第二章 研鑽
2-1
「じゃあ私も、がんばって剣士を目指す!」
私は持っていた枝を天に突き上げた――
枝を。
真っ二つに折ったのは、姉だった。
「あなたはそんなことしなくていい」
◎
私は目を覚ました。
気持ちのいい目覚めではなかった。あまり憶えていないが楽しくはない夢を見ていた。
しかし私は起きなければならない。今日は、待ちに待った成人式の日だ。
厳密に言えば、成人式を待ちに待っていたわけではなく、成人式を終えて成人と認められるのを待ち望んでいたのであり、成人式じたいは全くと言い切っていいほど待っていない。というか嫌だ。
成人の儀として、大人になって生業とする仕事に関係するものを携えて、山を登って祠にお参りをしてくる。畑をやるのだったら農具か麦の粒。機織りをやるのだったら布。というふうに。
それで私はというと当然、剣を持たなければならない。前例がないわけではなく姉も勿論だが、剣士になる者はたまにいる。姉が特に、その名を広めたというだけで、剣士は立派な一つの職業だ。
まあ剣を持つというのはいい、今や私も姉による鍛錬のお蔭で腕も鍛えられ、また剣に誇りを持てるようになっている。剣というか姉だが。いまだに姉を振る毎日だが。
問題は山登りの部分である。筋肉はある程度鍛えられたのだが、いかんせん体力がさっぱりついていない。長期戦になった場合に不利だと、姉からも言われていたのだが、どうつければいいか分からずこの日を迎えてしまったのだ。とりあえず筋肉があればいいというわけではないということは分かった。
朝方に出発して、大体昼過ぎまでに往復が完了し、そこからは夜まで祝宴を開く。今年の成人は四人で、男女二人ずつ。男二人は鍬を、私は剣を、もう一人の女子、ピロスは麦の粒が入った袋を持って、山を登り始める。ピロスは農家の長女だが私と同じく今はまだ家事をしたり
なっているのに。
「つかれた」
私は呟く。男子二人はとっくに見えなくなっており、ピロスと共にだらだらと、いやのそのそと歩いている。
「ねえツルギー」
まだ元気そうなピロスが声をかけてくる。重いものを持っていない彼女はいまだ元気そうで、鍬を持って働くのも剣を持って働くのも本質は同じだということがよく分かる。
「なに」
「なんで剣士になりたいの?」
彼女はいきなりそんなことを訊いてくる。彼女とは気心の知れた仲で、うっかりいろいろ口を滑らせそうになるが――今、私は、姉と共にいる。姉を腰に佩いている。姉の声は周囲には聞こえないが、私の声は姉に十全に届いている。滅多なことは口にできない。
「私の姉さんのことって憶えてる?」
とりあえず私は、話の焦点をずらすことにした。
「フォスお姉ちゃん。憶えてるけど」
「私が一番近くで見てたから。なるべくしてなったんだよ」
「でも前は羊飼いたいって言ってたじゃん」「それはすっごい小さい時だよ。というか飼えるなら今でも飼いたいけど飼えないんだよ。そう大人になって気づいたの」「大人。大人かあ。本当に十二歳で、大人になれるのかね」「なれるかなれないかじゃなくて、なるんだよ。ならなきゃいけないの。これからは大人たちに、おんなじ大人として扱われるんだから」
「うへ」ピロスはそう鳴いた。私の言葉が響かなかったらしい。「そういえば前の二人はもう着いたかな。一応全員揃ってお参りすることになってるよね」
「少なくとも帰りは合わせなきゃね」そうでなければ、わざわざ全員で出発した意味がない。この成人の儀では、子供たちだけで助け合いながら山を登って降りて、それを以て大人として認められるのだ。だから彼らは先に行ってしまうのでなく、後ろの私たちを気遣いながら進まなければならない――
目の前に、二人の背中が見えた。
「あれ。追いついたね」ピロスは麦の入った袋を揉みながら言う。小さい袋なので片手に収まっているのだ。全然余裕ではないか。
それは置いておくとして、二人に追いつくというのは変だ。彼らの気が変わって、ふつうに歩き出したとしても、私たちより歩く速さが遅いわけがない。よってこんな道中で追いつくはずがないし、特に不自然なのは彼らが背を向けている点だ。立ち止まって、私たちを待っていたなら追いつくことはあり得るが、私たちは後ろから来るのである、完全に前を向いているのはおかしい。ではやはりただ追いついたのである、そして考えられる可能性は、待っていたのでなければ、
何かに足止めを喰らったのであろう。
私たちは彼らの隣に並ぶ。「どしたの」別に仲が悪いわけではないので、私はふつうに声をかけた。
「おお、早かったな。もう少しかかると思ってた」一人がそう返す。
「ちょうどいい。どうする? こいつ」もう一人がそう訊いてきた。
二人の前方を見遣ると――そこにいたのは、
猪だ。
祠へと続く一本道の真ん中に、猪が立ちはだかっていた。といってもまだ子供で、ようやく模様が消え始めたかという頃である。
「追い払えばいいじゃん」ピロスが言った。それは当然の反応だが、
「それが、全く動こうとしないんだよ」
答えはそうだった。私はもう一度、前の猪を見る。道の真ん中を陣取っていて、ずっとこちらを睨むようにしている。確かに全く我々の姿におびえることなく、ずっとそこにいるようだ。人を恐れない猪など珍しい、この山に猪などの獣が棲んでいるのは村人たちは知っているが、どれも臆病で、このように数人が固まっていれば姿を現さないものなのに、
というか。
この猪、あの時の子供ではないか?
「どうする、ツルギー」
「……え? 私?」突然そう振られて、私は驚いた。「大丈夫でしょ。こっちが攻撃せず通れば、何もしないはず」
「じゃあせめて先頭行ってくれよ」彼は引き下がらず言う。
「いや、なんで」
「剣士ってそういうもんだろ」
ああ。
そうか。
剣士とは。
そういうふうに思われているのか。
汚れ仕事を買って出る。
喜び進んで矢面に立つ。
都合のいい者たちだと。
勿論、必要な職業ではある。かつてこの村を襲った巨大な猪、あんなのを相手取るのは普段から訓練している者でないと無理だ。
しかしこれは。こういうのは違うだろうと言いたい。
恐らく、最悪を考えての提案なのだろう。
すなわち、猪を傷つけなければならなくなった場合である。
全くどけないならそんな手段も
そこで都合よく使われるのが剣士だ。
他者を傷つけることを生業とする者。
そうして自らの手を綺麗に保つのだ。
この場に剣士がいなければ、彼らは自分たちで、ここをどうにか通っただろう。猪を傷つける結果も受け入れただろう。だが
「何だよそれ」
私は呟く。
「え? 何か言った?」
私は何も返さずに猪に近づいていく。彼らの言うことを聞く気になったのではない。彼らの言いなりになるなどまっぴらだ。これはそう、仲間のところに向かったのだ。今この場で、あの子供の猪が、いちばん自分のことを分かってくれる気がした。
「ツルギー」ピロスが心配そうに声をかけてくる。彼女はまあ、まだ私のことを分かってくれるほうだろう。彼女のためなら、別に先頭を歩いたって構わない。
私は、猪の前まで行き、その場にしゃがむ。猪はまっすぐ私を見ている。突進されたら危険だが、私とこの子の仲だ、そんなことは起こらない。私は、首から下げていたものを取り出した。それは白い欠片で、細い形の片側がとがっている。
猪の牙、その先端である。先端を少しもらい、穴を開けて紐を通し、身に着けていたのだ。
「悪かったね。あなたの親のことは」
あの猪が十割悪い、などと傲慢なことは言わない。先に向こうが村を襲ったとはいえ、傷つけたことに責任がないわけがない。もしあの猪の子供たちが、再び村を襲うようなことがあれば、私は親を傷つけた責任から、率先して先頭で戦わなければならないだろう。私はただ、斬ることに責任を常に持っていたい。後悔だけはしないでいたい。そう思いながら、これまで姉に鍛えてもらっていたいし、これからもそれを胸に剣士を続けたい。
私は骨片を子供の前に置く。その子は、その骨の匂いを嗅ぐと、一度私の顔を見て、その骨片を
「ピロス。行くよ」
私は振り返って声をかける。
「あ。分かったー」
彼女はすぐに来て、男二人もすぐついてくる。
その後、祠に四人で参拝して、村に帰った。それが、私の成人式だった。
◎
「いってきます。父さん、母さん」
私は村の出入り口でそう言った。
「うん。いってらっしゃい」
「いつでも待ってるからね」
両親はそれぞれ返す。他に見送りに来てくれているのは、
「ノアくん、ピロス。いってきます」
「「いってらっしゃい」」二人は手を振って私を送った。
村を出発して、目的の組合の本部がある街を目指す。ここからは今日一日野宿して、明日の夕方頃には着く、と姉は言っていた。
姉の尺度なので、明日の野宿も一応覚悟している。
『とうとうだね』
姉が話しかけてきた。
「うん」
『組合に着いたら、まずは受付で、登録ができてるかどうか確認。書類はあるよね』
「あるよ」成人式より前に、組合に登録のための手紙を出していて、受理の知らせが届いているので私は既に、組合の一員にはなっている。組合の詳しい説明や今後の流れをこれから本部のほうで受けて、そこからは晴れて、私の剣士としての生活が始まるというわけだ。
『わたしの知り合いが探せばいるから。わたしの妹だって言えば仲良くしてくれるはず』
姉は言った。
軽く言った。
そう、本人は重くは考えていない。自分のことについて。
「お名前を確認いたします」
「あ、ツルギー・トイニムです」
私が、組合の受付でそう言った時。
明らかに周囲の雰囲気が一変した。
「トイニム」「トイニム?」「フォス・トイニム」「娘か?」「娘って年齢じゃあねえよ。妹か?」「フォス・トイニムの妹」「あの剣――フォスのものと同じだな」「あの剣を使えるってことはそれなりの腕なのは間違いない」「姉と同等か、それ以上か」「手合わせが楽しみだぜ」
私は。いったん家に帰ろうかなと、かなり本気で思った。
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