第4話

  年末商戦も無事に終わった。

 雄一は、奄美大島での四ヶ月の間にいろんな経験をすることが出来た。彼は、『人生にとっては無駄な経験は一切ない』と云う信念を持ち続けている。直ぐには、結果が出なくても、必ず己にとって必要だから経験させられているのだと考えていた。

 特別に他人から言われたとか、教えられた訳ではない。己自身の実体験で導き出した信念だった。そして、この信念は死ぬまで捨てることは無いだろうと確信している。

 来年(平成六年)の正月は、雄一は福岡には帰らずに、奄美大島で迎えることに決めたのである。

 社員の殆どの者が帰らずに島に残って、島で正月を迎えるつもりだった。三十一日の二十時まで仕事をして、新年の初売りが四日である。わざわざ帰る意味がない。それよりは、奄美大島の正月の状況を体験する方が、どれだけ有意義か知れない。彼はそう思った。

 三十一日は、通常の閉店より一時間早い二十時の閉店である。これは、アスカ全店舖共通であった。そして、全スタッフが会議室に集合した。店長が、皆にねぎらいの言葉を掛けて、来年のさらなる発展を祈念して、全員で乾杯して締めくくったのである。

 大晦日おおみそかのの売り上げは八千九百万円だった。

 雄一は屋仁川やにがわ通りに、課長たちと連れ立って飲みに行った。カラオケで歌い、バ-で踊り、スナックで騒いだ。三次会まで付き合って、アパ-トに帰り着いた時には新しい年になっていた。

 平成六年。雄一三十九歳の新年であった。

 高千穂神社で参拝を済ませて、店長宅で飲んで、食べた。互いに様々な情報も仕入れることも出来たのである。

 アスカは店長には、店長社宅を与えていた。一方、自分の持ち家で、自宅から出勤している店長には手当を付与していたのだった。転勤の多い店長職への措置であった。社宅の場合、七万円を補助したのだった。社宅の条件としては、店舗まで三十分以内に着く距離であること。手段は何でも良い。徒歩でも、交通機関、タクシ-でも構わなかった。概ね三キロ以内の距離である事であった。

 奄美大島では七万円出せば結構な一軒家が借りられた。一人で住むのは贅沢なくらいだった。優遇措置の理由は、店舗の責任者として緊急時にいち早く駆け付けて、対応する必要があるからである。次長の雄一には二万五千円の住宅手当が付くのみだった。

 雄一の休みの日の過ごし方はパタ-ン化して来た。現在は三つの項目に分類している。

 一つは島の観光。レンタカーを借りて島を巡り、島のスポットに精通する。移動手段は、レンタカーに限らず、奄美交通のバスであったり、場合によってはタクシ-、船、自転車、徒歩でも良い。兎に角、観て回る事であった。二つ目は釣り。主として岸壁での釣り。船釣りもあり。三つ目は、パチンコ。この時はひたすらパチンコ店を巡り、勝を取る。そして、この三つをバランス良く回していくと云うものだった。

 このお蔭で、以前のような無目的な行動は少なくなった。ストレスも軽くなった。それに、何よりも島に友人、知人が増えたことが一番嬉しかったのである。

 殆どの社員は、自分の方からは島の人達に近づくことを積極的にはしなかった。本当にもったい無いことである。と雄一は思っていた。

ごうっては郷に従え】である。

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