間話
明星輝く空のすそ野で、人々がアリのようにうごめいています。 夜も盛りをすぎましたが、まだ歩みは止まりません。
しまいには、だれもが門の奥に消える約束だからです。
「御到来です」
門が告げると、マダムは目を輝かせました。
「本当ですか」
「わたしの右足の親指を通過しております」
マダムが手すりに身を乗りだすと、すぐに彼は見つかりました。果物屋の前に立って、こう言います。
「こんな炎天下にさらしておいて、腐らないのかい」
あいかわらずつまらないことばかり気にしているので、マダムは笑いました。
マダムは彼のことが嫌いでした。
その欠点を数えあげたら、きりがありません。
鼻をかむ音のうるさいこと。
一緒に眠る時に、手足をうんと伸ばすこと。
どうしても話を茶化さずにはいられないこと。
すべて嫌いです。
彼は、マンゴーを買って歩きはじめました。
ひとくちかじり機嫌よく目を細めると、生来の険呑な印象が息をひそめ、見事な愛想が姿を現します。
そのほほえみによって、あらゆる悪癖が見逃されてきました。
ですが、こんな卑怯な話はないと、マダムは思っています。
計算づくのやさしい人間、それこそ彼です。正直なところ、性格は重要ではありません。
やさしさ、共感、思いやり。
そんなものは、美を理解しない者たちにとってのみ、わかりやすく都合がよいあばずれです。
ですから、心に保つべきものは、決意でした。
それが正しかろうと過ちだろうと、だれかに指図されるいわれなき決断こそ、マダムには貴く思われるのです。
彼女は空を見あげます。無言の幕のうちに、実際を語るための、白く輝く丸い口が裂けたのです。
彼はもうひとくち果物にかぶりつき、青ざめた唇を汚すと、言いました。
「ああ。きみがいたらなあ」
裂け目が鏡となり、彼の想い人を映します。
湖面のごとく波打つ表面に浮かぶ顔のない女は、透明なシロップをこぼしました。
彼の手は女のあごを支え、やさしい口づけを与えます。
マダムは彼の腕を観察します。
その腕に浮かんでいる脈には、赤子と同じ血が流れているはずです。本来であれば、長く受けつがれるはずだったものが。
赤子はマダムの手に触れて、ささやきました。
「お話を」
彼女はうなずきました。
物語とは、このためにあります。
彼のために生きたことを証明しなければなりません。ただ自分自身と世界に対して、深く呪わしく釘刺さんと決めたのです。
ですが、ふと不思議に思います。
いったいこれ以上、なにを捧げればよいのでしょうか。
捧げつづけ、枯れはてるかと思うたびに、彼の面影に救われて、救われたがために呪詛を吐くのです。
報われる日など、到底来るはずもありません。
「義務の話をしましょう、あなた」
空の裂け目が、裁判官のような声で言いました。
「いいでしょう。義務は好きですわ」
そうマダムは返しました。
「珍しいことですね」
「だって、義務は果たさなければならないでしょう。わたくしは、あなただけに従うのです」
彼女は笑い、目を閉じます。この物語には、いまだにぬくもりがあるのです。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます