第6話

 お前なんか〇ねばいいのに。本当は顔を引っぱたきたかったが、人目があるからそれはできなかった。


「どうしましたか?」

 ふと上の方から声がした。女はそちらを見た。優し気な男性の声だ。鉄道会社の人かと思ったら、身なりのいいスーツ姿の男が通路に立って、自分たちを見下ろしていたのだった。

「乗り物酔いしてしまって…さっきから、うるさくてすみません」

 女は周囲にも聞こえるようにはっきりと謝った。具合が悪いのだから見逃して欲しい。女はその場で言い訳したかった。

 男は何も答えず子どもに話しかけた。

「乗り物酔いか…大変だね。気持ち悪いの?」

 女の子は泣きながら頷いた。

「僕は医者です」

「あ、はあ…」

「ちょうど酔い止めの薬があるので…これを飲んでごらん」

 と、言って白い錠剤を差し出した。女の子は大人しく差し出された薬を飲んだ。そして、男は女の子の横の席に座ると、女の子の髪を撫でて、今、楽になるからねと言って、首に手をかけた。女の子は静かになった。

「ちょっと寝かせてあげた方がいい」

 男は独り言のように言った。シートのひじ掛けを上げて、女の子の上半身を寝かせた。そして、脱いであったピンクのジャンパーを女の子の上半身にかけた。

「もう、大丈夫ですよ。薬で落ち着いたみたいです」男は頼もしい声で言った。

「ありがとうございました」

 母親は娘が静かになったのでほっとした。男は「じゃあ、お気をつけて」と、言ってその場を立ち去った。そのスマートさは惚れ惚れするくらいだった。いいなぁ。自分とは住む世界が違う雲の上の人だ。顔をちゃんと見られなかったが、ハンサムだった気がする。女は胸の中が熱くなった。


 それから、女は唾液で汚れた手を洗いに行った。そして、席に戻ると、眠たかったので、目を閉じて終点まで寝ることにした。しかし、しばらくは頭の中で明日の仕事のことや、家に帰ったら娘の保育園の準備をしなくてはいけないことなどを考えていた。


「終点です」


 唐突に若い男性の声がした。女はすぐに我に返った。女は自分が終点まで熟睡していたことに気が付いたのだった。こういう時はやはり恥ずかしいものだが、車掌は女たちが下りるまでそこで待っている。その車両は回送電車だから車庫に入ってしまうらしい。女は慌てた。

「起きて」

 女は娘を起こそうと、腰の辺りを揺すった。

 あれ…女はぎょっとした。

 女の子の体が硬く冷たくなっていた。

「きゃっ!」

 女は悲鳴を上げた。

 車掌が驚いて女の子の顔を覗き込むと、その子は目をかっと見開いて、鼻と口から血を流していた。顔は紫色だった。


 

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