11.梨香と遥希のトラウマ
梨香さんのスマホでカルルピのダンスゲームを始める凛。
「う~~ん、ダイヤの曲って難しいよ。お家のパッドで練習しているのに」
「それじゃ、私がお手本を見せてあげる」
「わ、梨香ちゃん、すごい上手! これなら壁紙が当たるかも!」
すべての音符を逃すことなく判定枠でタップしている。さすがガチ勢とあって素晴らしい腕前だ。以前、パールの曲を凛にやらされたが、連続で成功するにつれてタイミングがシビアになるという仕様があるので僕でもクリアは無理だったのだが。
「それにしても女児アニメのスマホゲームなんて珍しいですよね。課金要素はないけど、スマホってもっと対象年齢が高めだと思うんですけど」
「仕方ないわ。カルルピは今までの変身ものに比べて玩具会社が難色を示しているから、いろんな展開をして売上を保とうとしているの」
「玩具会社って、どういうことですか?」
梨香さん曰く、子ども向け番組は視聴率だけでなく、スポンサーである玩具会社からの
カルルピは宝石が登場する作品なので、それらのグッズにも宝石名がつくことになる。本物を使うわけではないが、高価な名前を玩具につけると保護者からの印象が悪くなるのだという。たしかに未就学児に宝石は早すぎるし、玩具とはいえ買い与えるのに抵抗があるだろう。
「だから、いろんな商品展開を、しているの。数年前は、玩具の売上が落ちて、シリーズが終了しかけたこともあるの!」
「り、梨香さん、解説は充分ですから、ゲームに集中して下さい!」
凄まじい気迫でスマホを睨む梨香さんだが、パーフェクを達成すると限定壁紙が貰えるので無理もない。
「でも、もうすぐ電池がなくなりそうだよ?」
「嘘っ! あっ、低電力モードになっている!」
「ゲームって消耗が激しいですからね。っていうか、残り一桁じゃないですか!」
もし電源が落ちて中断すれば、最初からやり直しになってしまう。
「曲は半分まできているよ!」
「止まる止まる、やばいわやばいわ! クリアが先か電池切れが先か!」
二人揃って電動バイクみたいなことを言い始める。
画面内では可愛らしい衣装のダイヤが曲に合わせてスカートを翻しているがこっちはそれどころでない。
「残り1%だよ!」
「どうしよう……! どなたか、どなたか充電させてもらえませんかぁ!」
「テレビ番組みたいなこと言わないで下さい!」
しかしバッテリーとは奇妙なもので、残り1%からの粘りが強い。
なんとか最後まで電力を維持し、梨香さんはパーフェクトクリアを達成できたのだった。
「やったぁ、おめでとう梨香ちゃん!」
「凛ちゃんのおかげよ! あ、画面がきえた……、充電したら壁紙を転送するね?」
ハイタッチする二人を眺めていると、スマホにメッセージの通知がきた。
「もしかしてママからの連絡?」
「ああ。今日は夕方までに帰れるってさ。映画も見終わったって送るよ」
「え~~。凛、もっと遊んで行きたいのに~~」
「でも、ママと約束したんでしょう? もう帰らなくちゃ」
「むぅ。仕方ないなぁ」
腕を組む凛だが内心では満足している様子だった。
「梨香さん、凛に付き添ってもらえますか?」と、僕は伝票を持つとレストランの外にあるトイレを指差した。
「え、お会計は……」
「凛を一人で待たせるのは心配なので」
「……うん、わかったわ。行こう凛ちゃん」
梨香さんたちが退店し、僕はレジに向かう。伝票に気を取られていると、途中で他のお客さんにぶつかりそうになった。
「あっ、すみません! あの、エクスキュズミュー!」
一人の女性が僕の前に立っている。マスクが顔を隠しているが、綺麗な碧眼と優美になびいた銀色の髪から外国人かと思ってしまい、つい英語で謝ってしまった。
彼女は僕を素通りすると、席についてスマホを取り出している。そこはちょうど僕らの使っていた席の真後ろだった。
「ふぅ、危ない危ない。気をつけなくちゃ……」
会計を済ませて合流すると、梨香さんが財布を取り出そうとしたので僕は首を振った。
「いいの?」
「凛に付き添ってくれたお礼です」
「うん。ご馳走様。根岸くんって、なんだか、思っていたよりもスマートだね?」
「いえ、最近太りましたよ?」
「ウィットはないね。もっと練習しなくちゃ」
意地悪な笑みを浮かべる梨香さんに、僕は顔を引きつらせる。話術ってどこで覚えるのかと考えていると「あっ!」と、凛が声を上げて走り出してしまった。
「あそこにワンちゃんがいる、バロンとそっくり!」
「こら、走っちゃダメだぞ!」
「凛ちゃん、待って!」
ペットショップの犬たちを見つけるなり、僕らの手を振り払って走り出してしまう。止めようとしても間に合わず、凛は男の人に衝突して転んでしまうのだった。
「凛!」
慌てて抱き起こし、ぶつかった人を見上げて僕は謝った。
「すみません、お怪我はありませんか?」
相手は糸のように細い目をした、同年代の男子だった。
彼は手にしていた袋を覗き、商品に傷みがないか確認していた。楽器屋のロゴが入っているから機材だろう。もし壊れていたら弁償しなければならない。
「中身は大丈夫でしょうか?」
「あぁ、たぶん平気です」
「よかった。本当にごめんなさい。ほら、凛も謝りなさい」
「いいって。それじゃ」
二人で頭を下げるとその人はエスカレーターで一階へ下りていく。
凛にも怪我はない。僕は安堵の息を吐きながら服についた汚れを払う。凛はしゅんとしているが、なにかの拍子に走り出すのは子どもの習性なので簡単には治らなかった。
「まったくもう、気をつけなきゃダメじゃないか!」
「はい、お兄ぃ。……ワンちゃんを見に行ってもいい?」
「お前、本当に反省してんのか?」
「ごめんなさい根岸くん、私がちゃんと手を握っていなかったからだわ」
「梨香さんのせいじゃありませんよ。凛のやつ、けっこう力が強いですから」
凛の手を強く握ると、あろうことかペットショップへと引きずられてしまう。
「まったく、すぐに帰るって約束しただろう?」
「いいじゃない。バスの時間もまだあるし、少し見ていきましょう?」
梨香さんの言葉に僕は戸惑ってしまう。一緒に説得してくれると思ったのだが、なぜかしきりに背後を気にしている。どうしたのかと訊くと、さっきぶつかった男子が知り合いなのだという。
「梨香さんの友人だったんですか?」
「うん。相手は気付いていなかったけど、たぶん神崎くん」
「神崎さん、ですか? 聞き覚えのない名前だし、学校で見かけたこともないんですが?」
「当然よ。私の中学の同級生で、別の高校に進学したんだもん……」
「え、まさか――」
僕は口をつぐむ。彼女の表情を見ればすぐにわかった。
さっきの男子、礼節を欠かない範囲のくだけた受け答えで、服装や立ち振舞いも堂々としたものだった。きっとたくさんの異性と交流できるスペックの持ち主なんだろう。だから梨香さんとも付き合うことができ、彼女の趣味も知れたのだ。
「我儘を言ってごめんなさい。エントランスに行くのが見えたから、帰る時間を少し遅らせてもらえないかしら?」
手を組む梨香さんに僕は頷き、ペットショップで時間を潰すことにしたのだった。
「見て見て、このワンちゃん可愛い! バロンにそっくりだよ!」
凛が柴犬の子どもがいるガラスケースにへばりついた。
と、僕らのもとへ店員さんがやって来て、撫でてみないかと訊いてきた。
周りを見れば他のお客さんも動物と触れ合っている。ガラスケースが開けられ、凛が仔犬の額を撫でる。人慣れしているのか嫌がる様子はなかった。
「この子を連れて帰ろうよ! お兄ぃだってワンちゃんを飼いたいんでしょ?」
「え、そうなの? ペットとか好きなの?」
梨香さんが意外そうに僕を見つめる。
「どうして教えてくれなかったの? 恥ずかしい趣味なんかじゃないのに」
「ほしがったのは昔の話ですから。ほら、誰でも小さい頃はペットを飼いたがるものでしょう。結局僕もねだるだけねだって、お世話のこととか考えていませんでした」
「そうかな? 根岸くんなら得意な気がするけど」
「そんなことありませんよ。それに、値段のこともありますし……」
僕は犬の値札を確認する。生体費用や獣医師によるメディカルチェック、ワクチン等の経費込でかなりの金額になる。それに加えて餌代やトイレ代といった費用や、病気になれば治療費も要る。そう考えるととほうもない責任が伴うことを痛感させられる。きっとあのときに貰った‘誕生日プレゼント’を使ったとしても、一緒には暮らせなかっただろう。
「あ、あっちにもワンちゃんがいる。なんだか大きいね?」
「凛ちゃん、近づいちゃダメよ」
二人の話し声で、僕は我に返った。
少し離れた檻には成犬がいるが、どうやら元野犬で、お店で保護して譲渡先を探しているらしい。たしかに他の犬よりも目つきが鋭いし、人が近付くと唸って威嚇していた。
僕はというと、檻にいる犬と目を合わせたまま動けなくなっていた。
犬は僕を見ながら寝そべっている。
そんなデレデレな態度をされるとついその気になってしまい、この犬と過ごせたら毎日がどんなふうに変わるのかと夢想してしまう。寄り添える相棒がいると、何気ない日々の変化も楽しくなるのだろうかと――
そのとき、僕は反射的に振り返った。
もちろん背後には誰もいない。他のお客さんが動物たちと戯れているだけ。どこにでもあるペットショップの風景が広がっているだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます