間話

 マダムと赤子は自室に戻りました。

 そこは出口のない密室であり、カビの生えたビスケットのにおいがします。

 星空の天蓋が空間のほとんどを埋め、紫紺色の絨毯の上で数多の椅子がうたた寝をしているのです。

 椅子たちは報われない奉仕に疲れきっており、唯一のいやしは天蓋の中心に鎮座する羊頭の存在だけでした。

 牡羊座の権化のごとく、そこに起臥する羊頭は、くるりと巻いた立派な角の生えた頭を、時計の針のように回転させ、眠りを渇望する椅子たちへ、おとぎ話を語るのです。

 マダムはふたりがけのソファに座りました。

 見るからに安物で、手すりに茶色い染みがついています。

 彼女はその汚れを恥ずかしく思っていましたが、非常に思い出のある椅子のため、それを毎日毎日使っているのです。

 羊頭がしわ枯れた声で話しかけました。


「がんばり屋のマダム。今日こそは眠れるのかい?」


「どうでしょうね」


「それは、じつにこまったね。ぼくたちほど、眠りから遠い存在もないや。借金とりに追いたてられているみたいだよ。次々に物語、物語、物語だもの! 生きて死ぬかぎり、彼らは欲するのかな?」


「人生の終わりが死ではない以上は、かりそめでも終点がないと、おかしくなってしまいますから」


「だけど、ぼくだって気ぐるいになりそうだよ。なにせこいつら、話の途中で寝てしまうんだもの」


「だって、おとぎ話ですもの。眠るための物語でしょう?」


 彼らはそれからも、とりとめのない話に花を咲かせ、短い休憩を楽しみましたが、じつのところ羊頭は彼女を恐れていました。

 彼女が自分を憎んでいると知っていたのです。


「マダム、きみから逃げたいな。ぼくを殺したいだろう? でも、離れられないよ。あまりにきみがかわいそうなんだもの」


 マダムは苦笑しました。

 角をつかみ、天蓋の外側に隠された体をのぞきこみます。

 羊頭は文句も言わずに、じっとしています。


「むしろよかったのです。あの人は犬が好きですから」


 その言葉を聞いた羊頭が、悲痛な声でめええと鳴くと、椅子たちは夢遊病のロンドを踊り始めました。

 まわるまわる彼らは終わりの後先を心得てまわり、人々に次なる座席を用意してやるのです。

 彼女は椅子たちにかこまれながら、あの日あの夜の、冷えた指と食いこむ爪が、喉元に触れるのを感じました。

 羊頭の化けの皮がはがれかけた、そのとき、一脚のおんぼろ椅子が目を覚まして踊りの輪を乱しました。


「やれやれ、またこれだ」


 それは、どの椅子よりも暴れん坊のベンチでした。割れた背中を引きつらせ、愚痴を言います。


「眠りも夢も、うそっぱちのくせに、どうして動かなきゃならないのだろう。なあマダム、せっかくだ。ひまをしているなら、ふだんとは毛色の違う話をしておくれ」


「あら、おとぎ話の持ちあわせはありませんわ」


「べつに、おれたち向きじゃなくてもいいさ。そこの赤ん坊に話をしてやるがいい」


 みると、赤子の両目は節穴に変化していました。

 マダム以上に、嘘つきの羊頭を忌みきらっているのです。


「ええ、わたくしに話をする必要がありますよ。狂気の話を」


 そう文句を言いながらも、赤子は震えはじめました。

 赤子の不機嫌も羊頭の嘘も意にかいさずに、マダムが笑みをたたえているからです。


「やっぱり、お話はいりません」


 目を閉じようとした赤子でしたが、マダムがまぶたを引っぱって無理やり起こしたので叶いませんでした。


「かわいい子。そのようなことをおっしゃらないで。まだまだ、とっておきがありますから」


「でもね、無理はいけないでしょう」


「まあ、無理だなんて」


「疲れきっているじゃないですか」


「そんなことありません。わたくし、幸せなんですもの。あなたにお話ができて」


 羊頭の感情のない瞳から、涙がこぼれました。

 それは、詐欺師が被害者に向ける最後のなさけでしょうか。それとも、完全な仕事をする同業者への畏敬の念でしょうか。

 暴れん坊のベンチが羊頭に言いました。


「黄金を落としとくれよ」


 すると、羊頭の長い口から金の霧が吐きだされました。

 これには眠りを安穏にする薬が入っていて、この効力のために、ベンチだけは羊を信用しています。

 嘘の重要性を理解しているのです。

 真実がめっきでも、祈りがあれば黄金になれます。心ない人が、救いようのない妄想だと笑ったとしても。

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