第3話 浮気
カイはリビングのソファーで目を覚ました。昨日の自分の醜態を思い出す。あんなふうに泣くなんて、幼い時にもなかったことだ。
ユキが悪い。自分の行動に一喜一憂していた彼女はいつのまにかこちらに関心を向けなくなった。それが許せなくて、あからさまな浮気を繰り返した。それでも彼女の表情は崩せない。
もっとだ。もっとひどいことをしないと————。
「ん? あれ、しまった……」
駅に着いたところで財布を忘れたことに気が付いた。おかしいな。カバンの内ポケットにいつも入れているのに。今日は大学で一番仲のいい子とショッピング後、ご飯を食べに行くことになっていた。
チラリと時計を見て、友達に連絡をいれた。
『ごめん! 財布忘れちゃった! さすがに取りに帰らなきゃなので遅れます。ドリンクおごるのでカフェででも待ってて』
なんとなく嫌な予感はしていた。
家に戻って予感が当たったことを悟る。
寝室の方からベッドスプリングが鳴く音。女性の嬌声。
「はぁ、嘘でしょ。またなの……」
肩から力が抜けるとともに不快感が沸き上がる。寝室のドアを開けると、予想どおり、恋人と他人のあられもないベッドシーンが繰り広げられていた。
ユキは盛り上がる二人に構わず、ズカズカと部屋に入り込んだ。悲鳴を上げる女性にも反応せず、カイに尋ねた。
「私の財布、抜いたでしょ」
カイは無言で棚を指さした。そこに置かれている自分の財布を回収し、寝室を出ようとした。
「ね、ねぇ、ユキちゃん」
焦った顔をしたカイが隣でわめく女性を無視して話しかけてきた。
「カイくん。私急いでるの。財布抜いた理由なら見当ついてるから」
この光景を見せたかったのだろう。だから、家を出た私が必ず戻ってくるような物を抜いたのだ。
「じゃあね、ごゆっくり」
「ハ、なにそれ。他にもっと言うこと……」
彼の言葉を待たず、バタンと扉を閉じた。
待ってくれていた友達に改めてちゃんと謝って。二人でショッピング後、夜ごはんを食べに行った。家に着くころにはカイが連れ込んだ女性もさすがに帰っているだろう。
不快な気分が戻ってくる。思い出したくなくとも、二人のベッドシーンが蘇ってくる。帰ったら速攻でベッドシーツ洗わないと。枕カバーも掛布団も。
楽しい時間を過ごし、家に戻ると、急ぎ寝室に向かった。そこにはベッドで丸くなっているカイの姿があった。
「カイくん?」
声をかけると布団のかたまりがモゾッと動いた。
「あのね、カイくん。とりあえずベッドから出てくれる? 早く洗濯したいの」
「ユキちゃん浮気してるでしょ」
「え?」
「オレが女とヤッてても見向きもしないとか……どうせ男のところでも行ってたんじゃねーの!?」
思わず深いため息をついた。二人の寝室に二度も女を連れ込んだ人の言うことじゃない。話にならないな、と自分の好きなように行動することにした。
枕を引き抜くと、そこから他人のなんともいえない臭いが鼻をついた。思わず顔をしかめる。
「うー臭い……もうカイくん、セックスしたいんなら、ちゃんとラブホに行ってよ。一応ここ私の寝室でもあるんだから」
「ラブホ行けって……マジで言ってんの?」
「マジマジ大マジでーす」
怒りで普段しない煽るような言動をしてしまう。こんな口をきいたらカイは噛みついてくるだろうと思ったのに。
「…………」
暗い顔で黙り込んでしまった。
「? カイくんさ、とりあえずシャワー浴びてきたら。臭いすごいよ」
「……そうしたら、……してくれる?」
彼らしくないもごもごとした発音。
「え、なに?」
「シャワー入ってきたら、オレとセックスしてくれる?」
「えぇ? なにそれ」
呆れた。日中から女とセックスしてたのにまだ足りないのか。
「オレたち恋人だよね? 浮気しててもいいから、オレともセックスしてよ」
「いや、浮気なんかしてないから。私は友達とごはん行ってただけ」
「ユキちゃんが浮気してるかどうか自体はどうでもいい。とにかく恋人同士ならセックスしても問題ないでしょ」
ベッドから出た半裸のカイがじりじりと距離を詰めてきた。汗の臭いと女の香水と、人が交わった独特の臭い……。
思わず鼻をつまんでいた。あからさまな行動にカイがひるんだ。
「わかったわかった、今すぐシャワー浴びてくるから、ね?」
「なにが、ね、なのかわかんないだけど」
カイがベッドを離れたすきに寝具をすべて回収する。洗濯機がある洗面所へ向かおうとしたら、彼がその前に立ちはだかった。
「待って、オレのことおいてかないで」
「別においていかないよ、これ洗濯に出すだけ。ごめん、ちょっとどけて」
しかし彼は目の前に立ったまま動こうとしない。
「ねぇ、今日みたいのはもうしないからさ……」
「あ~もう……」
さすがにイライラしてきた。最近彼にイラつくことなんかなかったのに、二回も寝室をラブホ代わりにされたのはさすがに頭にきていたようで、だからつい言ってしまった。
「じゃま」
思っていたより数倍冷えた声が出た。
カイの顔がざっと青ざめた。
言い過ぎたかと思ったが、それよりも早く洗濯したかった。洗濯機に回収したものを放り込んでいると、カイが勢いよくバスルームに入っていく音が聞こえた。
紅茶を入れてリビングで一息つく。バスルームが開く音がして、まもなく適当な部屋着を身に着けたカイが現れた。
シャワーを浴びて少し落ち着いたらしい。青ざめた顔色は戻っていた。代わりに目に青ざめた暗い光が宿っていた。
「あのさぁ……」
「なに?」
「ユキちゃん生意気」
「そう」
「オレが謝ってんのにシツコイし。ウゼーんだけど」
「あれ謝ってるつもりだったんだ」
「そうゆうの。前はそんな口きかなかったじゃん。いつもニコニコしてたし」
「それは誰かさんが笑えないこと繰り返すからじゃないかなぁ」
「ハァー……もういい。めんどくせーわ。オレら別れよう」
彼は嫌な笑いを浮かべていた。相手を傷つけたいという欲望に満ちた笑み。彼特有の奔放さと残酷さ。私はそんな彼の目を正面から受け止めて、
「わかった」
ふわりと微笑んだ。
いつでもその用意はできていた。
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