剣の夢 剣士の夢

烏合衆国

第一章 賢者

1-1

「お姉ちゃんはどうして剣士になったの?」

 私の問いに、姉はこちらを見ずに応じる。

「この村を、村の皆を、護りたいからだよ」

「じゃあ私も、がんばって剣士を目指す!」

 私は持っていた枝を天に突き上げた――




「――――」




   ◎


 私は目を覚ました。

 ベッドから降りて、カーテンを開ける。朝日が目に染みて、光に背を向けながら大きく伸びをした。

 ……今し方。何か夢を見ていた気がする。懐かしい、昔の夢。細かい内容は憶えていないが、とても楽しい夢だったような。

 私は自室を出て、食卓についている両親に朝の挨拶をする。

「おはよう、父さん、母さん」

「おはようツルギー」

「ツルギーおはよう」

 父と母はそれぞれそう返す。私は軽く頷いて、机を挟んだ二人の正面の椅子に座る。机の上には、既にパンとスープが並んでいた。

「いただきます」私たちはそんな簡素な朝食をとり始める。



 食後、両親は畑に出ていった。今年は日差しの量も雨の量もちょうどよく、豊作が見込まれている。畑仕事が行われている間、家事は私がやることになっている。掃除・洗濯・昼食の用意。村の同い年の男の子には、既に畑を手伝っている者も多いが、一応成人前で、私はいまだこうして雑事をこなす立場にある。まずは家の中の掃除をして、昼までに食事を作り終える。それを畑に届けにいって自分でも食べたら、今度は洗濯をして日が出ているうちに乾かし始める。そこからは自由時間で、夕飯まではその辺を歩き回ったり、同じく家事をやる立場にある友人たちと遊んだりする。学校は七日に一度しかなくて、大抵はそうした一日を過ごしている。

 三人分の食器を片づけて、続いて箒を手に取った。毎日掃いているはずなのに、このホコリというものは気がついたら溜まっている。まずは居間を掃き、続いては自分の部屋だ。両親の部屋は掃除しなくていいと言われているので、その次は家の周りである。床を綺麗にし、布団の皺を伸ばし、窓を開けて外の空気を取り入れる。夏が近い空気は、その情熱を含みながらも清々しく私の前髪をかき上げた。


 自室の掃除が終わったので、箒を片づけて外に出る――つもりだったが。

 私の部屋の正面。扉がある。部屋が向かい合っているのだ。両親の部屋ではない、ここは、

「…………」

 私はゆっくりと扉を押した。中に誰がいるわけではないから声をかけることはしないが、動きは自然と慎重になる。

 自分の部屋と似たような部屋の作り。机があり、棚があり、ベッドがあり、窓がある。窓を開けようかと、近づいていくと、

 その下方、ベッドに立てかけてあったものに目が留まった。



 剣、である。



 それは、亡くなった姉の剣。

 そう、剣士だった姉の剣だ。



 ここは姉の部屋で、姉というのは長女で、私は妹なのだった。二年前に彼女が亡くなり、両親は私をよく可愛がってくれるようになった。甘やかしてくれるようになった、というほうが的確かも知れない。もともと姉は、剣士であるためであるが、畑仕事を手伝わずにいつも剣を振っていた。討伐などの依頼があれば、何日も家に帰ってこないことだってあった。そんな姉は両親から多少なりとも疎まれていた――これも的確ではないか――両親は、手を焼いていた。持て余していたとも言えよう。それでも十六年育てただけあって、いなくなれば当然、心に傷を負う結果となった。

 姉の部屋は、整頓はされているが物は何も捨てられておらずそのままになっている。この剣も、姉が使っていたそのものが、捨てられるでも売られるでもなく部屋に残っているのだ。


 私は姉と違って剣士を目指してはいないし、剣を振る練習もしていない。だからたまに姉の部屋に入ることはあっても、その懐かしさに何となく浸るだけで、何かを持ち出すようなことはしない。今日も、剣には触りもせず、部屋を後にし、外の掃除を始めた。


   ◎


 太陽が南を指し示す頃、私は昼食を持って畑に出る。バスケットに詰めたパンと肉を確認しながら、「お昼だよー」と声をかけた。両親は私に気づいて、手を振った。

 三人で並んでパンをかじる。過度ではないにせよそれなりの肉体労働をこなした私は、堂々と肉を頂くことができる。

 食事が終わり、さあ午後の仕事に取りかかろうという時。



「皆、逃げろー!」



 そんな怒鳴り声が聞こえた。



「猪だ! 猪が出たぞ!」



 広がっていく悲鳴。猪。それはずんぐりした体躯に大きく突き出た鼻、鋭い牙を持つ、農家の天敵の最たる獣だ。畑を踏み荒らし、作物を掘り起こして喰い散らかすのである。大きさは成長した個体では大人三、四人分にまでなり、大変危険だ。男たちが集まって農具を打ちつけ合い、威嚇をし、立ち去らせるというのが通常の対応である。早速その通り、村の男たちが声のしたほうへ率先して集まっていった。「俺も行ってくる」と父も、立ち上がって駆けていった。

 ガアン!

 ガアン!

 すぐに威嚇が始まった。猪は身体の大きさのわりに臆病で、人間が大声を上げるだけでも多少怯み、聞き慣れない金属音を聞けば大抵はたちどころに逃げていく。

 そう、、である。

 ガアン!

 ガアン!

 再び金属音が聞こえた。まだ逃げていないらしい。

 ガアン!

 ガアン!

 三度目。流石にそろそろ――




「ブモオォアオオォォッ‼」




 次に聞こえたのは。そんな咆哮だった。それは勿論、



「皆、遠くに逃げろー!」



 怒鳴り声が響いた。



「猪だ! 失敗した!」



 。失敗とはつまり、

 現れた猪を追い返せなかったということで、

 猪がいまだ畑に居座っているということで、

 皆の畑がめちゃくちゃになるということだ。


 お腹がいっぱいになれば、山に帰りはするだろう。ではそれはいつなのか? そもそもよほどお腹が空いていなければ、というか山に食料があるならば、わざわざ人里に降りて来はしないはずだ。最初に襲われた畑だけで満足するならば、そこの畑の家を皆で助け合えば済むが、次々に荒らされていけば、村全体で、大きな損害を負うことになる。今はまだ収穫量の目処が立ってきて、これから更に力を入れてがんばっていこうという時期だ。それが突然の災禍に見舞われ、めちゃくちゃにされてしまう。


 それは嫌だ。


 この村を、村の皆を、護りたい。


 私は――気がついたら、走り出していた。

「ツルギー!?」母の制止を聞かずに私が向かったのは、猪のところ――ではなく。

 我が家の――姉の部屋。

 姉の剣を、手に取った。


   ◎


「こ、こうなったらこれで戦うしかねえな」猪と相対していた男のうちの一人が、手にくわを持ちながら、そう声を上げる。それはその場にいた誰もが選択肢としては考えていた、しかしできれば選び取りたくなかったものだ。農地が荒らされれば、それだけ食料も収入も減る。借金しなければならなくなるかも知れない。しかしそれでも、命があるほうが大切だ。それは自身の命であり、家族の命でもある。命があれば、またどうにかやり直せるだろう。ここで無理に戦って、命を落とすよりは、満足して帰ってもらって、そこからがんばっていこうと、そう半ば諦念を纏って事態を静観しようというのが大勢であった。

 しかし今。声が上げられて、人々の心には様々な考えが去来した。猪が作物だけでは飽きたらず、人間を襲い始めたらどうすればよいのか。音に怯まないということは人慣れしているのではないか。身体が大きいので、しばらくは肉には困らなさそうではないか。親猪がいれば子猪もいるのではないか……等々。大勢たいせいは猪の討伐に傾きつつあった。

「ちょっと待ってくれ。こんなただの農具で、あの猪に勝てるのか?」

 水を差したのは、ツルギーの父親だった。

「は? じ、じゃあどうしろって言うんだよ」最初に声を上げた男がそういきり立つ。

「策があるわけじゃないけど」父親は。「俺たちの力では無理だ。それだけは断言できる」

「何を偉そうに――」

「冷静になれと言ってるんだ。今はとにかく、奴が山に帰るまで各自、家の中で静かにしていよう。その後で、しかるべきところに依頼をして、場合によっては討伐してもらえばいい」

「奴は今!」男は引き下がらない。「ここにいるんだぞ。俺たちの村に」

 周囲の者たちも。口には出さないが皆、彼と同じ目をしている。

 それでも。

 引き下がれないのは、ツルギーの父親も同じなのだった。彼は声を荒らげる。



「死んだら――それで終わりなんだぞ‼」





「その通りだよ、父さん」





 

 跳び上がっていた――猪の頭上。

 剣を大きく振りかぶり、

 振り下ろす。



 右半身と左半身が離ればなれになった猪を眺めながら、私は落ちてゆく――空中で宙返りをし、

 刃についた血を払いながら着地する。

 ずしん、と聞こえたのは猪が地に伏した音だろう。

「――ツルギー? なのか」

 父が、そう声をかけてきた。

 私は、答えようと振り向く、


 意識が、


 落ちて、


   ◎


 私は目を覚ました。

 ベッドから降りて、部屋を見回す。机の上には、例の剣があった。

 夢ではない。

 これは現実。

 私が、あの猪を斬ったのだ。


 姉に憧れてはいたけれど実際に振ったことはないんだよなと思いつつ、剣を再び手に取った。記憶より重いのは、斬ることへの、斬ったことへの責任のぶんかも知れない。

「お姉ちゃん……」

 私はぽつりと呟く。





 そう応じたのは、

「――ッ!?」

 誰だ?

 父でも母でもない、しかしどこか安心する懐かしい声、それが聞こえてきたのはすぐ手元だ、そう、ちょうど握っている剣が――


『とうとう部屋の外に出られたと思ったら戦闘とは。でも、流石と言っておくよ、我が妹』


 剣が。

 喋った、その声は。





「――姉さん!?」


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