第2話 雪の日
カイくんとは大学二年生の時、サークルで出会った。
モデルみたいな小さい顔に長い脚。大人っぽい端正な顔立ちに反して、言動はヤンチャな子供みたいで、そのギャップに女の子は皆彼に夢中だった。
地味な私が華やかな彼の取り巻きに入れるはずもなく。けどたまたま取った講義が被っていて自然と接点ができた。
「ユキちゃんのノート、キレイだね~今度コピーさせて」
「だるー。ねみぃから肩貸して」
やたらと距離が近くてびっくりしたけど、女慣れした彼にはいつものことだったのだろう。
ある日私がジュースを飲みながら学食をうろついていると、向こうから彼がやってきて陽気に手をあげた。
「ユキちゃ~ん。あ、何飲んでんの? 一口ちょーだい♡」
急に顔を近づけられて、鼓動が大きく高鳴って。
気づいたら目の前には床に座り込んでポカンとした彼の姿。
私は彼を避けようとするあまり、勢い余って彼に向かって頭突きしてしまった。周りには他の人もたくさんいて、こちらを見ていた。
どうしようもなく恥ずかしくて逃げ出した私の背に、彼の豪快な笑い声が響いてきた。
「すっげータックル、闘牛みてー! アハハハハハ!」
次の日から彼の絡み方は変わった。甘えるように私の名を呼び、二人きりになりたがる。
「ユキちゃん。オレたち付き合おうよ。大事にする」
からかわれているだけ、と抗えたのはほんの短い間だけ。
付き合ってしばらくは楽しかった。海。遊園地。キャンプ。たくさん思い出を作った。夏の終わりに彼から一緒に住もうよ、と提案された。カイくんは学生にはそぐわない広くて綺麗なマンションに住んでいた。ずっと一緒にいたいからと言われてしまえば、私の行動は早かった。
彼の様子がおかしくなったのは、秋が深まって大分寒くなり始めた頃。
飲みにでかけることが多くなった。学内で他の女の子と親し気に歩く彼を見かけるようになった。それは付き合う前によく見た彼の姿だった。
我慢できなくなって、問い詰めた。
「今日一緒にいた子誰なの? カイくん最近全然一緒にいてくれない」
「私のこといやになったの? なんか嫌なところがあったなら言ってよ……」
怒ったり泣いたりする私を、彼は面倒くさそうにいなした。
「なにそれ知らなーい」
「てかユキちゃん泣いてばかりでうぜー」
ちゃんとした話し合いは全く成り立たなかった。
そうしてあの日が訪れた。
今見たものが信じられない。
なに、なに、アレは何……!?
ギシッ、ギシッという音。奇妙な音程のなにか動物の声。いや、これは人の声だ。カイとユキの二人の寝室。そこでカイと他の女の人がセックスしていた。
「あ、え」
寝室の入口にたたずんで二人の行為を見守るしかないユキの気配に女が気づいた。
「きゃあ! あんた誰よ!」
女性の悲鳴で、ハッとする。裸の女がこちらを睨みつけていた。
女は最初、敵意に満ちた視線をユキに投げかけていたが、ユキの情けなく歪んだ顔を見て、嗜虐的ないやらしい笑いをもらした。そのまま攻撃的な言葉をぶつけてくる。
「盛り上がってたのに乱入されるとかマジないわ。カイ! あんたの彼女、人のヤるとこ見る趣味でもあんの? なんかめっちゃ見てくるんですけどw」
「はぁ……ユキちゃん、そこでなにしてんの?」
カイは横の女の頭をなだめるように撫でながら、こちらには視線も寄こさない。
「今日は講義あるんじゃねぇの? 早くいかないと授業遅れちゃうよぉ」
あまりにも普段と変わらない彼の言葉に眩暈がする。
「あ、わたし、わたしは」
なにか言わなければ。こんなのオカシイ。なにか……
身体が硬直して動かないユキのもとに、下だけ身に着けたカイが歩み寄る。いつもと変わらない微笑みにユキの気持ちはほんの少し落ち着いた。
お願い。こんなのは冗談だって言って。信じるから。
カイの手がユキの肩に置かれ、グッと力をかけられる。
「じゃーま♡」
ドンッと押され、ユキは廊下にしりもちをついた。バタンと閉められる寝室の扉。ややあって男女の甘い声と性交が再開される音。
ふらふらとユキは立ち上がった。そしてそのまま、家を出ていった。
外はいつのまにか雪が降り始めていた。今年初めての雪だ。風が強くて、手や耳がしびれるように痛くなった。
「こんなときについてない……」
こんなとき? じゃあ、どんな時ならよかったのか。暖かい日ならこんな目にあってもかまわないと?
(なんで何も言えなかったんだろう、怒ることも泣くことすらできなかった)
カイはいつからこんなふうに自分を扱うようになったのか。付き合いたての頃の彼が恋しかった。二人で笑い合った夏の日に戻りたいと願った。
吹き付ける風に顔を上げる。広がる雪景色に記憶の底からよみがえる映像があった。
アンデルセンの童話「雪の女王」をもとにした、児童向けアニメ。
カイという少年が目と心臓に邪悪な鏡の欠片を受け、氷のように冷たい男の子になってしまう。仲良しの女の子、ゲルダにも意地悪をするようになった彼は、雪の女王に魅入られて遠くへ去っていくのだが、ゲルダは彼を諦めず追いかける。
結末がどうなったかは忘れてしまった。けれど、私たちの状況はこの「雪の女王」そのものじゃないか。
カイくんはとうに凍り付いてしまっていたんだ。私はこれからどうするの。ゲルダのように彼を取り戻す旅をする? どうしたら元に戻るかなんて見当もつかないのに。それだったら、私は————
吹雪いてきた風に挑むように再び顔を上げた。雪の粒が何個も何個も目に入り込んできた。目の前がもう見えない。
私も心を凍らせる。このまま雪の中で芯から凍ってしまって、カイくんと同じ存在になるんだ。
しばらく雪に降られて、やがて彼女は家に戻った。女は帰ったようだ。寝室にはカイがいる気配がしたが、特段用はなかった。リビングのソファーで一夜を明かした。
次の日、カイは何か言いたげな顔をしていたが、ユキがこの件について話すことはもうなかった。
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