第11話 初戦


(……はわわぁ、人前で戦うのとか緊張するぅ……)


 約束の時間の間際まぎわ

 ヴォイドは胸中、緊張と不安を抱きつつ、表面上は堂々とした足取りで、商会の地下に足を踏み入れた。

 じんわりと湿しめを帯びた空気が漂う、地下牢じみた石造りの空間だ。

 案内役のシャティの背を追い、狭苦せまくるしい通路をしばらく進むと、


「よう。逃げずに来たか。

 ゴミカスにしちゃ殊勝しゅしょうだな」


 通路の先の開けた空間で、アイギスが待っていた。

 いや、アイギスだけではない。

 竜種ドラゴンの成体が余裕を持って収まりそうなくらいに天井も高い空間、その四方の壁際には、何十人も、ギルドの構成員らしき黒服たちがひしめいている。

 空間の中央で対峙するヴォイドとアイギスを、黒服たちが囲む形だ。

 要するに観客だろう。


 壁際には一部周囲より高くなった床があり、そこの椅子に、ルリファーと、先ほど会った金髪と青髪の姉妹たちがそれぞれ腰かけている。

 ヴォイドの実力を値踏ねぶみし、同時にヴォイドの敗北を構成員たちにも見せつけようというところか。


「ルールは?」


 案内を終えたシャティが観客に紛れるのを見送ってから、ヴォイドは一応そう尋ねてみた。


「ルール? 必要か?」


 アイギスは不思議そうに首をかしげる。

 所作しょさこそ可愛らしいが、その返答で、ヴォイドの背筋せすじに寒気が走る。


 ――殺し合うのに制限ルールなんて必要なのか?


 つまり彼女はそう言っている。

 無制限ノールールが当たり前の世界で生きてきた武闘派の感性だろう。

 また胸中ではわはわおびえたくなる衝動を抑え、ヴォイドは続ける。


「……まあ、1対1かどうかくらいは決めておきたい」

「は。確かにな。てめぇの力量を見ようってのに、お仲間なんぞ出されたら面倒だ」


 たぶん手出しする気は微塵みじんもないルリファーを除けばこちらに仲間なんていないのだが、決闘のつもりで臨んで、大量の黒服諸氏に袋叩きにされる展開は避けたい。

「1対1、正面切っての決闘だ。他のルールはなし」とアイギスの言質げんちを取ったヴォイドは、古びた大剣をケースから抜き放つ。


「おいおい、ずいぶんとまたボロい剣だな」


 嘲笑ちょうしょう含みに言うアイギスだが、その目に油断の色はないようだった。

 一張羅いっちょうらを脱ぎ普段のシャツとズボン姿になったヴォイドと異なり、彼女の服装は先ほどと変わらず、丈の短い革のパンツにへそ出し丈のシャツ。

 ただ、先ほどは手にしていなかった、ひと振りの剣を手にしている。


 どうやらアイギスも大剣たいけん使いのようで、段平だんびらとも称される、幅広はばひろの巨大な剣をたずさえていた。

 彼女の体格ゆえか、身の丈を超すヴォイドの大剣と比べ刃渡りは少し短く、身幅もわずかに狭い。

 形状は直剣だが、ヴォイドのそれと異なり片刃。

 剣身は美しく磨き抜かれていて、斬れ味もよさそうだった。


愚妹ぐまい! なんか合図よこせ!」


 腰を落とし、大剣の切っ先をヴォイドに向けながら、アイギスが叫ぶ。

 不意に呼ばれたルリファーが、少し合図の内容を迷うような間がき、


「ではこの金貨を投げますので、それを合図――」


 ルリファーの言葉の途中。

 アイギスは音もなく鋭く踏み込んできた。


 ガギンッ! と甲高い金属音。

 アイギスの踏み込みと同時に突き出された大剣を、ヴォイドは自分の大剣の側面で弾き、らしている。


「……へぇ!」


 それが意外だったのか、アイギスは獰猛どうもうな笑みを浮かべて半歩、後退する。

 始まる前にわざわざルール無用と確認したのだから、世間知らずのヴォイドでも、自分で求めた合図を無視するこれくらいの奇襲は予想できていた。


雑魚ざこの分際で生意気だが、悪くねえ。

 思ったよりは楽しめそう……だッ!」


 アイギスは軽くその場で跳ねた後、急加速してまた距離を詰めてくる。

 

(踏み込みが深い……!)


 斬撃というより体当たりがメインの、鍔競つばぜり合う気が満々の踏み込みを、ヴォイドは腰を深めに落として受け止める。

 ギッ! とにぶい音を立て、互いの剣身の鍔元つばもと付近が衝突し合う。

 魔術で身体能力を強化しているのだろう、アイギスの体格に似合わぬ重さはあったが、体格で勝るヴォイドが吹き飛ばされるほどの衝撃はない。

 だがその直後。


 ――背後から迫る、悪寒おかん


 1対1というルールさえ無視した奇襲か?

 いや、単純に第三者が襲ってきた気配とは違う気がする。

 ヴォイドは刹那せつなに思考を巡らせるが、その間にも悪寒は迫り、


「いいねぇ……」


 黒髪にひとふさ混じった赤を揺らし、アイギスが笑みをさらに深める。

 背後から迫った悪寒を、ヴォイドは咄嗟とっさに大剣の柄尻つかじりで打ち払っていた。

 そして打ち払われた悪寒の実体は今……アイギスの頭上でゆらめいている。


「人間じゃなかったのか……」


 ぽつりと、ヴォイドはこぼす。

 悪寒の正体は、アイギスがその手に握っているのとよく似た大剣だった。

 ただしその剣の柄を握っているのは……アイギスの首元から生えた、半透明の赤い粘液ねんえき

 同じ質感の物体、いや生物を、ヴォイドは山でもしばしば目にする。


粘体種スライム……いや、粘体種とのハーフか?」


 粘体種スライムが人間の姿をしているのは見たことがない。

 つまりは人間とのハーフではないか。

 我ながら突飛な発想だったが、なぜかそれがしっくりきた。

 粘液の触腕は、アイギスの鎖骨さこつ付近の皮膚が変質する形で生えているように見える。

 触腕もアイギスの身体の一部という印象だった。


「知らなかったフリとは白々しいクソ野郎だが、まあそういうこった。

 先代おふくろは人間だが性豪せいごうってやつでな。

 強者と見ればつらや年齢どころか種族すら問わずに喰ってはらんだらしい」


 そもそも人間種と異形種モンスターって交配とかできたのか。

 なんらかの魔術の効果という可能性もあるが……。

 いくつか疑問は浮かんだが、同時にヴォイドはハッとする。

 ……握手、しなくてよかった。


「さっきはせっかくその手をグズグズに溶かしてやろうとしたんだがな」


 粘体種スライムといえば、体内で合成する強酸や猛毒である。

 迂闊うかつに握手になんて応じていれば、中年おじさんの脂程度では防ぎ切れずに、言葉通り右手の皮膚も肉も、毒の種類によっては骨まで溶け落ちていたかもしれない。


「んじゃまあそろそろ、その片眼に残った出涸らしちからでも拝ませてもらおうか?」


 言って、アイギスは鎖骨付近から生えた触腕と剣を高くかかげる。

 手に握っているものを含めて計ふた振り……ではない。

 三、四、五と、背中から次々に赤い半透明の触腕しょくわんが生えてきて、それぞれにやはり大剣が握られている。


 あれだけの体積の物体がどうやってあの矮躯の中に納まっていたのか。

 抜き放たれ、宙に吊り下げられた大剣の合計は九振り。彼女が手に握っている大剣と合わせれば十振りにもなる。

 さらにそれぞれの剣身は、うっすらと濡れていた。

 刃を伝ってぽたりとこぼれた落ちた雫は、床に触れるやジュウッ! と不穏な音と煙を立てる。


「死ねッ!」


 ヴォイドの魔眼の力を試すようなことを言った割に、殺意は満々。

 ぶるりと震えた触腕たちが猛スピードで伸びて、九振りが前後左右上下から、立体的にヴォイドを襲う。

 それらをどうかわしても、防いでも、そこに生まれるすきを、アイギスがその手に握った最後のひと振りがえぐるのだろう。


 剣術とはおよそ、対人間種や、せいぜい亜人種等、武器を振るう人型の種族との戦闘を想定してられた技術だ。

 十振りもの大剣を振るう多腕の種族を前提とした攻防術ではない。

 仮にヴォイドが剣術の達人であったとしても、己の魔眼を頼る以外には、異形の毒斬をしのぐ術はない。


 はずだった。


 少なくともアイギスはそのように確信していたのだろう。

 だからこそ彼女は、続く光景を前に初めて、獰猛な笑みを驚愕きょうがくに塗り替えられた。


「な…………!?」


 彼女の計算外の要素は三つ。

 ひとつ、確かに剣術等の「技術」で、テクニカルに彼女の十振りを防ぐ術はない。

 たったひと振りで、同時に迫る斬撃の全てには対処できないのだから当然だ。

 だが、魔術による身体強化に魔力放出を合わせた「力任せ」であれば、技術もへったくれもない反則的な速度で、全斬撃の加害範囲から逃れることは――実行するにはそれなりに、剣術とはまた異なる特殊な技能が要る上、隻眼であるヴォイドの場合、一定のリスクも生じはするものの――理論上可能だ。


 ふたつ、上の理論は「空を見上げていたら急に雨が降ってきたが、即座に十メレル先にある民家の屋根の下まで走れば、一切濡れずに回避できる」と言っているようなもの。

 普段からそれを想定しながら生きている判断の速さと異常な移動スピードを兼ね備えていないと、実践はできない。

 もしも上の理論をアイギスが想像できていたとしても、それが可能な隻眼がいることまでは想定できない。


 三つ、ヴォイドがアイギスたち姉妹の種族・特性をルリファーから聞いていなかったのと同様、アイギスもヴォイドについて、詳しいことをルリファーから聞いていない。

 だから彼女は知らない。

 ヴォイドが強者は強者でも、対人剣術の達人というよりは、「人間には不可能な攻撃方法を備えた生物による奇襲」を普段から念頭に入れて生活している、


 ――対異形種モンスター戦の達人であることを。

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