第7話

 1980年代。

 ●●県某所、田舎町。


 鉄道の車窓から見えるのは植林した杉林。ちょっと開けた平地にはこれと言った主力の農産物のない小規模な耕作地が広がる。学校、病院、役場が離れて立っていた。あちこちに手入れされていない土地が目立つ。街の景色の七割は緑色だ。目に眩しいその緑が町をどこにでもある特徴のない田舎にしてしまっていた。


 町の目ぼしい史蹟としては、中心部からちょっと離れた場所に、平安時代に建てられた由緒正しい神社があるだけだった。そこには大きな社殿があるわけではないが、隣に割合に立派な公民館が併設されていた。神社へは坂を登って行くような地形になっている。公民館は神社の所有者が町に敷地を貸している形になっている。神社の氏子がそのまま公民館のメンバーとなり、神社の周辺を清掃したり、祭りを取り仕切ったりするのだ。

 しかし、社殿は特別古い物ではないし、郷土史に興味がある人は滅多におらず、普段は誰も訪れない場所だった。周囲に人家はなく、子どもが遊ぶような遊具などもない。一方で夜になると格好の肝試しスポットとして、遠くから冷やかしに来る若者が後を絶たなかった。そのせいで、所々、空き缶や弁当の容器が捨てられており、自然豊かな場所でありながら、繁華街のような散らかり具合だった。


 その日は、そんな場所には場違いなほど、身なりのいい男が立っていた。年齢は四十くらいだろうか。羽振りのよさは着ているものでわかった。光沢のある黒いコートを羽織っており、手には黒い革の手袋をしていた。頭部にはベージュのつばのある帽子を目深に被っている。さらに、マスクも着用していた。まるで、お忍びの芸能人か政治家のようで、どうしても素性を隠したいらしかった。


 男は誰かと待ち合わせをしているのか、先ほどから時計を見たり、手持無沙汰に落ち着きなく歩き回っていた。すると、しばらくして公民館の玄関から中年の女が出て来た。小太りで、茶髪で、所々白髪が混じっていた。化粧はしていない。服は毛玉のついた灰色のトレーナーにジーンズという出で立ちだった。いかにもだらしない雰囲気の女だった。


「〇〇さんですか?」女は尋ねた。真横に開かれた口はからのぞいている歯は、歯並びが悪く、タバコの脂で黒く汚れていた。

「うん」男は静かな声で答えた。穏やかで品のいい声だった。マスクから除く目は大きく眼光が鋭かった。

「どうぞ」


 女は男に玄関に上がるように促した。男が一歩中へ入った瞬間、古いアパートのような、使っていない水回りの独特な臭いがした。足元には、茶色く光沢が出た古いすのこが置かれていて、同じく古びた木の靴箱が壁に沿って作りつけられていた。靴があるわけではないのだが、なぜか誰かの足の臭いがする。どうやら、通り一辺倒の掃除しかしていないようだった。

 

 そして、端の方には忘れ物の古びた傘が大量にかけられていて、埃を被っており、安いカーペットの床にはトイレで使うような古びたスリッパが一組出してあった。その横に大量のスリッパが破れた段ボールの中に詰め込まれていた。


 男は仕方なく靴を脱いだ。いかにも高そうな茶色い革靴だったが、実は一足三十万する代物で、靴下さえもシルクでできていた。その人はそんな寂れた場所に相応しくなかったし、男の人生にそんな場所は無縁だった。


 男は建物の汚さに辟易していたが、ここなら誰も来ないんだろうと安堵してもいた。


「どうぞ」


 女は玄関を入って左手の障子を開けた。そこには、畳敷きの広い座敷があった。奥にはステージもあり、まるで温泉旅館のお座敷をコンパクトにしたような感じだった。恐らくそこで町の寄り合いや忘年会をやるのだろう。照明が点いていたが、所々蛍光灯が切れていて薄暗かった。


 そして、その部屋の端に布団が敷かれて、ぼさぼさの髪の女が向こうを向いて寝ていた。その場所にどうして布団あるのか不思議だが、そこは災害の時の避難場所や、祭りの時の詰め所になっているんだと男は思い納得した。


「こんな所で?落ち着かないなぁ…」男は腕を組んで笑った。

「でも、ここなら誰も来ませんから。やっぱりこういうのは違法ですからね…」

 女は口ごもった。

「そうだろうね」

「じゃあ、前金で」女は余計な話をするつもりはなさそうだった。

「うん」

 男は白い封筒を差し出した。女はそれを男の目の前で開けると、中に入っていた一万円札を数え始めた。ちょうど十枚あることを確認すると、務めて平静を装った。

「はい。確かに」

 女は封筒を無造作に折り曲げると、尻のポケットにしまった。

「じゃあ、2時間後に来ますんで…風呂場は玄関の奥にあるトイレの横にあります」

 男はそんな風呂場を使いたくないと思いながら、部屋を一周眺めた。そして、しばらくして口を開いた。

「2時間は短いなぁ…あと、5万出すから、夜まで見に来ないでほしいんだけど…」

「10万でしたらいいです」

 女は吹っ掛けた。

「わかった」

 男は財布を取り出したが、有名ブランドのものだった。真新しい。男が蓋を開けると、そこには現金が100万ほど入っていた。そんな人にとって10万なんてはした金なのだと女は気が付いた。もっともらえばよかったと女は歯ぎしりした。

「じゃあ、ごゆっくり」

 女はぺこっと頭を下げた。

「それから、外から鍵を掛けて行ってくれないか?人が入って来ないように」

「わかりました」

 女はもう一度頭を下げた。ちょっと気味が悪いなと思いながら、座敷から出て行った。悪い予感がする。もしかして、子どもに怪我をさせたりするんじゃないか。最悪殺されたりして…そしたら、もう商売上がったりだ…。それより、警察沙汰はごめんだ。


 さっき布団に寝ていたのは実の娘だった。女はもともと売春で生計を立てていたが、年を取って客が取れなくなると娘を使って商売をするようになっていた。女は若ければ若いほど人気がある。娘は三人いるから、あいつが駄目になっても大丈夫だ。女は覚悟を決めた。


 今日連れて来たのは、中学二年の次女だった。元は長女に客を取らせていたが、男を作って昨年の暮れ頃に家出してしまった。今はどうしているかわからない。長女の方が見た目がよかったから人気はあったが、田舎だから貧乏な人しかおらず、それほど稼げなかった。一方次女は最近デビューさせたばかりで、単価が高かった。


 女は車を赤い軽自動車を運転しながら、娘がこの後どうなるかと不安を感じていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る