第4話 後悔

 クローゼットの奥の方からスーツケースを取り出す。ここに当面必要なものは全て入れておいた。ケースを引いてリビングに戻ると、カイくんは虚をつかれたような顔をした。

 構わず、コートを羽織ってスマホで友達に連絡する。それからさっと玄関に向かうと彼が慌てて声をかけてきた。


「ちょっと、何してんの!?」


「別れるんならこの家にはいられないでしょ? ここカイくんの家だし」


「ここ出てどこ行く気だよ!」


「友達の家。一応前から、急にお世話になるかもって話してたから」

 大学の友達はカイの激しい女遊びを知ってたから、事情は説明せずとも理解していた。皆いつでもおいでと言ってくれた。

 玄関に向かう足が、つんと止まった。彼がコートの裾をつかんできたのだ。


「ウソでしょ……マジでいかないでよ」


「別れるって言ったのはそっちだよ」


「やっぱりオレのことどうでもいいんだ、捨てるんだオレのこと!」


「私のことどうでもよくなったのは、カイくんが先だと思うけど」


「……なんでそう思うの?」


「女の子とたくさん遊んでたでしょ。私がいやだって言っても全然聞いてくれなかった。……まぁ、今となってはどうでもいいことだけど」


「なんでどうでもいいとか言っちゃうの! ユキちゃん、最初は泣いてオレにすがってきたのに」


「そんなことしても無駄だって気づいたから。カイくんはもう私が好きだった頃のカイくんじゃない。そのことにあの雪の日気づいたの」


「雪の日……」


「カイくんはさ、心臓と目を凍らされちゃったんだよ。それで私のことなんかどうでもよくなっちゃった」


「なにそれ。意味わかんない」


「わかんなくてもいいよ。じゃあ、さよなら」

 ドアに手をかけた。カイの瞳が見開かれて、そのふちにみるみる涙がもりあがった。


「いやだ……いやだ! オレのこと捨てないで」

 彼の大きな手がグッと私の左腕をつかんだ。


「カイくんなら次の子、すぐにみつかるでしょ」


「そんなこと言わないで。ねぇ、オレちゃんといい彼氏になるよ。ユキちゃんに好きになってもらえるような彼氏になる。だからお願い」


「カイくんが変わっても私は変わらないよ。……わたしももう凍っているから」


「おねがい、オレのこと好きだった頃のユキちゃんに戻って」

 私の腕をつかんだまま、彼が床に膝をついた。


「ゴメンなさい、気持ちを試すようなことしてゴメン。オレが好きなのユキちゃんだけ」

 カイが伏せて、額をごりっと床に押し付けた。彼が土下座までするとは思わず、さすがに止めに入った。


「ねぇ、そんなことするのやめて」


「……ッウ、しんじて。オレのこと。……ズッ、ハァ……なんでもするから」


 彼が額をこすり付けているところが濡れていく。泣きながら、土下座しているらしい。そのさまを見て、凍った私の心がわずかに揺れるのを感じた。

 私の腕をつかんでいる手から、力はもう抜けていた。ゆっくりと腕を引いて彼の手から逃れる。自由になった身体で、彼の家をあとにした。閉めたドアの向こうから彼の泣き声が大きくなるのを確かに聞いた。


 友達の家へと向かいながら、先ほどの光景を思い出す。プライドの高い彼が涙する姿。彼の心は本当に凍っていたのだろうか。

「雪の女王」のラスト、カイは少女ゲルダの涙で心を取り戻す。思い出せた物語の結末。

 私はどうだろうか。彼の涙は私の心を溶かしてくれたのか。

 心臓に手を当てる。そこには芯から凍った、冷たい冷たい女の心臓があった。




  彼女が出ていった。オレの言葉は最後まで届くことはなかった。

 こんなはずじゃなかった。

 最初はユキちゃんの色んな顔が見たかった。オレが女の子と遊ぶと、いつも大人しい彼女が感情を爆発させて、泣いてオレにすがってくれた。

 ゾクゾクした。もっと彼女が取り乱すところが見たいと思った。彼女の泣き声からオレへの愛を強く感じた。

 より強い刺激を求めて、派手に遊びまわった。彼女は強く感情を返してくれていたのに、ある時から全く反応しなくなった。

 そこからは意地だ。何とか気を引きたくて、自分のタガが外れていくのが分かった。どんなにあからさまな浮気をしても、彼女はまるで何も感じていないようだった。

 気づいたら、泣き叫ぶのはオレの方になっていた。そこに込められた彼女への愛は受け止めてもらえることはなかったけど。

 涙で濡れた顔が気持ち悪い。一人の部屋は信じられないほど寒く凍えそうだ。このまま芯まで凍って何も感じないようになりたい。


 そうしたら、ユキちゃんとおそろいになれるかな。

 心臓が冷えていくのを感じながら、ゆっくりと目を閉じた。



 













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雪の娘 黒と灰 @kurotohai

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