第4話 少女のお願い

 隻眼男おじさんの背を追ってしばし。

 辿り着いたのは、山の中腹を開墾かいこんして作られたと思しき、周囲より開けた平地。

 土地の多くを畑が占め、端の方にぽつんと、木造の小屋が建っていた。

 この人外魔境特有の植物なのか、畑で実る見たこともない作物に目を奪われつつ、ルリファーは男の案内に従い、小屋の中に邪魔させてもらう。


「改めまして……ルリファー・アイデン・リヒテンボルグと申します。

 先ほどは危ないところを救っていただき、誠にありがとうございました」


 室内にある調度ちょうどはベッドとテーブル、二脚の椅子のみ。

 勧められた椅子に座る前に、彼女は己の名前と謝意をまずは示した。


「……ヴォイドだ」


 男が短く名乗り返したのは、響きからしてファーストネームだろうか。

 どこか武骨な響きは、椅子の上で足を組み、まだ残る葉巻を美味うまくもなさそうに吸う男によく似合っていた。


「……」


 用件があるのはそちらだろうとばかり、ヴォイドは紫煙をくゆらせながら、沈黙でルリファーをうながす。

 どうやら、そもそも彼女がこんな場所で遭難している背景、この山脈に立ち入った目的の存在についても勘づかれているらしい。

 それならばむしろ話が早いと、ルリファーは前置き抜きに本題に移る。


「単刀直入にお願いします。

 ヴォイド様。どうか私のギルドに加入してはいただけないでしょうか?」

「…………」


 目立った反応はない。

 ヴォイドはなおも沈黙を貫いている。

 勧誘が容易たやすくはないことを改めて悟りながら、ルリファーは続ける。


「母から受け継いだギルドです。

 規模は大きく、事業も広く手がけています。

 ヴォイド様であれば、報酬は年間1億ダリス以上をお約束できるかと思います」

「……1億ダリス。ずいぶんと気前きまえの良い話だが?」


 ギロリと、油断なく細められた隻眼がルリファーを射抜く。

 決して嘘は言っていないが、ヴォイドがあんに指摘している通り、向こう十年に渡ってこの報酬を用意できると確約できる状況なら、ギルドの後継者である彼女が単身、遭難に至るほど追い詰められていない。


「……はい。

 お察しの通り、1億ダリスをお約束できるのは、現在の規模と事業を維持できた場合の話です。

 今まさに、私のギルドはそこを維持できるか否かの瀬戸際せとぎわにあります。

 そしてこの難局なんきょくを超えるためにこそ、ヴォイド様にお力添えをいただきたいのです」

「……」


 ヴォイドは応えてくれない。

 だが交渉の難航は覚悟の上だ。


「確約できるのは初年度の1億ダリスまでですが、ギルドの運営が上手く運べば翌年以降、それ以上の金額もお渡しできるはずです。

 もちろん、他にお望みの報酬……物品等がございましたら、その確保にも全力を尽くすとお約束いたします」

「……せないな」


 少し呆れたようなため息を吐き、ヴォイドは低い声をらした。

 全てを見透かすような隻眼が、問題はそこではない、と告げている。

 魔眼の中には実際に全てを見透かす類の例もある。

 彼には自身の何もかもが詳らかに見えてしまっているかもしれない……そんな可能性に緊張と、ほんのわずか、自分でも得体えたいの知れない興奮じみた何かを覚え、ルリファーは白いほおをほんのりと紅潮こうちょうさせる。


「我々は先ほど初めて出会った他人のはずだ。

 まだ私がどんな力を持っているかもわからないだろうに、そんな人間をなぜそこまでの好条件で勧誘する?」

「力の詳細がわからずとも、あなたが類稀たぐいまれな強者であることは明らかです。

 私が求めてやまない強者。そこが何より肝要かんようなのです」

「それほどまでに強者を求める理由は?」

「ギルド存続のためです」


 こちらを探る隻眼を正面から見返して、ルリファーはきっぱりと応じる。


「大事な、私にとって何より大事なギルドなんです。

 本来、後継者に相応しいのは私より他の姉妹だったはずですが……母は、私を後継者に指名しました。

 理由は単純で、それ以外にギルドの内紛や分裂を防ぐ手段がなかったからです。

 ギルドの幹部である私の姉妹たちは、それぞれ気質こそ違いますが、何よりも『力』『強さ』を重視します。

 そして私以外の全員が、自分こそギルド内最強であると自負しています」

「……自分より弱いギルド長の下につく気はない、と?」

「その通りです。

 母の遺言を守り、母の喪が明けるまでは実際の衝突は避けてくれていますが……猶予ゆうよはそれほど残っていません。

 姉妹の中で唯一、自分こそがギルドの長に相応しいとは考えておらず、他の姉妹たちを超える強者を見つけて後継者争いを止められる可能性を持つ私……母が後継者に私を指名したのは、そういう意図です」

「つまるところ、君のギルドに入り、君の姉妹たちの『反乱』を力ずくで押さえつけて欲しい。そういう依頼か」


 ルリファーの要求を要約し、ヴォイドは軽くアゴの無精ぶしょうひげをでる。

 それから条件を整理する間を取って、試すような調子で言葉を続けた。


「仮に私にそれだけの強さがあるとして。

 君の姉妹たちを一度ねじ伏せて終わり、とはいかないだろう。

 それ以後も私は、永続的に君のギルドに所属し続ける必要がある。

 いや、君の姉妹たちが文字通り本当に自分より強い者の下にしかつかないというなら――」

「おっしゃる通り、事実上の、いえ必要があれば形式上の部分も含めて、ギルドのボスの立場はヴォイド様にお譲りする形になるかと思います」

「……思ったよりも責任の重い話だ。なるほど、年間1億ダリスやそれ以上の報酬は必要だろうな」


 ヴォイドは少し短くなった葉巻を口元に運び、ゆっくりと吸い込む。

 吐き出された煙からは、不思議と爽やかな香りがした。

 難しげにひそめられた眉や表情を見ても、それが急で無茶な依頼への不快さゆえなのか、それとも真剣に条件を検討してくれているからなのか、いまひとつ判断がつかなかった。

 断られるかもしれない不安と焦りが手伝い、ルリファーはつい、余計かもしれない言葉をつむぐ。


「あなたのような方が、こういった場所にお一人で住まれていることには、相応の理由があるものと存じます。

 私のような若輩者じゃくはいものにもある程度は――察せられるものもあります。

 その上でどうか……」

「――待て」


 しまった、と思った時には遅い。

 ヴォイドの反応はこれまでとは明らかに違った。

 激烈げきれつだったと言ってもいい。

 ハッとして顔を上げた時、ヴォイドの隻眼は、ルリファーが思わず生唾なまつばを飲み込むほどの激しい……怒り、屈辱くつじょく、悲しみ、後悔、その他様々な感情を渦巻かせていた。ちょうど、多くの顔料を混ぜ合わせることで生まれるような黒一色ににごった瞳が、ルリファーを射抜いている。


「私の過去を、察せられる。

 今、君はそう言ったのか?」

「も、申し訳――」

「謝罪はいい。質問に答えてほしい」

「…………はい。言いました」

「そうか。……そうか」


 我ながら、あまりにも不用意だった。

 隻眼。それでいてあの強さ。

 他人と係わっていれば、風の噂に乗らないはずがないほどのレアケース。

 それがギルドの情報網に一切かからなかったということは、それだけきっぱりと、俗世ぞくせとの係わりを断って生活しているがゆえだろう。

 ルリファーならずとも欲しがる、引く手数多あまたの強さを持ちながらそうなのだ。

 まず間違いなく、ヴォイドには凄絶せいぜつで、その身体に刻まれた無数の傷のように痛ましい、余人には理解しえない過去がある。

 あくまでそういった過去があることは推察できると言っただけのつもりでも、「察せられるものもある」などと、訳知わけしり顔で語られたら相当に不快だろう。


 これは致命的だったかもしれない。

 元より勝ち目の薄かった交渉が、いよいよ暗礁あんしょうに乗り上げた。

 ルリファーがそう覚悟して消沈した後、長い沈黙を経て、ヴォイドは再び口を開いた。


「話を受けてもいい。

 ただし、私からも条件がある」

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