第12話 魔眼

「がっ……!?」


 ヴォイドの姿がき消え、繰り出した九の斬撃が全てくうを切った、その光景に驚いたのもつかの間。

 刹那せつなの後、新たな驚愕きょうがくと衝撃がアイギスを襲った。


「て、めぇ……ゴミィ……ッッ!」


 ざくざくと二度、背後から斬られた感触。

 振り返ると、大剣を振った姿勢のヴォイドがそこにいた。


 アイギスの表情は苦痛と屈辱くつじょくに歪んでいる。

 そのことに最も動揺どうようしたのは、彼女の強さと体質を知る、観戦中の部下たちだった。


「あ、姐御あねご……!?」

「あの野郎、どうやって姐御に……!」


 アイギスは半粘体種ハーフスライムである。

 粘体種スライムは打撃や斬撃、刺突への高い耐性を持ち、物理攻撃には滅法めっぽう強い。

 その性質は、ハーフであるアイギスにも受け継がれている。


 だが今、アイギスの背中は大きくえぐれ、えぐられた傷がふさがる気配もない。

 その表情が示す通り、彼女が感じる苦痛も相当のものだ。

 ヴォイドは剣を振るったようなのに、傷が一条しかないのも不気味だったが、それ以上に不可解なことがある。

 本来、ヴォイドが握るような「なまくら」では、アイギスのような物理攻撃耐性持ちには、かすり傷すら負わせられないはずで――


「その剣……属性付きか……っ!」


 ジウジウとげた臭いを漂わせる背中の傷に、アイギスは己の油断を自覚する。

 粘体種スライムはかなりの力量差がなければダメージを負わない、ほぼ完全な物理攻撃耐性を持つのと引き換えに、各種の属性攻撃……特に炎や冷気に対する極端な脆弱性ぜいじゃくせいを持つ。


 そして今、ヴォイドの握る剣には、炎の属性が付与されているようだった。

 属性を付与された武器は常時、あるいは任意のタイミングで、攻撃に特定の属性効果を乗せられる。

 その気になれば複数の属性を付与して、適宜てきぎ切り替えるといった使い方も可能である。

 反面、付与する属性の数や強さが増せば、その分、武器の強度が下がっていくというデメリットもあった。

 それこそ粘体種スライム等、物理攻撃耐性の高い異形種モンスターの大量に生息する地域で活動する冒険者等を除き、これを好んで常用する者は少ない。


 もちろん、ルリファーが自分の種族や特性をヴォイドに伝えている可能性を疑っているアイギスの場合、ヴォイドがこうした属性付きの武器を用意することも予想しておくべきではあったのだろうが……正直、いかにも使い込んである様子の、あの大剣の見た目にだまされた。


(あたしの特性を知って、昨日今日用意した武器にはとても見えねえ。

 仮にそういう印象を与える狙いもあってあんなオンボロの剣を用意したんだとすりゃあ……とんだ食わせ者だなオイ)


 加えて、アイギスのような異形の存在の攻撃に、即座に対応できることも計算外だった。

 たとえアイギスが粘体種スライムとの混血であると知り、さらに自然界の粘体種スライムと戦い慣れているのだとしても、伸ばした触腕に大剣を握って戦うような粘体種スライムと戦ったことまではないはずだ。

 それでも対応できるのは……ルリファーに聞いた情報から対策を何パターンも熟慮していたからか。


(……チッ、隻眼とはいえめすぎた。

 よほどの考えなしか、相当の度胸持ちでもなきゃあ、逃げずにここへ来た時点で、それなりに策を練ってきてて当たり前か)


 実際にはヴォイドは(特に初戦は、情報量の差で負けた、なんて言い訳ができてしまうと一部の姉妹は納得しない懸念があるとかで)ルリファーから事前情報を得ていないし、たいした策も練ってはいない。

 単純に、未知の攻撃を放つ珍しい異形種モンスターの相手も日常的にこなすしかない生活をしていた経験が活きているだけなのだが、そのことをアイギスは知るよしもない。


 いずれにしろヴォイドを見誤り、あなどった代償としての傷の痛みが、アイギスの思考を強く熱し、かき乱していく。


「ここまでにしておくか?」


 さらに、あおるようなヴォイドの言葉が油を注ぐ。

 彼の握る大剣の刃渡りを思えば、本来ならアイギスの身体を綺麗に真っ二つにもできたはず。

 そうしなかったのはつまり、手心を加えたつもりなのかもしれない。


(……今の一撃だけでも、わかるぜ。

 こいつにはそれだけの余裕がある。

 そして今、こいつは暗にこう言っている)


 降参するか――魔眼を使え、と。


 値踏みするつもりが、逆に値踏みされている。

 いたくプライドの傷つく状況だが、このまま負けるよりはずっとマシに思えた。

 だからアイギスは、即座に手札を切ることにする。


「吠えたなぁ人間……それも隻眼風情せきがんふぜいが!

 後悔するんじゃねぇぞ……ッ!」


 直後、その両の眼が、光を帯びる。



   ※



(やっぱダメかー……)


 アイギスの両眼に魔力の輝きが灯る――彼女の魔眼が励起れいき状態に移行した証だ――のを見て、即座に大剣を自身の目の高さに掲げながら、ヴォイドはそっとため息を吐く。


 姉妹との対決に際し、ルリファーからは殺さずに済ませてほしいと頼まれている。

 だから粘体種スライムでも致命傷になりうる、炎属性の斬撃で真っ二つにすることは避けた。

 暗に降参を勧めてもみた。

 が、想像通りというべきか、アイギスは降参に応じる様子はなく、さらに想像以上の剣幕で戦意をみなぎらせてしまっている。

 さらに、


「――奥瞼おうけん解放かいほう


 アイギスはそう、ヴォイドにも聞こえる声を張り上げた。


「!」


 ヴォイドは、大剣を横向きに掲げたまま、わずかに身構える。

「奥のまぶたを開く」とはつまり、両の眼球……その魔眼としての真価の発揮を意味する。

 ヴォイドの方も隻眼の魔眼を励起れいきさせたのである程度、他者の魔眼の力が肉体に及ぼす影響に抵抗レジストは利くが、今、アイギスの眼を覗き込むリスクは大きい。


 魔眼の力は本来、一部の魔術のような、呪文の類を唱えなければ発揮できないものではない。

 生まれ持った器官だけに、基本的には皆、無言で即座に、息をするように自然と発動できる。

 ではなぜアイギスは「奥瞼おうけん解放かいほう」などと、発動を予告するような定型句を口にしたのか?


(魔力の根源は、持ち主の精神力。

 その出力も、当人の精神――覚悟の影響をおおいに受ける)


 精神力……覚悟の違いは、少なからず魔術や魔眼の出力に影響する。

 より強い覚悟を決める――厳しいリスクやルールを己に課すことで、魔眼の出力も大きく上昇し得るのである。 


(回避や防御、カウンターを喰らうリスクを負うことが、出力の底上げに繋がる。

 奇襲性より出力強化のメリットの方を優先すべきタイプの魔眼か……?)


 アイギスが魔眼の効果発動をこちらに教えるような真似をしたのも、そういう背景あってのことだ。

 もちろん、定型句を発しただけで実際には発動していない……ブラフの類である可能性にも留意は必要だが。

 掲げ持った大剣越しに見える、アイギスの腰から下を注視しつつ、ヴォイドは慎重に距離を測った。


 大剣は盾としても優秀だ。

 だがそれは、ただ敵の攻撃を受け止めやすい頑丈さや大きさがあるというだけの意味ではない。


 魔眼という魔導器官はその多くが、何かを「視る」ことで力を発揮する。


 視たモノを壊す、燃やす、凍らせる。

 視たモノに命令する、呪いをかける、幻を視せる。

 あるいは本来見えないモノを視る。


「視る」だけで発動できる固有の力は、武器として非常に強力だ。

 肉体的にも魔力保有量的にも脆弱ぜいじゃくな人間種が、亜人種や異形種を差し置いて広い生存圏せいぞんけんを確保できているのも、魔眼の恩恵によるところが極めて大きい。


 だが、魔眼を持つ者同士の戦いでは、双方が魔眼に対して一定の抵抗力を持つ。

 特に視たモノに離れた距離から効果をもたらす……たとえば発火させたり呪ったりといった魔眼には、一定以上の時間「相手の瞳を視る」という条件を満たさなければ、燃やせないし呪えないモノが多い。

 だからこそ、小回りが利きづらくなるデメリットを踏まえても、人間種同士の戦いにおいて大剣はポピュラーな武器なのだ。

 大剣の巨体が生み出す死角は、相手の魔眼の視線を阻んでくれるから。


(まあ、彼女の魔眼が視線を交わす必要があるものかどうかもまだ不確定だけど……)


 敵の魔眼の発動に際し、手にした武器で死角を作って視線を阻むという対処法は、ごくありふれたもののはずだ。

 アイギスの狙いが自分の魔眼それ自体での攻撃ではなく、大剣を持つヴォイドにこの対処法を選ばせることである可能性もおおいにある。

 特にアイギスの場合、こちらの死角が増えれば――


「……ッ!」


 鋭く息を吐き、ヴォイドは大剣を掲げた姿勢のまま横にステップする。

 脇腹のすぐ横を、背後から迫っていたアイギスの大剣と半透明の触腕しょくわんが通過していった。

 大剣が作る死角を利用し、天井をうような軌道で背後に回り込んでいたのだろう。


 彼女の触腕は九本ある。

 当然、今空振からぶった一撃だけでは終わらない。


「や、やべえ! 姐御あれブチ切れてんぞ!?」

「みっ、みんな避けろーーーーっ!!!!」

「うわああああああっ!!!」


 そんな観客の悲鳴が示す通り、壁や床や天井を抉り巻き添えも気にせず縦横無尽に飛び回った大剣たちが、次々にヴォイド目掛けて襲いかかってくる。

 背後や上下左右の死角から飛んでくる巨大な刃物を、ヴォイドはボロボロだが一応は鏡のようにみがいてある大剣の腹に映し、走り、転がり、け続ける。

 そうしている間にも、思考は回す。


 アイギスは距離を保ったまま九本の大剣を振り回している。

 こちらに近づいてくる様子はない。

 そして大剣の群れはそれとなく、しかし確実に、ヴォイドがアイギスの方に踏み込む動きを牽制けんせいしている。

 つまり彼女の魔眼は、


(中・長射程型。

 相手の瞳さえ視られれば極めて強力な効果を発動する。

 一方で――近づかれれば、弱い)


 ヴォイドは大剣越しに、アイギスの腰から下を改めて見る。

 彼女の特に頭部を見ないように注意してその立ち位置を確認し、


「ふっ!」


 ベルトの後ろから短剣を取り出した直後、手にしていた大剣を、投げる。

 ヴォイドの唐突な行動に、逃げ惑いながらも観戦は続けていたらしい黒服たちから驚きの声が上がった。


「え、得物えものを手放した!?」

「馬鹿が! 目をさらしたら姐御の魔眼の餌食えじきだ!!」

「いや待て!? 野郎まだ……!」


 ヴォイドは短剣を手に、投げた大剣を追うように疾駆しっくしている。

 投げた大剣は、剣の広い腹を見せ、ぐるんぐるんと回転しながら、アイギスの頭部目掛けて飛翔中。

 ちょうど、ヴォイドの隻眼とアイギスの両眼を結ぶ軌道で。


 大剣はそれなりの速度で飛んでいる。

 だが肉体強化と背部からの風圧放出等を組み合わせ、きちんと腕を振って疾走すれば、追いつけない速度と距離ではない。

 腕を振れば当然、腕を掲げてアイギスの視線を阻むような姿勢も取れないが、死角は前を飛ぶ大剣が作ってくれている。

 大剣と共にアイギスに肉迫。

 大剣と同様、粘体種スライムにも効く属性効果を帯びた短剣で、彼女の胴にさっきよりさらに深い一撃を――



 …………。



「かかったな、クソ馬鹿がッ!」


 瞬間、ヴォイドの全身が硬直した。

 単に体が言うことを聞かなくなっただけではない。

 走っていた勢いも地面に落ちる引力もき消えて、ヴォイドの全身はぴたりとその場に静止していた。

 思考や呼吸はできる。

 眼球も動く。

 舌と口が動くので喋れもする。

 ただ、それ以外は何もできない。

 眼球を動かしてギリギリ見える自分の足は、地面からほとんど浮いている。

 空中に「い留められた」……そんな状態だ。


 問答無用で相手の動きをはばむ。

 やはり強力で、隻眼とはいえ魔眼保有者相手なら、瞳をのぞき込まねば発動しない類の力。

 だが大剣は、間違いなくアイギスの首から上をヴォイドの死角に隠していた。

 だからどう考えても本来、ヴォイドがアイギスに瞳を覗き込まれる心配はないはずだった。

 もちろんそれはアイギスが、ただのの話なのだが。


「見た目通りにもろい大剣だな」


 アイギスは背後にを向けて、壁際の地面に落ちている、剣身の半ばから真っ二つに折れたヴォイドの大剣の感想を呟いている。

 本来、アイギスの顔面を剣の腹で殴り飛ばすような軌道で飛んでいたはずの大剣。

 アイギスは大剣を防ぎもかわしもしなかったが、大剣は彼女になんら害を及ぼすこともなく、壁に衝突したようだ。

 そうなった原因は明らかだった。

 大剣に殴られるはずだったアイギスの頭部は今、首から上に存在しない。


 魔眼を含むアイギスの頭部は、胴体ではなく――右手の平から


「想像以上に粘体種スライム寄りの身体構造だ」

「…………」


 ヴォイドが感想をらすと、アイギスはわずかな沈黙の後、口元を歪め皮肉めいた笑みを浮かべた。


「不思議なもんだよなぁ?

 背中から触腕を出す程度の攻撃だけしてると、勝手に『基本的には人間と同じ身体』だと誤解してくれるんだよ皆」


 人間種と粘体種、双方の性質を受け継いでいるのが混血ハーフだとすると、「粘体の特徴を持つ人間」と「人間の特徴を持つ粘体」の二つがイメージできる。

 普段から人間の姿で、粘体種スライムらしい触腕を出せるアイギスは前者に見えたが、実際には後者だったということだろう。

 人間風の姿は擬態に過ぎず、頭部を含む身体のパーツの位置は、全身のどこへでも移動できる。


めてやるよ。まさか隻眼風情せきがんふぜいが、愚妹ぐまいにゃ見せたことのない手まであたしに使わせるとはな」


 言いつつ、アイギスはまた触腕と己の大剣をずらりと宙に漂わせる。

 その切っ先は、全てがヴォイドに向いていた。

 ヴォイドの身体は相変わらず動かない。

 先ほど背後の大剣の方へ視線を向けていたことからも明らかだが、一度捕捉してしまえば、瞬きしようが対象から視線を外そうが、簡単には効果の切れない魔眼らしい。


 勝負はついたように見えるが、アイギスに手を止める意思はない。

 最後にただニッコリと、彼女は愛らしい笑みを浮かべた。


「割と楽しかったよ、おっさん。死ね」

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