第六巻
第21話 リエーテの優しさ
伝記コーナーでルーダを見つけた後、ロゼットは自分が必死こいて翻訳した論文を読むために三人が待つ部屋に戻ってきた。
「あっ、アメラさん。割と早く戻りましたね。」
あろうことか、三人はロゼット抜きで勝手に論文を読み始めていた。それだけでも複雑な気分になったと言うのに、リエーテはこう続けた。
「アンタ字が汚いんじゃないのかい。読みにくいったらありゃしないよ。」
「リエーテさん、流石にそれは…」
リエーテの我儘とも取れる態度にルーダが呆れていると、ロゼットの手はワナワナと震えていた。わざわざ頼まれて長い時間をかけて翻訳したと言うのに、感謝どころか字にケチを付けられたのだから、当然のことだ。
バシン!ロゼットはリエーテが持っていた論文をはたき落とした。リエーテは言い返そうとしたが、ロゼットの放つ殺気にのけぞってしまった。この時はリエーテが人生でも一、二位を争うほどの恐怖を感じた時間だった。彼の顔を見ると、本当に自分を殺すつもりなのではないかと思ってしまう。
ロゼットはそれ以上何も言わず、部屋から出ていった。乱暴にドアを閉める音がした後、リエーテは独り言をつぶやいた。
「ロゼットって…怒るとああいう感じなのか…」
それに続き、リシュアはポツリと言った。
「アメラさんが怒っている所…初めて見たかも…」
リシュアはこの中では最もロゼットとの付き合いが長いが、それでもロゼットが怒っている所は見たことがなかった。大体は何か一悶着あっても、しっかり謝れば苦笑いで済ませていた。そのロゼットが、物に当たる程怒っている。その事実が何よりリシュアの恐怖を掻き立てる要因となった。
三人の軽薄な行為が招いた結果だが、主な要因はリエーテにある。本人も、自分が謝りに行かなくてはならないとわかっていた。しかし、何故あそこまで怒っているのかが理解できない。人の欠点をハッキリと指摘してもらえるのは嬉しいことであり、自分の能力の活用場所を与えてくれることも感謝すべきことだというのに。
「リエーテさん、アメラさんに謝りに行きましょう?」
「…ごめん、まだ、無理。」
リシュアは少し勘違いをした。リエーテは、まだ自分は悪くないと思っているのだろうか。まだロゼットが勝手に怒って勝手に出ていったのだと思っているのだろうか。もしそうなのだとしたら、自分は一生リエーテを好きになれない。考えるほど思い込みは激しくなり、リシュアはリエーテの心を理解しようとすることは出来なかった。
リシュアが一人でロゼットに謝罪しに行こうとした時、何を思ったかルーダはリエーテの隣の席に座った。リエーテは不思議そうにルーダを見つめる。彼はリエーテに対し怒りも呆れもせず、静かに話し始めた。
「リエーテさん、何故ボク達が謝らなければいけないのか分かりますか?」
「…アタシがロゼットを怒らせたからだ。」
ルーダは小さく頷き、話を続ける。リシュアは立ち止まり、二人の会話を聞くことにした。
「何故ロゼットさんが怒ったのか分かりますか?」
「…わからない。」
ルーダは淡々と話をしており、そこには一切の私情はなかった。しかし、不思議と怖くはなかった。その一方、リエーテは真面目な顔で話を聞いている。
「リエーテさんの直すべき点は『物の言い方』です。自分が気が付かなかった短所を教えてくれる人は貴重ですし、大切にすべきだとボクも思います。それでも、棘のある物言いでは素直に言葉を受け入れられないこともあるんですよ。」
「でも、言いたいことはハッキリと言ってやらなきゃ…回りくどい言い方をわざわざするなんて…」
リエーテの言葉には何処か迷いが感じられた。リエーテの弱気な姿を見て、リシュアは何だか変な感じがした。リエーテはいつでも自分に自信を持っていて、何があろうと意思を曲げない。いわゆる頑固な人だと思っていた。
「(リエーテさんも、迷うんだな…)」
ルーダは一瞬間を置き、人差し指をまっすぐ立てた。
「別にくどい言い方をしろと言うつもりはありません。自分も、相手も不快な思いをしないためには、マイナスな言葉の前にワンクッション挟めば良いんです。例えば、『ここがダメ、直した方が良い』というよりも『そこは良く出来てるけど、ここは直した方が良い』と言うほうが言葉が優しく感じるでしょう?」
リエーテは黙って頷いた。そして、リエーテの口から自然と出た言葉にリシュアは驚きを隠せなかった。
「アタシ…悪いことしちゃったね。ちゃんと、ロゼットに礼を言えば良かった。」
その瞬間、リシュアは自分の間違いにようやく気がついた。リエーテは、ロゼットが怒ったことに関して自分にも非があるとしっかりと分かっていた。ロゼットの心を一生懸命理解しようとしていたのだ。それに対し自分はどうだろう?ルーダのようにリエーテに向き合いもせず、リエーテを悪に仕立て上げてしまった。
ギュッと目頭が熱くなり、視界が霞んでいく。リシュアはリエーテの側に駆け寄り、その場に崩れ落ちた。
「り、リシュア?アンタ謝りに行ったんじゃ…」
「ごめんなさい、リエーテさん。私、貴方の気持ちを全然理解しようとしませんでした。これじゃあ…仲間失格ですね。」
「いや、アタシの方こそ…悪いのはアタシで…」
ルーダは二人の肩にそっと手を添えた。そして、優しい声でこう言った。
「誰が一番悪いとか、そういうのはどうでもいいんです。大切なのは、自分の過ちに気づくことですよ。さぁ、皆でロゼットさんに謝りに行きましょう?」
リシュアはリエーテからハンカチを借り、涙を拭いた。まだ全てが元通りになったわけではないが、リシュアもリエーテもとても晴れやかな気分だった。
一方で、ロゼットは絵本コーナーでとある本を読んでいた。題名は「けんかしてもだいすき」。主人公のハミルが喧嘩した友達と仲直りするために周りの人の力を借りるお話だ。ハミルの台詞に「友達だから、何度だって分かり合えるよ。」というものがある。この本を読み進めていく内に、ロゼットは無性に三人と仲直りしたいと願うようになった。同時に、感情のままに怒ってしまった自分を反省した。
「(あの三人だって僕の仲間だもんな…今からでも、分かり合えるかな?)」
ロゼットは少し考えた後、席から立ち上がった。あの三人に謝りに行かなくてはならないと、そう確信した。
ロゼットは最初歩いていたが、次第に足取りが早くなっていった。早く、早く謝りたくて仕方がなかった。無我夢中で走っていたからか、部屋の入り口付近で誰かとぶつかりそうになった。
「うわ、すみません!前をよく見てなくて…」
「いえ、私の方こそ…え、ロゼットさん?」
正面に立っている人の発言に耳を疑った。顔を上げてよく見ると、それはリシュアだった。
「り、リシュア。あの、色々とごめん!急に怒って…それとぶつかりそうになって!」
「謝る側の人が違うだろう?悪かったのはアタシだよ。」
リシュアの後ろからリエーテが顔を出した。リエーテはリシュアをどけてロゼットの前にたち、そして頭を下げた。
「ごめんよ、ロゼット。頑張って翻訳してくれたのに感謝もしないで…これからはもっと言い方を考えるよ。」
いつも強気なリエーテが今、自分に頭を下げている。意外だと言えば間違いではないが、少し申し訳ないような気がしてきた。そもそも、自分があのような小さなことで感情を揺さぶられる程ヤワだったことに驚きだ。
「リシュア、リエーテさん、ルーダくん。突然怒ってしかも物にも当たってしまって本当にごめん。僕、また皆と旅を続けられるかな?」
そして、全員が声を揃えて言ってくれた。「勿論だ」と。良い仲間に恵まれたことを、ロゼットを含め四人が改めて実感した大切な時間だった。
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