本編

第1話 相合傘の下校

「月夜~、今日は何読んでるの~?」


 授業終わり、クラスメイトがパラパラと部活へ行くために教室を出ていく中、月夜は教室の自席でスマホに目を落としていた。女友達に声を掛けられた月夜はスッとスマホを操作して読んでいた画面から違う画面へと切り替える。


「マルクス・アウレリウスの自省録」


「ま、また難しそうなものを…… マルクス・アウ……?人の名前?」


「ローマの五賢帝の一人だよ。 哲人皇帝なんていわれている人でね。これは戦場で彼が自分の内面と――」


「あ~、いい、いい。説明いいから。 もう頭良いやつの考えはわっかりませ~ん」


 女友達は呆れながら退散していった。月夜と仲の良い友達だったが、今だけはちょっと邪魔されたくなかった。ちょうどいいところだったのだ。


 カモフラージュ用の画面から、月夜は元見ていた画面に戻す。


「ふふっ、ようやく、ようやく王子様とのイチャイチャ……」


 ニヤニヤ顔の月夜が読んでいたのは追放令嬢もののラノベであった。


 知的でカッコイイ大人な女性に憧れる月夜は、なるべく周囲にそういった印象を与えるよう頑張っていた。お年頃の彼女はちょっと見栄を張って難しい本を読んでいると友達に思わせたかった。本当はアニメ、ゲーム、漫画、ラノベが大好きである。


 月夜はラノベを読み進め、ようやく主人公が報われる展開に生唾を飲んだ。


 長かった。追放からここまで本当に長かった。ずっとお預けをくらっていた月夜は夢中になって読み進めていた。さっきまで晴れていた空にどんよりとした重い雲が広がっていくことなど気が付きもせず。





 切りのいいところまで読み終わり、スマホから充足感に満たされた顔を上げた時だった。教室の窓から外が真っ暗になっており激しい雨音が聞こえる。


「しまったなぁ。 傘が……」


 持って来ていなかった。とはいえ下校時間は過ぎている。どうしようかなぁ……と思いながら居室を出た彼女は下駄箱で靴を変え、玄関先の屋根の下でバケツをひっくり返したような雨を見ていた。時々、近くで雷の音がしている。


「影山さん?」


 不意に名前を呼ばれ、月夜は声のする方を振り返った。少し恥ずかしそうにしながら一人の男子生徒が視線を外して頭をポリポリと掻いている。


「ヨーちゃん? 何?そのよそよそしい呼び方?」


「あ、あぁ、えっと…… その、中学に入ってからほとんど喋らなくなったじゃん? なんか久しぶり過ぎて何て呼んでいいか……」


 それにちょっと大人びて美人になったなと思う陽太は、月夜に声を掛けづらくあった。高校生となり、知的な美人と学年でも高嶺の花扱いされつつある月夜である。彼女の努力は一応は実になっていたりした。


「あはははっ、なにそれ。 昔のままでいいじゃない?」


「じゃ、じゃあ、ツクちゃん。 一緒に帰る? 傘、無いんでしょ?」


「いいの?」


 月夜が聞き返すと黒い傘を手にした陽太は顔を真っ赤にして「うん」と頷いた。


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 陽太は傘を広げて月夜の上に差して自分も入る。


「ねぇ、ヨーちゃん。 なんかこの傘、やたらデカくない?」


「親父がネットで適当に買ったんだよ。 ”傘 大きい”で検索して一番上に出てきたヤツを買ったらこれだよ…… 友達にも笑われるしさ。 でも、役に立ったみたいでよかった」


「ぷっ、あははっ、おじさんらしいね」


 傘は二人が肩を寄せ合えば背負っているカバンも含めてすっぽり収まる大きさだった。陽太はドキドキしながら、月夜は何ということもなく、二人は雨の中を歩き始める。


「懐かしいね。 小学校の三、四年くらいまではこうやって雨の中一緒に帰ったこともあったっけ? あの頃はわたしが傘に入れてあげてたけど」


「忘れ物、多かったからな……」


 恥ずかしそうに口を尖らせる陽太を見て月夜はふふっと笑う。


「背、伸びたね。 昔はわたしのほうが大きかったけど。何センチ?」


「百七十五くらいか? ツクちゃんは?」


「百六十五かな?」


「女の子にしたらデカいな」


「女の子にデカいとか言うな」


「ご、ごめん……」


 陽太が気まずい雰囲気で黙ってしまった。しばらく沈黙が続いたあと、月夜はちょっと申し訳なかったなと思いながら口を開いて話題を提供する。


「ヨーちゃんは部活?」


「え? あ、あぁ、日曜に野球部の試合があって、その助っ人に呼ばれてて。 ま、数合わせの助っ人だけど一応練習には顔出さないとって。 でも土砂降りになっちゃったから」


「ふ~ん、相変わらずスポーツは何でもいけるのね。 本職の陸上も頑張ってるみたいだし」


「いや、ホントに数合わせなんだよ。ウチの野球部人数足りてなくて。やっぱり本気で練習してる奴等にはかなわないけどね」


 陽太は自分が陸上部だと、接点が無くなっていた月夜が知ってくれていたことが意外で嬉しかった。照れながら言ったあと月夜に問いかけた。


「ツクちゃんは?」


「本読んでたら夢中になっちゃって…… 気が付いたらもう降ってた」


「へぇ~、なに読んでたの?」


「……えっと、マルクス・アウレリウスの自省録かな?」


「難しそう…… ツクちゃん変わったね。昔はアニメやゲームばっかりだったのに。 えっと、なんだっけ、ロボット大戦?のゲームが特に好きだったっけ?」


 カッコイイ女性を目指す月夜としては触れて欲しくない過去だった。「うっ……」と言葉に詰まって顔を赤らめて黙る。そんな彼女の表情に陽太はドキッとしてしまった。


 雨の勢いは衰えず、空はゴロゴロと音を立てる。しかしそれらの音は陽太の耳に入ってこない。傘の下、ほんの僅かなこの空間が今の彼の世界のすべてだった。


「あのさ、よかったら昔みたいに…… 今度二人で…… あ、遊びに――」


 意を決した陽太の言葉は最後まで言い終えることが出来なかった。轟音で月夜の耳にも届くことはなかった。二人の傘に落ちた雷によって周囲に眩い光が走る。


 後に残ったのは焼け焦げた黒い傘と、二人の背負っていたカバンだけだった。

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