差別と区別
猛木
差別と区別
私が思うに差別はそれの本質を知らずして行われるものであり、区別は本質を知って行われるものだと思う。
例えばLGBTQの人々への差別が格段に減ったのはこの頃多くの媒体からそれの情報が人々へ渡ったからだろう。
先程、「なくなった」と言わずに「減った」と言ったが、それはまだ差別が行われているという意味である。別に公の場で誰もがそれを迫害しているという意味ではない。しかし、ある意味ではそれの価値や存在意義を引き下げているとも言える。
それは”逆差別”の存在。逆差別というものは少数派、つまりは本質を知らなければ迫害されてしまいそうな人々を超過保護に扱い、超優遇することである。
とあるニュースがあった。アメリカのミスコンにおいて、トランスジェンダー女性が優勝したと。別にそのトランスジェンダー女性の容姿が努力によって磨かれ、他の誰よりも美しければ文句も先に言った逆差別もない。しかしそのトランスジェンダー女性の容姿は直接的に言って美しいどころか、醜く見えた。
他の出場者の方々は長時間の努力と縛り、そして生まれ持ったものの素晴らしさが垣間見える姿をしている。しかしトランスジェンダー女性は一体どうだろうか、その体は誰よりも大きく、油まみれでその表情も下手な厚化粧が乗っかっただけ。
なぜそのような人間がミスコンを優勝したのか、それは彼女? がトランスジェンダー女性であるからだ。先に言った”逆差別”が彼女を優遇させて優勝させてたのである。
他の出場者達は優勝に向けて並々ならぬ努力をしたが、実際に優勝したのは努力の欠片も感じぬ男である。
その結果どうなっただろうか、女性の地位は地に落ち。優勝したトランスジェンダー女性はネットで叩かれた。一体誰が得をしたのだろうか。この後に起こるであろう展開、その本質、成すべきことを知っていたのであらばこの逆差別は起こらなかっただろう。
しかし審査員が本質を知っていたのならばどうなっただろう。審査員はトランスジェンダー女性を1人の出場者と見て、それ相応の平等な判断を下すだろう。だが、その中で「トランスジェンダー女性を優勝させないなんて差別」などとのたうち回る何も知らない人間が文句を言ったりもするかもしれない。
しかし本質を知らずしてそのことに言及することすら、もはや私には差別にも感じる。だからこそ人は知らなければならない。区別するべきものの本質を。
黒人は昔差別されてたから優遇しないと、黒人は黒人だから素晴らしい。などと言う思考停止に陥らず。黒人の犯罪率は高いが、それは黒人の困窮率の高さから来るものである。とか、本質を知るべきである。そうすれば馬鹿の一つ覚えのように差別するのではなく、それを一人の人として接することができるのだ。
彼は優しい。彼は暴力的。彼女は魅力的だ。彼女はそうでもない。この言葉に差別は入るのか。いいや入らない、それはこの中に少数派はである者を示す単語がないからだ。
つまり差別をする人も逆差別をする人も、本当は少数派を実際に”人”とは思っておらず珍しい何か、とか保護動物のように認識しているのであろう。
それの本質を知り、それの友人となり親しい存在とあなたがなれば、その人はどうなるだろうか。ただ男が好きなだけ。ただ肌が黒いだけ。その人を人として扱う区別が出来るではないのだろうか。
その少数派の人が嫌われているのは単純にその人が少数派だからという訳ではなく、(多くの場合は)本当はただ性格が悪く能力が評価に見合っているだけなのだ。
だからこそ皆はそれの本質を知らなければならない。そして、彼ら彼女らを知って、一人の人間として扱うべきである。
差別と区別 猛木 @moumoku
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