第14話 怪盗シュヴァリエの標的②

応接室に足を踏み入れると、暖炉の前の豪奢な椅子に一人の中年の男が座っていた。グランフォード卿だ。グレーがかった短髪に整った髭、高価な背広に身を包んだ堂々とした体躯。その佇まいからは、高位の貴族としての威厳が自然と滲み出ていた。


「ジュリア・モリアーティでございます」


俺は丁寧にお辞儀をする。卿はちらりとこちらへ視線を向けたが、その目には明らかな軽視の色が滲んでいた。優雅な応接室の調度品が、朝の陽光を受けて柔らかな影を作る中、卿の態度だけが異様に冷たかった。


「ふむ」卿は低く呟いた。「噂には聞いていたが、まさかこれほどの小娘とは」


その声には、年若い令嬢への露骨な侮蔑が込められていた。母は言葉を詰まらせ、エミリオの表情が強張る。二人とも、この状況を憂慮しているのが手に取るように分かった。


「聞くところによると、ハートウェル家の事件で警部を手助けしたとか」卿は退屈そうに続ける。「まあ、所詮は上流階級の道楽…暇を持て余した令嬢の気晴らし程度だろうに…」


(ほう、随分と舐め腐ってるじゃないか)


卿の態度を見ていると、優越感に浸っている鼻っ面をへし折ってやりたくて仕方がない。俺は卿の持つステッキに目をやる。黒檀の杖の頭には銀細工の装飾が施され、その表面には使用者の指紋が無数に刻まれているはずだ。朝の光が、銀の装飾を美しく照らしていた。


「ご心配なら、試してみましょうか?」俺は柔らかな笑みを浮かべながら言った。この数週間の特訓のおかげで、ジュリアらしい上品な口調が自然に出せるようになっていた。


「ほう?試すとは?」卿の声には明らかな軽蔑が滲んでいる。


「例えば…昨日の出来事について私に推理をさせてみてはいかがでしょうか?」


「なるほど、面白い」卿は椅子に深く腰掛け直すと、まるで子供の道化芝居でも見るかのような表情を浮かべた。その態度には傲慢さが溢れていた。


「それで?何を推理するのかね?」卿は相変わらずの高慢な態度で問いかけてきた。


「探偵の仕事は、些細な痕跡から始まるものなのです」俺は丁寧に説明を始めた。令嬢らしい柔らかな口調を意識しながらも、探偵としての経験が自然と言葉に滲む。「時として、靴の泥一粒、手袋の繊維一本が、真実を語ることがありますわ」


「ジュリア…」母の声には明らかな懸念が混じっている。娘が高位の貴族を怒らせるのではないかと、明らかに心配していた。


エミリオのレッスン通り、貴婦人らしい控えめな仕草で続ける。「手始めに…そのステッキを拝見させていただけませんでしょうか?」


卿は鼻で笑うように、ステッキ一つで何がわかると言わんばかりの表情でそれを差し出した。黒檀の杖は朝の光を美しく反射し、職人の手による繊細な彫刻が浮かび上がっている。


俺の指が黒檀に触れた瞬間、昨夜の鮮明な映像が浮かび上がってきた。過去視の力が、木目の一つ一つに刻まれた記憶を鮮やかに映し出す。


「ダウンタウンの『薔薇亭』でお会いになった方…」俺はゆっくりと語り始めた。「金髪の、22、3歳くらいのご婦人。ワインを三本、それにディナーと合わせて750クラウンほどでしたわね」


一瞬、卿の顔が強張る。「ジュ、ジュリア!?」母が慌てた様子で声をかけるがそれを無視して続ける。


「帰りがけ、彼女の首飾りを褒められていた。2,000クラウンほどのパールのネックレス」俺は更に詳細を重ねていく。「最後は馬車で彼女のアパートまで。ブルーベル通り12番地。門まで送られていました」


「な、何を言って…!」卿が声を震わせる。先ほどまでの傲慢な態度は跡形もなく消え失せ、額には薄い汗が浮かんでいた。「証拠も何もない、でたらめを…!」


母は顔を真っ青にして、娘の無礼を詫びようとする。だが俺は、そんな母の気配も感じながら、淑女らしい微笑みを絶やさない。


「ご心配なく」エミリオの特訓の成果か、その仕草は完璧だった。「奥様には申し上げるつもりはありませんわ。ただ、私をお子様扱いされるのは、心外でしたので」


卿の手が震え始める。その手にしたステッキが、わずかに揺れていた。高価な黒檀の杖が、主人の動揺を如実に物語っている。


母は唖然とした表情で、娘であるはずの私と卿の応酬を見つめていた。


俺の背後でエミリオがごく小さく咳払いをする。その表情には、控えめな…だがどこか愉快そうな笑みが浮かんでいた。


「では、お話を伺ってもよろしいでしょうか?」俺は卿の前のソファへ優雅に座りながら、穏やかに切り出す。先ほどまでの威圧的な雰囲気は完全に逆転していた。「正直に申し上げて、警部からご紹介いただいたお方が、こちらまでお越しになるのは、よほどのことかと…」


「あ、ああ…」まだ動揺を隠しきれない様子で、卿は言葉を紡ぎ始めた。母は娘の手腕に感心したような、そして少し心配そうな表情で見守っている。


全く…バレて困ることはするもんじゃない。それは古今東西、いつであろうと同じだな。俺は内心で苦笑しながら、これから語られる卿の相談に耳を傾ける準備を整えた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年1月11日 12:00
2025年1月12日 12:00
2025年1月13日 12:00

探偵令嬢ジュリア・モリアーティ ~おっさん探偵が貴族令嬢に転生するも、転生先も探偵だった!?~ おおの @oonoimo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ