや2つの質問を……あら、官房長官が話を希望しているようね』


 液晶画面が二分された。一つにはツインテールの知恵の使徒が、反対の画面には内閣官房長官色本耀平しきもと ようへいの焦燥に満ちた表情が映し出される。

 色本が強い口調で問いただす。


『君は一体何なのだ!? 何の目的でこんなことをしている?』


 知恵の使徒は相変わらずの無表情な声質だ。


『……私が何かについては既に一時間前に語っているわ。2度説明する必要性を感じないわね。続いて何の目的かという質問だけど、これは質問の意図を理解できないわ。私達は何らかの目的のためではなく、単に起きうる事象を説明に来ただけ、なのだから』

『……も、もうこのようなことは起きないのか?』


 それは官房長官のみならず、全員が知りたい質問である。


『……当面起きないことは保証するわ。ただし、最終的に確定したわけではなく、同じような偽の真空からの解放は今後も起きうることでしょう。その時、今回のようにラグナロクチェンジャーが働くかどうかは神のみぞ知るとしか言いようがないわね』


 色本は視線をメモに移した。官僚から聞きたいことをまとめておかれたのだろう。


『解決のためにニホン政府ができることはあるのか?』

『……ないわ。ニホンだけじゃないわ。世界中、どの国にもどうしようもないのよ。既に説明した通り、宇宙定理に関することなのよ。自分達に宇宙の真理に挑む資格があるとでも? 何個か質問してあげましょうか? 必要なら官僚の力を借りてもいいわよ』


 そこまで言って、知恵の使徒は何かに気づいたような顔をした。


『あぁ、それでも、今後のことを説明する必要はあるわね。今回のことは宇宙の事象に関することだから、基本的には人類にはどうすることもできないことよ。全てはラグナロクチェンジャー次第だけど、これは非常に不確定な要素だからね』

『ラグナロクチェンジャーというのは何なのだ?』

『くどいようだけれど、貴方達は自分達に宇宙の真理に挑む資格があるとでも?』


 知恵の使徒の鋭い問いかけ。官房長官は完全に押し黙った。


『話が逸れたわね。この件については、人類にも私達にも手出しできない領域よ。だから、どうしようもないわね。

 ただ、これを助長した要素及び現在進行形で進みうる滅亡要素については、私達に対処可能と結論づけたので、世界終焉調査機構と一部有志とで対処させてもらうこととするわ。貴方達の活動を直接的に邪魔することはないから安心してちょうだい』

『そ、それはどういうことなのだ? 有志というのは誰なのだ? そもそも世界終焉調査機構というものはどういう組織なのだ!?』

『……タイムオーバーね。これ以上皆の時間を奪うのは本意ではないから、楽しい時間をお返しするわ』


 先程と同様、知恵の使徒は勝手に話を打ち切り、軽くウィンクする。


『それでは皆さん、ハッピー・ニュー・イヤー。楽しい1年を』


 そう言って、彼女は再びあらゆる端末から消えた。

 そこから2度と現れることはなかった。



 茫然とする官房長官。

 そこに電話やメッセージが飛んできて、メディアや議員などが色々な質問を浴びせかけるが。


「やりとりは見ただろう!? 私に何を説明しろと言うのだ!」


 官房長官がキレた様子で文句を言う。

 実際、やり取りから分かったことはほとんどない。

 辛うじて分かったのは、再度、世界消滅の可能性がありうるということ。

 今度は阻止する機能が働かないかもしれないこと。

 それ以外にも世界が消滅する要素があり、それについては世界終焉調査機構が勝手に動くということだ。



 知恵の使徒が消え去り、世界は平穏を取り戻しはしたが、当然に同じ思いではいられない。

 多くの者は何が起きたかを知りたがり、必死にネットやSNSを探した。そうして僅かな時間にも幾つかの情報が分かった。

 知恵の使徒はニホンでは、官房長官と会話をしていたが、どうやら同じタイミングでそれぞれの国の代表とも言える存在と話をしていたようだ。

 質問内容は微妙に違うものの、答えはほぼ同じらしい。

 これにより、知恵の使徒と呼ばれる存在はある種のAIのようだと結論づけられた。当然、そうしたAIの存在を探すことになるが、これは一筋縄ではいきそうにない。


 不安は残る中、キルバス東部に続いて多くの地域が2030年を迎えていく。

 不安ながら、新しく、希望を抱きたい1年を。


 しかし、新年となっても絶望に満ちた者がいた。


「悠ちゃん、悠ちゃん!」


 時方唯は必死に声をかけていた。

 絶望と終焉を味わったはずの唯の世界も、一瞬の後、再生された。

 しかし、彼女にとっての完全な世界はそこにはない。

 双子の弟・悠が完全に意識を喪失したまま、その場で眠り続けていたからだ。

 声をかけても揺すっても微動だにしない。呼吸の音は感じるから、死んではいないようだが、どんな状態かもはっきりしない。


「誰か、悠ちゃんを助けて……」


 唯の悲痛な呟きは、年末の夜に溶けて消えていった。

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