第3話 おじさんの心境

魔力炉まりょくろとしての魔眼は、左右がそろった上で、もうひとつの魔力炉――心臓と同調して初めて完成する。片眼かためを失った場合の生成魔力の質と量は、半減では済まされません。……済まされない、はずです」


 不意にその隻眼の中年男を訪ねてきた美少女は、アクシデントの後、何かを自分の中で整理するように、言葉を並べた。


 歳の頃はおそらく十代後半くらいか。

 遭難していると言う割につやを保った、美しく長い純白の髪。

 肌も雪のように白く、瞳は氷河を思わせる透き通った青で、極北きょくほくみ切った空気が人の形を取った……そんな印象を受ける。


 ただし、はだけたローブから垣間かいま見えるよろいは、南国の海辺にこそ似合いそうな軽装型のそれ。

 均整きんせいの取れたプロポーションも相まって、これが街中なら若い男の視線を奪って離さないであろう面積、胸元や脚部が露出していた。


「実はまだその左眼ひだりめは健在……いえ、そこに魔力の気配は微塵みじんもない。

 明らかに魔眼としての機能を失っています。

 なのになぜ、なぜまだあなたは――」


 美少女が自身の服の乱れを気にする様子はない。

 ただまっすぐに、見開いた青い瞳を隻眼男へ向けている。

 やがて耐えかねたように、


「それほどの強さを維持できているのですか……!?」


 そんな悲鳴じみた問いを、か細い喉から絞り出す。


「…………」


 隻眼の中年男は、鋭く目を細め、なおも黙る。

 黙って、大剣たいけんを背負い直す。

 そうしていた手を、ズボンの後ろ側にあるポケットへと伸ばした。


 取り出したのは小ぶりな、鈍色にびいろのケース。

 ふたを開けたケースの中に整然と並んでいるのは、葉巻はまきだ。

 一本を手に取ると、専用のカッターで葉巻の吸い口をカット。

 魔術で火をつけて、吸い口をくわえ深く吸い込む。


 この男なりの、思考をまとめるための儀式だった。

 男は葉巻から口を離して紫煙しえんを吐き出すと、積み上がった竜種ドラゴンの死体から飛び降りた。

 血だまりをびしゃりと踏んだ後、美少女に背を向ける。


「ついて来い」


 そうして、自分のに向けて歩き出す。

 男としては、彼女がついて来なければ来ないでそれも構わなかった。だが、背後でわずかに息をむ気配がした後、おそるおそるといった調子の足音が追ってくる。


 彼女はどうも混乱しているようだが、実を言えば隻眼男の方にも、まだ少し時間が必要だった。

 なぜなら渋面じゅうめんまゆをひそめ、重々しく紫煙を吐いている強面こわもての隻眼男は内心、





(はわわっ、はわわわわ……っ????)





 ぷるぷると幼児のごとく涙目でおびえ、ひどく混乱していたからである。


(え~~??? いやぁ……ふえぇぇええ~~~……???

 な……え、急に誰か来たと思ったら、なんなのほんと……。

 てかまず誰??? 思わず咄嗟とっさに助けたら急にすごい剣幕けんまくめてくるし……もしやそういう美人局つつもたせとか???

 よくわからんけどなんか怖~~~~~~~っっっ)


「はわわわわわ」と、その胸中は顔に似合わず、情けない。

 もし実際に声に出ていれば若い女性に「キモい」と切り捨てられること必至ひっしだろう。

 そんな戸惑い方をしているこの男。

 名をヴォイドという。


 見た目通りにもう中年と呼ぶべきよわいに至っているが、未だ家庭はない。恋人もいない。ろくに友人さえもいない。


 もう何年も一人で孤独に、この無駄に過酷な環境の僻地へきちに、隠れるように住んでいる。世間一般の同年代の多くが築きあげているであろう地位も、富も、経験も、社会性も皆無かいむなおじさん。それが彼である。


『え……? その歳で? 定職にも就かず……?』

『あー……引きこもりってやつっすか……?』

『おじちゃん、お仕事しなくていいの???』

『うわキモ。こっち見ないでよおじさん。減るから』


 半年ほど前、ふもとの街へ買い出しに出向いたのが他人とやり取りした最後だが、その時の記憶もひどいものである。


 一応は目標があってこんな生活を続けているのだが、実際のところ、生涯しょうがいをかけようが、それが叶う保証も特にない。

 最近はあきらめる気持ちも多分に混じり、正直、我ながら何が楽しくて生きているのか時おり不思議になることもある。


 かといって別に、己の境遇きょうぐうを不幸だと嘆くほどの身の上だとも思っていない。

 一方で「今、幸せですか?」と問われれば、とても首肯しゅこうはできかねる。 


 見る者によっては気楽で恵まれた自由人。

 また別の見る者によっては悲惨な独身の非モテ中年。

 それが、ヴォイドという名を持つ隻眼男の、今日この頃だった。


(しかし考えれば考えるほど意味がわからん……。

 こんな僻地に?? 少女が一人で???)


 世間を知っているとはとても胸を張れない経歴の持ち主ではあるものの、ヴォイドも一応、自身の現状や棲み処に対するある程度客観的な認識はできている。

 だからこそある意味、彼の戸惑いや怯えは、無理からぬものであるはずだ。


 ヴォイドが住んでいるのはおよそ人間種の来客などありえない僻地も僻地。

 ありえないはずの来客……突然の美少女の来訪は、この山ではよくある唐突な落雷より何倍も稀少レアな、青天の霹靂へきれきだったのである。

 しかも、急に現れた客人に声をかけられたヴォイドが、もちろんたっぷり動揺していたその時、今度はその客人を頭上から捕食する竜種ドラゴンの出現。


 ヴォイドは混乱のままついつい魔眼の力を使って彼女を助けて……直後にまた、さらに混乱する事態におちいった。


(……怪しい。

 命を救った程度で、極端に持ち上げすぎじゃないか……?)


 一応自分は命の恩人ではあるのだろう。だがだからといって、年若い美少女が、あんなに必死な顔でこんな冴えないおじさんを「どうしてあなたはそんなに強いの!?」などと持ち上げてくるものだろうか?

 普段ろくに持ち上げられることがないおじさんゆえ、持ち上げてもらえることはそれなりに嬉しいが、嬉しいからこそ、そこに罠を感じる。


(年若い女性にとって中年男おじさんは、初対面の時点ですでに、中年男おじさんであるというただそれだけで好感度マイナス。

 命を救ってようやく好感度ゼロに届くかどうかといったところのはずでは?

 いやまぁ、強さへの評価と好感度とはまた別なのかもしれないが……)


 極端な見方かもしれないし、ヴォイドの場合、中年であることだけが問題ではないにしろ……こうした見方が単なる被害妄想だとは言えない程度には、実際に彼が若い女性から街で向けられる視線も冷たい。

 同時に、彼女たちの態度がそうなるのも無理はないと思えるくらい、有害なおじさん……酔っ払いやノンデリ、セクハラ野郎も世には多いのが実情だろう。


(いわゆるデリカシーの有無については私だって自信がないし……さておき)


 命を救った程度で自分のような中年への好感度をプラスに転じる少女の態度は、ヴォイドの知る世間一般の基準からすると不自然。

 ゆえに、なんらかの狙いがあっての演技である可能性を常に念頭に置くべきと言えた。

 杞憂きゆうや被害妄想であれば彼女には失礼な話だが……自己肯定感の低いおじさんは、警戒心の強い生き物なのである。


(やはり……怖い)


 話に聞く美人局つつもたせや詐欺の香りをぎ取り、あの竜種ドラゴンすら彼女の仕込みなのではないかとつい想像してしまうくらい。まあ、あの竜種ドラゴンが彼女の仕込みという可能性についてはほぼと、確信できもするのだが。


(とはいえ……美人局や詐欺というのもそれはそれで無理がある、か?

 狙われるほどの経済力がないしなぁ……)


 おじさん特有の本能的な警鐘の一方、頭の理性的な部分は、詐欺師のたぐいがろくな財産もない自分のような男を狙って、こんな僻地まで訪れるわけがないだろと冷たく訴えてもいる。

 そもそも不慣れな人間が立ち入って五体満足で生きて帰れるとは限らない土地だ。

「遭難した」という彼女の主張の方が真実らしくはあるだろう。


(……うん、だから大丈夫。たぶんきっと大丈夫)


 別に彼女は自分をカモにしようとしているわけではないはず。

 食糧や水を分け与え、比較的安全な下山ルートでも地図にすれば、大人しく帰ってくれるだろう。

 年若い美少女を見て、魅了されるよりもまず警戒が先に立ってしまう己に物悲しい中年男おじさんらしさを実感しつつ、ヴォイドは気を落ち着けるべく、愛飲している葉巻(乾燥させた薬草を刻み、別の薬草の乾燥葉で巻いた生薬。苦くて不味いが滋養強壮・整腸・血行促進効果があり、健康に良い ※効果には個人差があります※)をふかす。


 そんなヴォイドの様子を、問題の美少女が少し、熱っぽい瞳で背後から見つめていることに、ヴォイドはまったく気づいていなかった。

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