第9話 幹部の姉

「よう。おかえり、愚妹ぐまい


 ガオランたちと別れた後、商会の最上階。

 巨大な黒檀こくたんの長机の置かれた会議室に通されたヴォイドとルリファーを出迎えたのは、ルリファーに勝るとも劣らない、三人の美少女だった。

 それぞれの周囲には護衛役だろう、直属の配下らしき黒服の女性が数人ずつ控え、お互いを警戒するようににらみ合っていた。


「はい。ただいま戻りました、姉様方」


 さらりと罵倒ばとう含みの出迎えの言葉を送った一人に、ルリファーは気にした様子もなく笑顔で応じる。

 他二人はろくに視線すら向けていないので、声をかけてくれるだけマシな反応だったりするのだろうか。

 ルリファーは室内を見回し、そこで初めて少し肩を落とすと、三人に問いかける。


「……一応うかがいますが、他のみんなは……」

「来ると思うか?」

「ですよね……」


 姉妹はぜんぶで九人という話だった。

 この場にいるのはルリファーを含めて四人。

 つまり過半数は不在。

 仮にもボスであるルリファーの呼び出しに対するその態度は……なるほど、組織の瓦解がかいの前兆を思わせはする。


 数多あまた異形種モンスターと荒天に襲われながらの下山中はもちろん、この都市までの移動中も(ルリファーが関係各所への連絡や溜まっていた書類仕事への対処に追われており)慌ただしく、ヴォイドは必要最低限の情報以外はまだ知らされていない。

 それでもどうやら目の前の三人が、事前に聞いていた、まだ比較的ルリファーへの当たりが柔らかい姉妹だということはわかった。


「んで、そいつが手紙にあった例の奴ってことでいいんだよな?」


 少し口の悪いこの美少女も、ルリファーの評を聞くに、意外と妹想いらしい。外見からはあまりそうは見えないが。


 短い黒髪に赤い髪をひとふさ混じらせ、両の眼も血を思わせる真紅。

 服装は丈の短い革のパンツとへその見えるシャツ、そこに革の上着をだらしなく羽織っただけで、ルリファーとはまたおもむきの異なる軽装だ。

 彼女も他の二人も顔立ちはそこまでルリファーに似ておらず、別系統の美人だが、そこが姉妹の共通点とばかり、若い男の視線を奪って離さないであろう抜群の輪郭プロポーションを持っている。山暮らしの長いおじさんには刺激が強く、不躾ぶしつけにならないようできる対策といえば、せいぜい彼女たちから視線を外すことくらいだった。


「ええ。ヴォイド様です」

「そうか。んじゃまぁ――あたしはこいつルリファーの姉の一人で、アイギス・ルード・リヒテンボルグ。

 ギルドうちじゃ密輸部のトップを張ってる幹部だ。よろしくな」


 立ち上がって自らヴォイドに近づいてくると、思いのほか友好的な態度で、アイギスは右手を差し出してくる。

 意外と歓迎されている様子に、ヴォイドは内心、少しだけ安堵あんどしていた。

 そうしてわずかに気を緩めたヴォイドは、差し出された右手を、


「…………」


 無言でジッと、しばらく見つめた。

 なぜか?

 別に、それが握手を求める意であるとわからなかったわけではない。

 流石にそのくらいの常識はある。

 なので、差し出された手を握り返すでもなく見つめることが失礼であるとも、重々承知。


「ん? どうかしたのか? おい」

(はわわわわわわ……)


 承知した上でなお握り返さないのはひとえに…………手汗が大変なことになっていたからである。

 ただの手汗ではない。

 あぶらぎった中年男おじさんの手汗である。

 幹部とは言うが、十六歳のルリファーの姉であるアイギスも、十代後半からせいぜい二十歳前後の外見。

 目の前の中年の手汗がどんなにギトギトか、想像さえしていないだろう年若い女性の手をこの手で握るというのは……なんかもう、ちょっとした犯罪になりはしないだろうか。


 えらく久々の外出で、うら若き美少女たち……しかも犯罪者ギルドマフィアの幹部という、ちょっと怒らせてはいけないタイプの人々の前でもある。

 緊張が頂点に達していることもあり、さりげなく服でぬぐう程度でどうにかなる量と質の手汗でもない。

 わかっている。

 だからといって無言で差し出された手を見つめ返すだけなのもまずいと、わかってはいるがしかし、スマートな言い訳を思いつけるほどのアドリブ力もなく。

 ヴォイドはただただ(はわわわわわわわわ……)と、胸中でおじさんに似つかわしくない慌て声をあげることしかできず、



 その言葉が、時間切れの合図だった。

 アイギスは笑顔を消し、瞳孔どうこうの開いた血色ちいろの瞳でこちらを見つめた。


(やばいまずい怒らせた一人目から怒らせたマフィアの幹部を怒らせた怒らせた怒らせたやばい)


 ヴォイドは内心焦るが、もう遅い。


「んだァッその態度ァァッッ!?」

「姐御の握手を無視たぁ舐め腐ってんのかオイゴルァあ゛ぁん゛ッ!!!????」

「んま調子くれてんじゃねぇぞてめ隻眼風情せきがんふぜいがオ゛ォオ゛ォン!?!?」


 目つきの悪い黒服の女性たちが、たちまち色めきたってヴォイドを囲む。

 その剣幕たるや、もちろん怖い。

 めちゃくちゃ怖い。

 なにしろ女性とはいえ恫喝どうかつである。

 そんな方々に凄まれては、比較的善良な一般小市民であるところのヴォイドとしては、ちぢみ上がって言葉も出ない。


 だが女性たちの怒声はそう長くは続かなかった。

 ダンッッッ!!! と大きな音を立て、アイギスがすぐそばの机を手の平で叩いたからだ。

 すっと黒服の女性たちは怒声を止め、表情を消して背筋を伸ばし、また影のように控える。

 それをゆっくりと確認してから、アイギスはいっそ不気味なほど静かな眼差しでヴォイドを見上げた。


(ふぇえええ……)


 それが相手を威圧するための演出だとしても、実に効果的だと思った。

 怒声は怒声で怖いが、恐ろしい怒声を上げる者たちを一声で黙らせる上役うわやくの、静かな声の方がさらに怖い。

 流石は巨大な犯罪者ギルドマフィアの幹部。

 アイギスもどうやら、静かな声での威圧を得意とする――


「ざッけんなテメウォルァッッあたしを誰だと思ってんだ調子乗んなヴォゲカスッんま舐めてッと■■に▼▼▼突っ込んで●●を★★★から■★●●▼♪★★★★ッッッッ!?」


 わけではなかった。

 普通にめちゃくちゃ荒らげた声と罵詈雑言ばりぞうごんつばが、ぐいっと寄せられた怒り顔から飛んできた。

 後半はもうヴォイドには理解できないスラングまみれで何を言われているのかすらわからない。

 わからないがとにかく怖い。


(ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい…………)


 声も出せず内心おびえ切ったヴォイドに、アイギスはしばらく罵声を浴びせ続けたが、やがて疲れたのか、ヴォイドから視線を切る。

 代わって視線を向け、声をかけた相手はルリファーだ。


「おう愚妹。一応聞いとくが、あたしの指示を無視してこいつに……何か言ったか?」

「いいえ、何も。


 いまだ震えるヴォイドをよそに、アイギスとルリファーは「お前が指示してこんな失礼な態度を取らせたのか」的な確認をしているようだった。

 自分の連れてきた人物の非礼をルリファーが意に介さず、笑顔すら浮かべているのは、実は愚妹呼ばわりに思うところがあるからなのかなんなのか。


 姉妹二人はしばしの間、妙に剣呑けんのんな迫力のある視線をまじわらせた。

 おかげでこれまでよりさらにもう一段強く、部屋の空気が張り詰めている。


 その空気に反応してだろう。

 これまでヴォイドやルリファーの存在を意に介さない様子だった他の二人もこちらに視線を向けた。

 本に目を落としていた、長い前髪で目元を隠した、それでもその美貌美貌までは隠しきれていない金髪の美少女。

 そして気だるげに机に突っ伏している、青髪と碧眼へきがんの美少女。


 少し迷惑そうな二人をよそに、アイギスは引き続きヴォイドの方を血色の瞳で睨みつけたまま、ニィと獰猛どうもうに、獣じみた形で唇を吊り上がらせる。


「まあ話が早くていいさ。

 愚妹から聞いてるだろうが、あたしらは自分よりよえぇ奴には従わねえ。

 早速だが、一時間後に地下に来い」


 そこまでひと息に言ってから、アイギスは不意に笑みを消し、己の魔眼の瞳孔に殺意を込めて言った。


「聞けゴミカス。

 いいか? てめぇと愚妹は、あたしが早々に脱落させてやる」


 恐らくは「ギルドの後継者争いから」という意味なのだろう。

 思わぬ流れで早々にルリファーの姉妹の一人と戦う羽目になるようだった。

 とはいえ、そもそもそのためにここへ来たのもまた事実。

 ヴォイドもそこの覚悟だけは一応済ませている。覚悟ができているかどうかと恐ろしさが消えているかどうかはまた別の話だが。


「わかった」


 せめてもの礼儀で、ヴォイドは短くだが返答した。

 アイギスは「はっ」と獰猛な、獣のような笑みを再び見せ、勢いよくきびすを返すと、取り巻きをひきい部屋を出ていく。

 それからノロノロと、他の二人の美少女たちも立ち上がり、やはり取り巻きを引き連れて、そろって部屋を出ていった。


「本当に早速ですね。

 アイギス姉様が相手なら、こうなる可能性も視野には入れていましたが。

 ――ご武運を。ヴォイド様」


 残されたヴォイドに、ルリファーは笑いかける。

 彼女が余裕なのは、ヴォイドの勝ちを確信しているからなのだろうが……その確信が間違いでないことを、ヴォイドは今、ただ祈るしかない。

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