第3章:小さなステージと大きな不安

 婚約発表会見を終えて数日後、俺――三峰ジンの生活は激変していた。「温泉街の若旦那とアイドルが婚約」というセンセーショナルな話題が、一気に広まったのだ。会見直後から地元メディアが煽るように報じたこともあり、近隣住民の間でも「見たぞ」「本当なのか?」と口々に話されるようになった。


 もっとも、俺自身の身の回りが派手になったかと言えば、そうでもない。学校では一部の友人が面白がって「お前、婚約ってどういうことだよ?」と冷やかしてくるし、教師からは「事情があるなら学校は続けられるのか?」なんて真顔で質問されることもあったが、全体としては「どうせ町おこしの企画だろう」という空気が強かった。ネットを中心に「これってやらせじゃないの?」なんて意見も飛んでいると聞く。実際、やらせと言われれば否定できないのだが、あくまでも“期間限定”という約束を盾に、俺はとりあえず毎日を送っていた。


 一方で“婚約者”であるヒナたち「スパークル・ステージ」は、いよいよ本格的にライブ活動を始めようとしている。町長や商工会が中心となって準備してきたイベント広場で、彼女たちの初の正式ライブが開催される予定なのだ。名前だけの「ご当地アイドル」ではなく、実際にステージを作ってライブを打ってこそ、活動実績になる。SNSでも告知をしているらしく、反応はそこそこあるようだ。


 「とはいえ、ここはさびれた温泉街。どれだけ人が集まるんだろう……」


 ある日の放課後、帰りのバスに揺られながら、俺はそんな不安を抱え込んでいた。花火大会や祭りならまだしも、突然始まるアイドルのライブだ。町ぐるみで盛り上げたいという意図はわかるが、実際に観客が足を運んでくれるのか疑問は残る。


 (それに、ヒナのダンスってどうなんだろう……)


 脳裏に浮かぶのは、ヒナの必死な姿だ。聞けば、ヒナはアイドル活動を始めるまでダンス経験がほとんどなく、歌唱力もメンバーの中では特段優れているわけではないらしい。ただ、彼女には強い責任感とリーダーシップがあり、どんな無茶な要求にも応えようと必死に努力するところがある。それは間近で見ている俺からすれば尊敬に値するが、同時に「無理してないかな」と心配になる面もある。


 ガタガタとバスが揺れ、車窓の外には夕暮れに染まる山の稜線が見える。観光目的でこの街に来る人はどのくらいいるのだろう。日が暮れると温泉街はほとんど真っ暗になる。いっそ夜のライトアップでもやればきれいかもしれないが、財政的にそんな余裕はないと、ばあちゃんたちも嘆いていた。


 バスを降りて旅館へと続く石畳を歩いていると、遠目に何やらステージらしきものが組まれているのが見えた。ここ数日で急ピッチで建設されたイベント広場の簡易ステージだ。照明や音響設備は町長が頑張って調達したらしいが、本格的なライブ会場と比べると規模は相当に小さいだろう。それでも、ここがヒナたちにとって初の“正式ライブ”となるわけだ。



 旅館へ入ると、玄関口でばあちゃんが客を出迎えていた。見ると、初老の男性とその奥さんと思しき二人連れで、どうやら温泉療養に来たという。こぢんまりした荷物を抱え、「こんな静かな場所がいいねえ」と話している。俺が会釈をすると、ばあちゃんはニコニコしながら「あんたもほら、案内してあげてちょうだい」と声をかける。


 「いらっしゃいませ。お部屋へご案内いたします」


 久々に、ほんの少しだけ“旅館らしい仕事”をした気がする。やはり客が来ると嬉しい。俺は荷物を預かり、廊下を通って客室まで誘導する。着いた先でお茶を入れながら、軽くこの街の見どころや、今度のライブ企画などの話をする。


 「ライブ? アイドルかね。そりゃ珍しい。わしらにはあんまり関係ないかもしれんが、若い人が増えるのは活気があっていいことだ」


 そう言って笑ってくれた老夫婦に、俺はほっと胸をなでおろす。こういう反応がもっと広がれば、この街は変わるかもしれない。少しだけ希望を感じた。


 だが、一方で宿泊客全体の数は相変わらず少ないままだ。今夜はこの老夫婦ともう一組、仕事関係らしいビジネスマンが泊まるだけ。ラッシュになるほどの活況にはまだ程遠い。



 その夜。ひと通り旅館の業務を終えたあと、俺は裏口から抜け出してイベント広場をのぞきに行った。ステージの様子が気になって仕方なかったのだ。すると、薄暗いライトに照らされて、アイドルメンバーたちが練習をしている姿が見える。まだ通行人のほとんどいない道を挟んで、彼女たちは音楽を流しながらステップの確認をしていた。


 「……がんばってるんだな」


 そうつぶやきながら近づくと、スタッフ用の簡易テントで着替えやメイクの道具が雑多に置かれているのがわかる。そこにサヤがいて、こっそりとタオルや飲み物を整理していた。彼女は俺に気づくと、小声で「あ、ジンくん!」と手を振ってくる。


 「サヤ、こんな時間まで練習してるのか?」


 「うん、明後日に本番だからね。やれるだけやっておきたいってヒナが言い出して……。でも私たち、普通に疲れて寝たい気分だったりするよ~」


 冗談めかして口をとがらせるサヤ。だが、その表情には一生懸命さが感じられる。ヒナの熱意に引っ張られているのだろうか。

 「ヒナ、ダンスはもともと習ってないって聞いたんだけど、本当に大丈夫?」


 俺がそう尋ねると、サヤは少し笑い、そして肩をすくめる。


 「正直、最初は全然踊れてなかった。でも、ものすごい勢いで練習してるんだよ。事務所のダンス指導の動画を見ながら自主トレも欠かさないし、眠い目をこすりながら朝練までしてる。私たちよりも根性あるかも」


 聞けば、ヒナは“婚約騒動”で話題になった反面、「所詮は形だけのリーダーだろう」「見た目だけはいいけど、歌もダンスも素人」などという声がネットで上がっているのを気にしているらしい。それを吹き飛ばすためにも、彼女は自分が一番努力しなければならないと奮起している。

 (……そんな陰口があったなんて)


 俺は胸がチクチクする。思い返せば、婚約発表から何日も経っていないのに、ネットでは早くも「ゴリ押し企画」「嘘くさいカップル」などと書かれているという話を耳にした。ヒナにとっては、リーダーの仕事と婚約者設定を同時にこなすプレッシャーが相当な重荷になっているはずだ。


 「サヤ、ヒナは無理してないかな。ちゃんと休めてる?」


 「うーん、正直休めてないと思う。私も時々“ちゃんと寝よう”って声をかけるんだけど、ヒナはリーダーだからって言って聞かなくて。ミツキやナナもヒナを心配してるんだけどね……」


 サヤが困ったように眉をひそめる。やはり、彼女たちもリーダーを支えたいのだろう。しかし、ヒナの性格上、一度決めたことはとことんやり抜くタイプだ。

 「じゃあ、少し俺のほうからも声をかけてみるよ。無理しないようにって」


 「うん、そうしてあげて。ヒナ、ジンくんの言うことなら少しは耳を傾けるかもしれないし」


 サヤの言葉を受けて、俺は決意する。何かできることがあるなら、やるしかない。せっかく“婚約者”を名乗っているのだから、少しはその立場を有効に使わなくてはいけないだろう。

 「ありがと、サヤ。また何かあったら教えてくれ」


 言い残してステージへ向かうと、ちょうど曲が終わったらしく、ヒナが大きく息をつきながら給水ボトルを手にしていた。彼女の額には汗がにじみ、息遣いは荒い。隣ではミツキとナナがストレッチをしており、それぞれ疲労を溜め込んでいる様子がうかがえる。


 「ヒナ」


 俺が声をかけると、ヒナは驚いたようにこちらを振り向く。そして、少しバツが悪そうに笑った。


 「あれ、ジン? こんな遅い時間にどうしたの?」


 「旅館の仕事が一段落したから、ちょっと様子を見に来た。明後日が本番だし、頑張ってるみたいだね」


 言いながら、彼女の手にあるボトルがほとんど空になっているのを目にして、近くにあったポットから冷たい水を注いで渡す。


 「ありがとう。ごめんね、せっかく寝てたところ起こしちゃった?」


 「いや、別に。俺も気になってたんだ。ヒナ、最近ちゃんと休めてないんじゃないかって」


 ヒナは一瞬、目をそらす。それが答えだろう。彼女はちょっと照れ隠しのように、「大丈夫だよ、まだまだイケる」と笑顔を作るが、その笑顔がややぎこちないのは否めない。


 「ヒナ、リーダーだからって無理しすぎないでくれよ。お前が倒れたらライブができなくなるし、俺としても……婚約者が体を壊したら心配だしさ」


 言葉を選びながらそう告げると、ヒナはわずかに表情をゆるめる。ステージ衣装ではなく、動きやすいジャージ姿のヒナは普段とは違う雰囲気だ。少し幼く見えるというか、等身大の女の子だと思わされる。


 「……ありがとう。ジンには心配ばかりかけちゃってるよね。でも、私が頑張らなきゃ、みんなに示しがつかないから」


 「それでも、体が資本だろ? 今日はもう遅いし、早めに上がって休めよ。ミツキたちも疲れてるだろうし」


 俺がそう言うと、近くでストレッチをしていたミツキが「全然休みたいです!」と大きく手を上げる。思わずヒナは苦笑いし、サヤやナナもこくこくとうなずいていた。


 「仕方ないなあ……みんな、もうちょっとだけやったら終わりにしよう。私も……ちょっと足が重くなってきた」


 ヒナがそう宣言すると、メンバーは安堵の表情を浮かべる。練習は確かに大事だが、疲れ果てるまでやっても効率が悪い。これ以上の根を詰めると、本番で力を発揮できなくなる可能性だってある。

 俺は彼女たちが音楽をかけ直し、最後の一曲を踊り始めるのを見届ける。曲名はまだ公開前のオリジナル曲らしいが、覚えやすいメロディと振り付けで、そこそこキャッチーだ。ヒナの動きはぎこちない部分もあるが、一生懸命さが伝わる。そこにミツキやサヤ、ナナのサポートが噛み合えば、素人目にはそれなりにまとまったパフォーマンスになっているように見えた。


 (もう少し練習すれば、思った以上に見栄えがするかも)


 そう感じた矢先、曲が終わると同時にヒナが大きく息をつき、膝に手をついている姿が目に入った。汗がポタポタと地面に落ち、薄暗い照明に照らされてキラキラと光る。俺は駆け寄り、急いでタオルを差し出す。


 「お疲れ……やっぱり相当しんどそうだな」


 「だ、大丈夫……ちょっと、息が切れただけだから……」


 ヒナは息を整えようと胸を抑える。頬は赤く、目尻にうっすら涙が浮かんでいるのは、きっと悔しさや情けなさも混じっているのだろう。彼女は並みの練習量ではないはずだ。

 俺は無言でタオルを彼女の肩にかけてやる。するとヒナは小さく微笑み、「ありがとう、ジン」とささやく。練習が終わったメンバーは一斉にテントへ荷物を取りに戻り、今日の練習はこれでお開きという空気になった。



 翌日は金曜日。明日がいよいよ「スパークル・ステージ」初の正式ライブとなる。週末には多少なりとも観客が増えることを見込んでいるが、実際にどれだけの人が集まるかは未知数だ。町長は「少なくとも百人は来るだろう」と豪語しているが、果たして……。


 その日の放課後、俺は学校から真っ直ぐイベント広場へ向かった。ステージの仕上げや機材のチェックがあるというから、旅館の仕事を一部ばあちゃんに任せて早めに抜けさせてもらったのだ。アイドルの一員ではないが、裏方としてできる限りサポートしたいと思ったからだ。


 広場へ着くと、すでに音響スタッフらしき人々がスピーカーやミキサーを調整していた。小さなサウンドテストの音が響き、マイクから「チェック、ワンツー、ワンツー」と声が聞こえる。周囲には手作り感満載の看板が立てられ、「ご当地アイドル初お披露目ライブ」といった文字が掲げられていた。

 「……これで本当に人が来るのか?」


 内心で不安を抱えつつ、俺は運営スタッフに声をかける。「お疲れさまです。何か手伝えることありますか?」と尋ねると、「じゃあ、照明の位置合わせを手伝ってくれないか」と頼まれた。正直ど素人だが、脚立に登ってライトの向きを微調整するくらいならなんとかなる。


 汗をかきながら照明の向きを合わせたり、コードがちゃんとつながっているかをチェックしたりしているうちに、あっという間に夕方になった。ヒナたちは観光協会でちょっとした打ち合わせをしているらしく、まだ姿が見えない。すると突然、町長がやって来て、俺を見つけて手を振った。


 「おー、ジンくん。今日はありがとうね。裏方まで手伝ってくれるとは助かるよ」


 「いえ、せっかくのライブですし、少しでも盛り上がればと思って……でも、町長、本当にお客さん来るんですか? 告知はそんなに大きくしてないですよね」


 俺が思わず本音をもらすと、町長は苦笑いしながら肩をすくめる。


 「まあ、確かにな。SNSでそこそこ拡散してるとはいえ、都会のライブみたいにドカンと人が押し寄せるわけじゃない。でも、観光バス会社に声をかけたり、県内の若者向けサイトにイベント情報を載せてもらったり、いろいろ手は打ってるんだ。何より、先日の婚約発表がいい宣伝になったからな。多少は興味を持ってくれてる人もいるんじゃないかと思うんだけど……」


 婚約発表の反響は、当初の想定以上に大きかったらしい。ネットニュースでも取り上げられ、一部では「やらせかも」などの否定的意見も含めて話題が続いている。確かに、それがきっかけでライブを見に来る人がいるかもしれない。しかし、その数がどれくらいになるのかは未知数だ。


 「ま、実際はフタを開けてみないとわからんさ。……そうだ、ジンくん、婚約者であるヒナちゃんも本番に向けて燃えてるだろうから、しっかり支えてやってくれよ。リーダーは責任重大で大変だろうしね」


 町長がにやっと微笑み、軽く肩を叩いてくる。俺は少し照れながら、「はい、もちろんです」と答えた。

 そう、俺はただの裏方でありながら、アイドルの“婚約者”という大役を背負っている。ヒナが立派なステージを作り上げられるよう、俺も全力でサポートするしかないのだ。



 そして、ライブ当日の朝がやって来た。天候は薄曇り。雨の心配はなさそうだが、快晴というわけでもない。この微妙な空模様が、どことなく不安をかき立てる。


 「ご当地アイドルお披露目ライブは、今日午後三時からスタートいたします!」


 広場の入り口で、商工会のスタッフが元気よく声を張り上げている。近くには土産物や軽食を売る露店が数軒出店し、ほんのりお祭り気分を演出していた。しかし、開始の一時間前になっても、観客と呼べるほどの人はまだ集まっていない。ちらほらと地元の人が覗きに来ている程度だ。

 「うーん、ちょっと寂しいな……」


 俺は裏方テントで準備を手伝いながら呟く。すると、メンバーのミツキが苦笑いしながら「まあ、始まってみなきゃわかんないよ!」と励ましてくれる。ヒナはまだ楽屋代わりのテントでメイクをしている最中らしい。


 やがて開始の三十分前、ようやく観光客らしき人影がぽつりぽつりと増えはじめた。中には観光バスで団体が到着したのか、比較的若い層も混じっている。さらに、ネットでこの情報を得たらしいアイドルオタクっぽい男性数名の姿まであった。彼らがライブを見に来たのだとしたら、ずいぶん熱心だ。

 「ありがたいな……少しはお客さんがいる」


 そう思っていたところに、ヒナが楽屋テントから姿を見せる。ステージ衣装は、先日の会見で着ていたものとは異なる、よりカジュアルでポップなデザインだ。白を基調にパステルカラーのフリルをあしらったブラウスとスカート。それに、各メンバーの個性を出すためのアクセサリーがキラキラと光っている。ヒナはピンクのリボンを髪にあしらっていて、清楚さと可愛らしさを同時に演出していた。


 「ジン、おはよ……ってもう昼か。緊張してる?」


 ヒナが控えめに笑う。俺は思わず「いや、俺よりヒナこそ大丈夫か?」と返した。

 「うん、正直すごく緊張してるけど……でも、やるしかないから。やっぱり舞台に立つときはプレッシャー感じるよね」


 先日の深夜練習の疲れは回復したのか、彼女の瞳はしっかりと意志を宿しているように見える。メンバーを見ると、サヤはいつものふわふわ感の中にどこか高揚が混じっているし、ミツキは「オッケー、全力出すよ!」と気合を入れている。ナナは相変わらず口数が少ないが、表情は引き締まっていた。


 「スパークル・ステージのみんな、そろそろ出番ですよー」


 スタッフが呼びに来る。いよいよだ。時計を見ると、午後三時まであと数分。ステージ袖に立った彼女たちは、観客の入りをチラリと覗いていたが、予想以上にまばらな光景に気づいたようだ。ヒナの表情が一瞬だけ曇る。


 (そりゃ落ち込むよな……)


 それでも、ヒナはすぐに表情を引き締めた。彼女はメンバーに声をかけ、小さな円陣を組む。


 「みんな、初ライブだし、観客が少なくても気にしないで楽しもう。私たちが笑顔でいたら、絶対その気持ちは伝わるから。……いくよ、せーの!」


 「スパークル・ステージ、ファイトー!」


 四人が手を重ね合わせて気合を入れる。俺は裏からその光景を見守るだけだけど、熱いものが込み上げてきた。彼女たちは必死にこのステージを成功させようとしている。だったら、俺は陰でサポートするまでだ。



 午後三時、司会担当のスタッフがマイクを握り、「皆さま、本日はご当地アイドル『スパークル・ステージ』の初ライブにお越しいただき、誠にありがとうございます!」というアナウンスを流す。拍手……が起こるが、やはり観客は予想よりも少ないらしい。ざっと数えて二十人ほどか。それでも、通りがかった観光客が足を止めてくれたりもして、少しずつ増える可能性はある。


 「それでは早速、メンバーの登場です! どうぞー!」


 高揚感のあるBGMとともに、ヒナたち四人がステージに駆け出る。客席……というか立ち見スペースにいる人々から控えめな拍手と歓声が上がる。その中で、ヒナは堂々とマイクを握り、少しだけ息を整えてから挨拶を始める。


 「みなさん、こんにちは! 私たちは“スパークル・ステージ”です。今日はこの温泉街で初めての本格的なライブを開催することになりました。小さなステージではありますが、精一杯の歌とダンスをお届けしたいと思います!」


 彼女の声はよく通る。これまで練習していた成果だろう。続いてミツキ、サヤ、ナナがそれぞれ自己紹介を挟み、簡単なMCトークで場を温める。客席から「がんばれー!」という掛け声が飛ぶのを聞き、彼女たちは笑顔を見せて応える。


 やがて、曲のイントロが流れ始める。一曲目は先日深夜練習で見たオリジナル曲だ。ヒナの動きに注目していたが、やはりぎこちない部分はある。ただ、笑顔を絶やさず、懸命にリズムを取っているのが分かる。サヤやミツキ、ナナもフォローに回りながら全体をまとめている。アイドルとしてはまだまだ粗削りだが、“新人グループ”ならこんなものかもしれない。少なくとも、明らかに手抜きではない本気のパフォーマンスがそこにあった。


 しかし、観客の熱気はどうか。辺りを見回しても、盛り上がっているのは前列の数名だけだ。おそらくSNSを見て来てくれたファンっぽい人たちだろう。後方の方では「誰これ?」「アイドル……?」「温泉街がこんなことしてるの?」という冷めた会話が耳に入ってくる。


 (……やっぱり、厳しいな)


 胃のあたりが重くなる。アイドル市場は競争が激しいと聞く。そんな中、ド田舎の温泉街が急に始めたライブに、どれほどの人が興味を持つのか。そもそも観光客が少ない土地だ。大成功を収めるには、あまりにもハードルが高いだろう。


 それでも、ステージ上のヒナたちは曲を変え、MCを挟みながら明るい声と笑顔で観客を引っ張ろうとしている。ヒナがアドリブで「この街には素敵な温泉と美味しい食べ物がたくさんあります! ぜひ、ライブのあとも楽しんでいってくださいね!」と呼びかければ、客席からは少しばかり拍手が起こる。次の曲ではサヤが煽り役に回り、なんとか客席の一部を巻き込もうとしていた。


 曲数はまだ少ないが、一曲一曲のインパクトを高めるべく、彼女たちはMCパートを挟み込む。最初こそまばらだった観客が、少しずつ立ち止まって興味を示すようになり、結果的には四十~五十人ほどが集まったように見える。完全な成功とは言えないが、ゼロではなかった。



 やがて、最後の曲が終わり、ヒナたちは汗だくのまま客席に向かって深々とお辞儀をする。拍手はそこそこ起こった。なかには手を振ってエールを送る観光客や、スマホで撮影している人の姿もあった。曲やダンスの完成度を問えばまだまだだが、この温泉街で行われるイベントとしては、それなりに“動き”を生み出せたのではないかと思える。


 舞台袖で待機していた俺は、タオルとドリンクを用意して彼女たちを出迎える。ヒナは完全に息が上がっており、汗が頬を伝って滴っていた。


 「お疲れ……とりあえずこれ、飲んで」


 「あ、ありがとう……はあ、はあ……なんか、あっという間だった……」


 ヒナはボトルを受け取り、ごくごくと水分補給をする。ミツキ、サヤ、ナナも同様にへとへとの様子で、スタッフに支えられるようにして椅子へ腰を下ろす。


 「客、少なかったね。もっとたくさんの人が来るかと思ってたけど……」


 ミツキが悔しそうに言うと、サヤが「でも、思ったより盛り上がってくれてた気がするよ? 後半は特に」とフォローする。ナナは頷きながら、「最初は冷たい視線もあったけど、最後は拍手してくれた。そこは大きい」と小さくつぶやいた。


 そしてヒナ。彼女はすっかり疲弊しているはずだが、瞳には決意の光が宿っていた。


 「……来てくれた人には、本当に感謝だよね。下手なところもあったのに、温かく見守ってくれた。……悔しいけど、もっともっと頑張らなきゃって気持ちになったよ」


 弱音を吐くよりも先に向上心が勝つあたりが、ヒナらしい。俺はそんな彼女の頑張りをねぎらいたくなり、そっと肩に手を置いてみる。


 「本当にお疲れさま。初ライブなんだから、十分じゃないか。次に繋げられればいいと思うよ」


 「うん……ありがとう、ジン。裏方も大変だったでしょ?」


 「まあね。でも、ヒナたちに比べれば大したことないさ」


 実際、俺は照明をちょっと手伝ったり、ステージ裏で備品の整理をした程度だ。ダンスや歌と違って肉体的に激しいわけでもない。彼女たちがどれほどの汗と努力をかいたかを思えば、俺の疲れなんて大したことではない。



 そんなふうに初ライブを終えた夜、地元の小さな飲食店で打ち上げが行われた。未成年の俺たちはもちろんソフトドリンクだけだが、町長や商工会のメンバーが「よく頑張ったなあ」「まだまだ改善の余地はあるけど、初回としては合格点だ」と、そこそこ上機嫌に語り合っている。


 しかし、その場には少々冷めた視線を送る人々もいた。


 「アイドルの皆さん、まあお若いし可愛いんだけど、こんなに地味じゃ人を呼ぶのは難しいかもねえ……」

 「それに、あの婚約ってホントなのかしら? お芝居にしか見えなかったって人もいるわよ」


 こそこそとささやかれる声が、まるで小さな針のように胸を突き刺す。実際、俺とヒナが同席している席でも、ちらほらそんな話題が聞こえてくる。町の人々も、本当に信じているわけではないのだ。“婚約”と称してはいるものの、所詮は町おこしのための見世物と見なされている節がある。


 「……やっぱり、そんな風に思われてるんだね」


 ヒナが小声でつぶやく。明るく振る舞おうとしていたのに、そういった陰口を耳にすると、さすがにショックだろう。俺も同じ気持ちだ。

 「まあ……仕方ないよ。実際、企画で始めたことだし。最初から信用されるなんて思ってなかったけど……もう少し何かできたらな」


 俺も悔しさを噛み締めるが、何をどうすればいいのかはわからない。ヒナたちが頑張ってライブを成功させても、街の雰囲気が急に変わるわけではないし、“婚約設定”が本物だと信じてもらえるわけでもない。とはいえ、俺たちはここで諦めるわけにはいかないのだ。


 「ヒナ……大丈夫か?」


 ヒナは困ったような笑みを浮かべながら、グラスを握りしめる。ノンアルコールのジンジャーエールが氷とともにチリチリ音を立てている。


 「うん、そりゃあ凹むけど……でも、こういう意見があるのはわかってた。今のステージや企画じゃ、信じてもらえないのも当たり前だよね。私たち、まだまだ新人だし、どこの馬の骨だかわからないアイドルだし……」


 「そんな……ヒナたちは一生懸命やってるし、みんなの前で恥ずかしげもなくダンスを見せてくれたじゃないか。それだけでもすごいことだと思うよ」


 「ありがとう。でもね、私、もっともっと頑張りたいんだ。ジンをはじめ、たくさんの人が手伝ってくれてるんだから、ここで止まってられないっていうか……」


 彼女の瞳に浮かぶのは決意と焦燥。それを見ていると胸が詰まるような思いがこみ上げる。婚約者を演じているけれど、こうして会話をするうちに、彼女の真っ直ぐな性格に惹かれつつある自分に気づいてしまう。しかし、それはまだ言葉にできるほど明確な感情ではない。ただ、とにかくヒナが傷つく姿は見たくないし、少しでも力になりたいと思うのだ。



 打ち上げの席から離れ、夜の温泉街を帰りがけに歩く。ヒナと二人きりになれる時間は貴重だ。旅館まではさほど遠くないが、この静まり返った街の石畳を、一緒に歩いているだけで不思議な感覚がある。


 「今日は本当にお疲れさま。体は大丈夫?」


 「うん、なんとか。足はちょっと筋肉痛だけど……明日ゆっくり休んで、また練習したいな。もっとステージをよくしたいから」


 ヒナの口調からは疲労よりも意欲のほうが感じられる。俺は微笑み、「そうか、頑張り屋さんだな」と返す。すると、彼女は照れたように視線を伏せた。


 「……そういえば、ジンはここで生まれ育ったんだよね。小さい頃って、どんな街だったの?」


 不意に振られた話題に、俺は少し考える。言ってしまえば、今よりはもう少し賑わいがあった。観光客も多く、週末には露店や屋台が出たり、道端でイベントを開いたりすることも珍しくなかった。けれど、テーマパークの台頭や交通アクセスの問題などで、あっという間に観光客が減ってしまったのだ。


 「昔はもうちょっと活気があったんだよ。ばあちゃんが女将として走り回って、じいちゃんが温泉や料理の説明をして、俺はただ見てるだけで楽しかった。……でも、今はだいぶ客足が減って、もうあの頃の盛り上がりはない。旅館もいつ畳んでもおかしくないって言われてるしね」


 自嘲気味にそう語ると、ヒナはしばらく沈黙した後、小さく微笑んだ。


 「でも、ジンは諦めてないんだよね? だからこそ、この企画に乗ってくれたんでしょう?」


 「……まあね。やっぱり、ばあちゃんが元気なうちに旅館を立て直したいし、温泉街を盛り上げたい気持ちはあるんだ。無茶だってわかってるけど、何もしないまま廃れていくのを見るのは嫌でさ」


 答えながら胸が熱くなる。これは単なる企画では済まされない。俺にとっては家族と街の存続がかかっているのだ。ヒナもその思いに共感してくれたようで、そっと手を伸ばして俺の腕に触れた。


 「ジン、私たち……かなり難しい挑戦をしてるんだと思うけど、絶対に最後まで頑張ろうね。婚約者としても、アイドルと裏方としても、支え合いたい」


 その言葉に、俺の胸が強く締めつけられる。いつの間にか“婚約者”という言葉が、ただの設定ではなくなりつつある気がした。もちろん、本当の意味ではまだ遠いかもしれない。でも、俺はヒナの意志を信じたいし、彼女が挫けそうになったら支えてあげたいと思うのだ。


 「うん、俺も……絶対にあきらめない。ヒナとなら、もしかして何か大きなことが起こせるかもしれない」


 どこかロマンティックすぎる物言いかもしれないが、深夜の温泉街はそんな幻想を抱かせるには十分な静寂と霧のような湯煙が漂っていた。薄暗い街灯の下で、俺とヒナはしばし言葉も交わさず、互いの気配を感じ合う。石畳を踏みしめる足音だけが、遠くへと消えていく。



 こうして「スパークル・ステージ」の初ライブは、大きな成功とは言いがたいまでも、一つの“きっかけ”を作ることには成功した。何より、ヒナと俺の関係性にも変化が生まれつつあるのを感じる。そして、周囲の人々――町の住民たちも、俺たちの婚約設定に対してまだまだ疑いの目を向けながらも、その可能性に期待している節がある。

 しかし、この先の道程は決して平坦ではない。観光客の少なさは依然として厳しい現実としてのしかかるし、ネット上には誹謗中傷まがいの書き込みも少なくない。ヒナの努力やメンバーの情熱だけで、全てを解決できるわけではないのだ。


 にもかかわらず、俺たちは進むしかない。町を守るため、旅館を存続させるため、そして――俺自身のまだ漠然とした思いに気づくためにも、止まるわけにはいかないのだ。


 新たなステージを求めて、ヒナたちは動き始める。そこに待ち受けているのは、さらなる試練なのか、それとも――。

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