1-2


   ◎


 村の中心は猪の解体作業で賑わっていた。

 私がたおした猪の、である。

 本来は狩った本人、及びその家族に、その肉や毛皮等を利用する権利があるのだが、私はそれを早々に放棄した。今は村人総出で解体・分配をしているところで、独占の権利を放棄したとはいえ参加したほうがいいことに間違いはないが、できるだけ目立たないように立ち去ることにする。

 いや、立ち去ることに、したかった。

「ツルギー! 見てたぞ、すごいじゃねえか!」「誰にでもできることじゃあないな」「こっそり練習してたのか?」「かっこいい!」「よくあんなのと戦えるな」「全く、男たちはだらしないったらないね」「一番いいトコ持ってけよ!」「これで荒らされたぶん、いやそれ以上に賄えたぜ」「本当にありがとう!」「どうやったか教えてよ!」

 村の皆。隣の家のおじさんや向かいのおばさん、年上や同い年や年下の友人、私が護りたかった人々。いろいろ言われるのは恥ずかしいが、悪い気はしない。


「あの姉にしてこの妹ありって感じだな!」


「……そう、ですね」

 私は言って、すぐその場を後にする。

 そう。姉。姉だ。

 それが大問題だ。



 家に帰ってきた。両親は解体中の一群に混ざっていてしばらくは帰ってこないだろう。私は自室に入り、

「姉さん、ただいま」

 ベッドの上の剣――もとい、私の姉に、声をかける。

『おかえり。どうだった、ちやほやされたかい』

 姉は言う。表情はない。というか動きがない。ただの剣だから当然といえば当然だが、この聞こえてくる声はならば何なのだ。

「されたというか――まあされたけど、あれは私がやったんじゃないっていうか」

『やったでしょ。実に誇らしいね』姉は真面目なのかふざけているのか分からない口調で言い、『もっと鍛錬すれば、もっと強くなること請け合いさ』そう続けた。

「そもそも、鍛錬したことないんだって」私は返す。「というか、そろそろ訊いてもいい?」

『何かを訊いちゃ駄目と言った憶えはないけれど』

「姉さんは――どうして、剣になっているわけ?」

 剣。

 剣なのである。

 剣が生物ではないということは、十二歳になる私は当然知っているし、姉が人間であったことも間違いはない。そもそも人間から剣は生まれない。ただそんな常識的な話では説明できない事象が眼前で起こっているのだ。剣が喋っている。そして亡くなった私の姉を名乗っている。常識で語れない以上、まず質問をしてみるほかはない。

『ん――わたしがもう死んでいることは知っているよね』

 姉は口を開いた。いや、開く口があるわけではない。でも剣の方向から声はする。私は頷いた――これも見えているのだろうか。「知ってる」一応、声も発しておく。

『ツルギーの可愛いお顔なら見えているよ。わたしは――今、――だと、思う』

「…………」

 魂。

 それはなんとも、超越的な話である。

『まあ信じがたいとは思うけれど』

「うん……いくつか質問させて。姉さんの名前は?」

 私は頭を整理するため、そう尋ねた。

『フォス・トイニム』

「好きな食べ物は」

『リンゴ』

「苦手な食べ物は」

『貝類』

「私の今の年齢は」

『二年前十歳だったから、十二かな。大きくなったね』

「姉さんだとは認めよう」少しだけ整理されて私は言う。「いろいろ納得できないところはあるけど、魂? に姉さんの要素が含まれているであろうことは納得するしかない」

『ありがとう』姉はなぜか感謝の言葉を口にする、つまりは発する。

「その上で――いつから、その状態なの?」

『いつから、か』姉は繰り返す。『たぶん、わたしが死んですぐ。わたしの身体と一緒にこの村に帰ってきた道中のことは、結構憶えているよ』


 彼女の身体と。というのは。

 嫌な記憶として残っている。あの日。その二日前、依頼を受けて村を後にした姉が、遺体となって帰ってきた日。遺体は傷だらけで、恐らく獣の群れに襲われたのだろう、という話だった。そんな姿で、姉は彼女の剣を、それは大事そうに抱き締めていた。それで、姉が剣士であることをあまりよくは思っていなかった両親も、姉の最後の持ちものだとして、この剣は部屋に保管していたのだ。それが姉の話では――その時には既に。剣の中に魂が移っていたということであるらしい。


「……あれ、その時からってことは、二年間、ずっと部屋の中で動かずじっとしてたってこと? 私が気づくまで、ずっと――」

『ああそれは、なんかツルギーが部屋に来てないと眠っちゃうというか、意識が飛ぶんだ。だから夏が始まったなと思った次の瞬間雪が降ってたこととかあったし』姉は言った。確かにそれくらい空いていた時もあったかも知れない。しかし最近は結構頻繁に訪れていたはずだ。

『うん。だから言う時機を窺ってたんだけど、そもそも声が届くかどうか分からなくて。先延ばしにしてたら、今日、すごくいい状況になったから』

「いい状況、ね」私は繰り返す。「そういえば、私があの猪を斬れたのは、本当に姉さんが関わってることじゃないの?」それはずっと気になっていたというか、説明がつかないことだ。私は剣の練習をしたことがないどころか、剣を握ったことすらなかったのである。

『それについては、本当に分からないね。少なくとも、わたしの意思で何かしたとかではないよ』

「へえ」まあそれに関しては、納得しておくしかない。そもそもどんなことが裏で起こっていたとしても、私があの猪を斬ったことは事実であり、考えるべきは、現象の説明ではなく事態の収拾だ。

 つまり、周囲にどう言い訳をするか、である。

 両親にも、ろくに話さずにごまかしているから、恐らくはかなり怪しまれている。他の人ならまだしも、両親は私が剣の練習などしていないことを知っている。

「そういえば、父さんも母さんも、姉さんが喋れることは知らないんだよね」

 私の質問に、

『二人はわたしの部屋に入ったことあるかな。最近とか』

 姉は逆に質問を返した。

「たまには入ってると思うけど。一回も入ってないってことはないと思う。なんで?」

『さっき、ツルギーが部屋に来た時だけ、意識があるって言ったでしょう』

 私は頷く。

『逆に言えば、私が意識がある時って、ツルギーの姿しか見てないわけ。だから二人には、わたしの声は届かないんじゃないかな』

 表情はないが、声から充分に感情は伝わってきた。私にしか聞こえない声。剣に縛られている、姉の魂。分からないことはまだ多い。


 その時、玄関の扉が開く音が聞こえた。親のどちらか、あるいは両方が解体作業から帰ってきたのだ。あの量からすれば、終わったのではなく休憩なのだろうが。

 そしてその音で、私は昼に猪が襲来して、午後にしようと思っていた洗濯がまだ済んでいないことを思い出す。私が部屋を出ると、ちょうど母と鉢合わせた。父は帰っていないらしい。

「おかえり母さん。お洗濯行ってくるね」

 私は言って、服をまとめ始める。

「ツルギー」母は。そんな私に声をかけた。「説明……してくれる? どういうことなのか」

「えっとね」私は。「……ごめん。整理する時間を下さい」正直にそう返す。時間を稼ぐ、というよりは、誠実であるという意識のほうが強い。私の姉のことではあるが、二人の娘の話でもあるのだ。おざなりな返答ではいけないと私は判断した。

「そう」母は言い、それ以上の追求はなかった。私は外に出て、とりあえず洗濯に集中する。


   ◎


 翌日。家事を終わらせた後、少しは練習をしておこうと、姉、すなわち剣を携えて家を出た。

「お。ツルギーじゃん」

 というところで出会ったのが、

「ノアくん。お久し振りです」

 私は頭を下げる。

 彼は私の二つ上、つまり姉と同い年の青年である。短く切りそろえられた青髪が特徴的私も幼い頃によく遊んでもらうなどしたものだ。

「昨日はすごかったらしいな。ツルギーなんだろ、アレやったの」

 アレとはもちろん猪真っ二つのことであろう。「う、うん。そうです」

「すげえな。やっぱり――その、フォスに教わってたのか」

彼は少し言い淀み、遠慮がちに訊く。それは彼の気の遣い方だ。

「えっとまあ、そんな感じというところかと」それだけに、適当な返しをすることが心苦しい。しかしそれなら正直なことは言えるだろうか。姉の魂は今、剣に移っているのだと。優しい彼も、流石に私の正気を疑ってくるだろう。

「そっか」

 彼は笑顔を見せた。見る者を安心させるそれは村人たちの人気が高く、

『(……ツルギー)』

 姉が小声で私の名を呼ぶ。ノアくんに声が聞こえている様子はなく、やはり姉の声が聞こえるのは私だけのようである。

『(ツルギー。ツルギー。ツルギー。ツルギー。ツルギー)』

「じゃあ、失礼します」私は再び頭を下げて、その場を後にした。



『…………』

 ノアくんと別れてからは、姉はしばらく黙っていた。

「姉さん」

 仕方なく、私のほうから声をかけた。

『なあに』

「好きな人と、久々に会った感想は?」

『そッ――』

 姉は珍しく大きい声を出す。『――れは。まあ、嬉しいよ。変わらず元気そうだったし』

「ふーん」姉は小さい頃から彼のことが大好きなのである。あまりにもバレバレで私は物心ついた頃から知っている、昔からよくそのことでからかったものだ。しかしそれも、今となっていい思い出で、「……うん。よかったね、姉さん」今の私に、からかうほどの心の余裕はなかった。大切な人と会えなくなること。それが死であり、この再会が、どんな特殊な形であれ叶ったことを、純粋に喜ばずしてどうしよう。そんなの、嬉しくて嬉しくて堪らないに決まっている。

『この話は終わり。それで、これからどうするの。剣の練習は』

 姉の言葉に、当初の予定を思い出す。「姉さんが教えてくれたらありがたいんだけど」とは言いながら、剣に剣を教わる姿を想像して、私は少し笑う。というか、剣として振られている間、姉はどんな気分なのだろう。

『教えるぶんには構わないけれど。とりあえず、わたしの修行場所へ――』



「皆、集まれ!」



 そんな声が、村の中心のほうから聞こえた。

「……行ってみようか、姉さん」私は言って、そちらへ歩き始めた。練習はまあ、緊急の用事ではないため後回しでいいだろう。

『嫌な声だ』

 姉は呟いた。



「――見ろ! 親のにおいにつられて山から下りてきやがった!」

 叫んでいたのは、昨日、父と口論をしていた男性だった。右手には鍬を、左手には――茶色い物体を持っている。

 茶色い物体には、突き出た鼻がある。整いきっていない毛並みと、背中の特徴的な縞模様が見える。

 猪の子供である。

「二度と人間に悪さしないよう教えてやろうぜ」

 男は村人たちの真ん中に立ってそう続ける。猪の子供は、「ぽぐぅ」と小さく鳴いた。子供をいたぶって溜飲を下げようというらしい。野卑た野蛮な発想だ。

「誰か一緒に――」




「やめて下さい」




 私はその男性の前に立って言った。

「よおツルギー。今日はお前の助けは要らねえ、俺一人でも」

「今すぐその子を離して下さい」

 私は相手の言葉を無視して言う。

「……は? 離せ?」

「はい」

「……くくっ、はっはっはっはっ! 離せ? よく言うぜ、自分はこいつの親を殺しておいて!」男性はそう大きな声で嗤った。すっと私の顔を見据え、「それとも何だ。親だけで飽き足らず。子供も自分で殺したいってことか? おいおい、お前がそんなに好戦的な性格だったとはな――」

 私は。彼の左手首をねじり上げる。

「痛っ」

 猪の子供は、手から落ちると、一目散に山へ走り去っていった。

「おいてめえっ」

「私が親猪を殺したのは、この村に危害を加えてきたからです。山に帰ったとしても、狩らなければいつか再び帰ってきて、この村を襲ったでしょう。でもあの子供は違う」私は手首を掴んだまま淡々と言う。「あの子供はまだ何もしていない。ならば狩られるべきなのは誰か。あなたですよ。私はそれを助けてたんです」そこまで言って、私は手首を離す。

「……ちっ」男性は帰っていき、集まっていた村人たちもそれぞれ散っていった。最後に残った私は、姉を握りながら、その場に立ち尽くす。


「――やってしまった」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る