第4話 探偵令嬢ジュリア・モリアーティ③

重々しい足取りで応接室へと向かう。警部が扉を開くと、そこには黒の喪服に身を包んだ夫人と娘が座っていた。夫人の首元まで覆うハイネックのドレスを着用し、10代後半くらいの娘もまた、黒のワンピースに身を包み深い喪の装いだ。二人とも憔悴した様子で、突然の悲劇に打ちのめされているように見える。


「失礼いたします」俺は静かに挨拶を返した後、ソファに腰掛ける。「ジュリア・モリアーティと申します。この度は、警部からご相談を受けまして…」


夫人は疲れた表情で頷いた。「メアリー・ハートウェルです。…警部からは、事件の解決に協力してくださると…」


エレガントな物腰の中にも、張り詰めた緊張が感じられる。俺は夫人の手元に目をやった。上品な指先が僅かに震えている。時折、無意識に首元の生地を確認するような仕草が気になった。


「そちらは…」夫人の隣に座る娘が小さな声で言った。「キャサリンです」


俺は優しく微笑みかける。「お二人とも、さぞかしお辛いことでしょう」


そう言いながら、さりげなくキャサリンの黒いショールに触れた。


——深夜、物音に目を覚まし廊下へ。父の書斎から聞こえる激しい口論。怖くて近づけず、自室に戻る少女の後ろ姿——


「あの夜のことを、差し支えない範囲でお聞かせいただけますか?」俺は慎重に言葉を選ぶ。


「夫は…その日は珍しく早めに書斎に籠もりました」夫人が静かに語り始める。「兄のジェームズが来るからと言って…」


「ジェームズ・アシュワースさんですね。彼は何時頃いらしたのですか?」


「23時前でした。私が書斎まで案内しました…」夫人は言葉を詰まらせ、無意識に首元に手が伸びる。


「お話の内容は?」


「…私は何も…」夫人は俯く。「…分かりません。書斎には入っておりませんので…。」


「アシュワースさんは、何時頃お帰りになったのでしょう?」


「深夜0時前です。私が玄関までお送りしましたし、メイドのエドナも自室の窓から、兄が門を出て行くのを見たと…」


「キャサリンさん」俺は娘の方に向き直る。「その夜、何か物音は聞こえませんでしたか?」


少女は一瞬躊躇したように見えた。母親の方をちらりと見る。


「…はい」キャサリンは小さな声で答えた。「父様の書斎から、大きな声が…でも、怖くて近づけませんでした」


その証言は先ほどショールから見た光景と一致する。娘は確かに口論を聞いていた。


「エドナさんにも少しお話を伺いたいのですが」


母娘の背後に佇むメイドのエドナは30代半ばといった年齢で、几帳面そうな印象を受けた。その表情には、何か言いたげな感情が垣間見える。


「はい…私にわかることでしたら」エドナの声には、わずかな苛立ちが混じっていた。


「その日の夜のことですが、アシュワースさんが帰られるのを見たとおっしゃいましたね」


「ええ」エドナは顎を上げ、気持ちを抑えきれないように続けた。「自室の窓から、門を出て行かれるお姿を見ました。まあ、あの方は普段から真っ直ぐお帰りになる方でしたけど。旦那様と違って…」


「エドナ」夫人が静かに制止の声を上げる。


「申し訳ございません」エドナは一旦言葉を飲み込んだが、もはや止まらないように続けた。「でも、奥様。あの方のギャンブル癖といい、深夜に怪しげな店で大金を使い果たしたり…今となっては包み隠す必要もございませんわ。借金の取り立てが来たこともありましたし、正直、こうなって溜飲が下がりました。あの方がいなくなってせいせいした、と思っているのは私だけではないはず…」


「エドナ!」夫人の声が強まる。「それ以上は…」


「…申し訳ございませんでした」エドナは俯き、一歩下がるものの、その表情には後悔の色は見えない。

俺はエドナをじっと観察した。大佐への評価には明らかな敵意が含まれていた。その感情の根源には、主人である夫人への深い忠誠心が垣間見える。


夫人とキャサリン、そしてエドナ。全員の話を聞き終えた警部が、応接室の重苦しい空気を切るように口を開いた。


「皆さんのお話は一通り伺いましたが…ジュリア嬢、何かわかりましたか?」


警部の声には、わずかな焦りが混じっているように感じられた。確かに、各々の証言からは決定的な手がかりは得られていない。むしろ、エドナの言葉から垣間見えた大佐の素行の悪さが、新たな疑問を投げかけていた。


俺は少し考えを巡らせた。過去視と妻の証言の食い違い。そして、この事件の核心に迫るために必要なこと。


「アシュワース氏にも直接お話を伺いたいですわ」



外務省の一室で、アシュワース氏は重々しい表情で俺たちを迎えた。端正な顔立ちに高級な背広、政府高官としての威厳を漂わせている。


「妹の件で、ご足労をおかけして申し訳ない…」静かな声で彼は言った。


「いいえ」俺は淑女らしく微笑む。「こちらこそお時間を頂戴しまして、ありがとうございます。」


俺は彼の仕草を観察しながら、慎重に切り出した。「先日の夜のことについて、お伺いできますでしょうか。」


「ええ」アシュワース氏は重く頷く。「23時頃に訪問しました。遅い時間だとはわかっているんですがね、どうしても都合がつかなくて…帰りは…0時前にはお暇しましたよ。メイドも目撃しているでしょう」


「えぇ、伺っておりますわ。大佐とは、お金の相談を?」


「…ええ」彼の表情が一瞬歪む。「あの男は、いつも金に困っていましてね」


「ご関係は良好とは言えなかったのでしょうか?」


アシュワース氏は長い溜息をつき、窓の外を見つめた。「あの男は…ろくでもない男でした。ギャンブルに溺れ、借金を重ね…」彼は拳を強く握り締める。「妹を娶ったことは、最後まで許せませんでしたよ。」


「大佐については…」


「当然の死に方だったのかもしれません。」彼は冷たく言い放った。「強盗に襲われて殺されたと聞きましたが、まあ、因果応報というものでしょう。」


「…お話、ありがとうございました」俺は立ち上がる。応接室のドアに手をかけたところで、さりげなく振り返った。


「あぁ、そうそう…一つだけ」俺は軽い調子で尋ねる。「昨夜、大佐の元を訪れたのは1回だけでしょうか?」


一瞬、アシュワース氏の瞳が揺らいだ。それは確かに、俺の目を逃れようとする動きだった。


「…ええ、もちろんです。メイドも証言している通り」彼の声は、わずかに強張っていた。「0時前に帰宅しましたよ。それ以降は…館には戻っておりません」


俺は静かに頷き、丁寧に一礼をして部屋を後にした。廊下に出てから、先ほどの会話を反芻する。過去視で見た光景と、この男の言葉。その食い違いは、明らかにこの事件の核心を指し示していた。


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