第2話 最凶の魔剣士
「そういやオイ、聞いたか?」
「あん?」
「ここらじゃ有名らしい、例の噂だよ。なんでも――」
――アイゼルヴァンファー山脈の奥地には、世界最凶の魔剣士が住んでいる。
彼女……ルリファーがその
広大な支配領域を持つスレイヴィニア帝国の、北部国境に当たる地域である。実家のある帝国南東端の都市を出てから数か月、西へ東へ
長い旅路の末、
「その正体は定かじゃないが、諸説ある」
「諸説?」
「おうよ。ある説に曰く、数百の
「いや無理だし無駄に危険すぎる。せめて仲間くらい連れてけよ」
「またある説に曰く、数万の敵兵をたった一人で
「傭兵なのに命張りすぎだろ」
「さらに別の説曰く、某国の悪質な
「さっきからなんでそいついちいち
「とにかくえらく強いそいつが、すぐそこに住んでるって噂なんだよ!」
「へー。そいつはすげえや。……で、そもそも人なんか住めるのか? あの山」
「そりゃおめぇ、俺らはともかく『世界最凶』なら住めるんじゃねぇか?」
「んーなご
「そうそう。そんだけ強ぇなら冒険者なり軍に入るなりでいくらでも稼げる。都会で
「っだよお前ら、ノリ
などと仲間のリアクションに不満を漏らす男も、さして噂を本気にしている様子ではない。せいぜい場を盛り上げる雑談程度の話題だったのだろう。
まあ、どう考えても作り話。実話だったとしても一〇〇年は昔、複数人分の、誇張された伝承が混ざり合ったとかその程度。
この旅に出たばかりの時点でのルリファーなら、真偽の確認を検討さえしなかっただろう与太話だった。
だが、旅に出てからしばらくが経った彼女は今、
(……世界、最凶)
限界だった。
万策が尽きていた。
なので、情報と呼んでいいかどうかも怪しいその情報の真偽を確かめるべく。
翌早朝から彼女は、アイゼルヴァンファー山脈を
「うん。失敗しました」
結果、半日後には後悔していた。自信はあったつもりだが、常人とは少々身体の出来が違う彼女にとってすら、山脈の環境はひどく過酷だった。何せ、その辺の草原の
大半は小型だが、それでも竜種。後悔の半分は、流石の自分も死ぬかもしれない環境に対するもの。そしてもう半分は、こんな環境に暮らす人間種がいるはずもないという、ごく当たり前の現実に対するものだった。
しかし、後悔は先に立たない。
たかだか半日でも、次から次へと現れる大量の
(これは……いわゆる……遭難、ですね…………)
完全に遭難した状態で一日、また一日。気づけば丸五日が経っていた。先へ進むほど
――彼女は、出会った。
(あれは……人間……?
……いいえ。そんなわけ、ありません……よね?)
最初はついに幻覚を見たのかと思った。何しろルリファーがさまよい、崖から落ちたり飛竜に攫われたりして結果的に辿り着いたその山奥は、とても人間種が住める環境ではなかったのだ。
生息する
昼は火山の内部じみた、暑さを通り越した「熱さ」に至ることがあるし、夜は夜で凍土のような極寒に至る。吹雪も
恐ろしいことに、これらを彼女は遭難中のたった「五日」で全て体験しているのである。
少なくともルリファーは違った。最初に己の現実逃避からくる幻覚を疑い、次に
(術式に反応がない。本当に幻でも擬態でも……ない?
なら……ならまさか、本当に……!?)
だが、どれも違った。幻覚にしてはハッキリしすぎていたし、幻術への
『アイゼルヴァンファー山脈の奥地には、世界最凶の魔剣士が住んでいる』
相手が背に巨大な剣を負っていたこともあり、あの情報がにわかに真実味を帯び始めたのである。
彼こそが、ルリファーが心から望んでやまない「強者」かもしれない。彼女の
(あ……)
さらにその人物に近づいていく内……やはり急速に、
「あの……少し、よろしいでしょうか」
大変な非礼とは知りつつも、かけた声にはついついわずかに、落胆の色が
気持ち的にはもう声をかける気力も失いかけていたくらいで、それでも声をかけたのは、自分の接近に相手も気づいてしまっている距離であったから。今さら引き返したり素通りするのも不自然だったというだけだ。
「…………」
山の
顔だけをこちらに向け、何も声を発しないその
(どう見ても……
隻眼。
その特徴を持つ者は、魔剣士としては控えめに言っても「弱者」や「
元冒険者か、
役に立つなら子供だろうが酷使する冒険者組合も傭兵団も私兵団も国軍も、流石に「隻眼」を前線で使おうとは思わないだろう。
戦力としては一般的に、下手な子供より役に立たないのだから。
「あー、ええとですね、実は少々道に迷っておりまして……いわゆる遭難というやつでして、できればここがどこかと、もしよろしければ水や食糧もほんの少しで良いの……で……あれ……?」
本来の目的は果たせそうにない。なので別の、これはこれで切羽詰まってはいる困りごとに関して口にしつつ、図々しいかもしれない頼みごとをしかけたルリファーは、そこでふと違和感を覚えた。
この土地は、彼女ですら長期間の生存を絶望視せざるをえない人外魔境。
こんな場所で隻眼の「弱者」「落伍者」が暮らせるはずもない。
しかし目の前の中年男は、
彼がここの住人であるのなら、彼の命を支える同居人……別の「強者」がいるはずだ。
「あ、あの! ここにあなた以外の住人の方はいらっしゃるでしょうか!?」
気づくや、ルリファーはその可能性に飛びついた。
再び
「いない」
「え?」
ごく短い相手の返答で、期待を
いや、いやいやいや、そんなわけがない。
大剣を背にしているし、全く戦えないわけではないのだろうが、ここは「一応戦える」程度でどうこうできる環境ではない。強者を伴わず、「隻眼」がたった一人でこんな場所に暮らせるはずがないのだ。
では彼は、なんらかの理由で嘘をついている?
いいや、あからさますぎて、嘘だとしたらつく意味もないような嘘だ。なら逆に本当……なにかしらのアーティファクトの効果? あるいは「魔城」クラスの強力な結界術の保護下で暮らしているとか……。
習い性で、瞬時に相手の言葉の意味やその裏を検討し、複数の可能性を列挙するルリファーだったが――答え合わせの瞬間は即座に、唐突に、そして理不尽に訪れた。
予感があったわけではない。
しいて言えば、頭上の空気がごくごくわずか乱れたような、毛の先ほどの何かを感じただけ。
当事者だけが辛うじて気づけるレベルの、小さな違和感。
それに従い、彼女はふと、何気なく頭上を見上げて、
眼前に差し迫る、
見上げた頭上に広がるのは、巨大な
喰われる寸前に気づけたことの方が奇跡で、もちろん
恐怖。
即座に彼女の
――いいですか? ルリファー。
これから口にするのは、
私の……あなたの母の
(ごめんなさい。お母様)
いまわの
涙をこぼす
――瞬間、
否。彼女の優れた動体視力は、頭上から垂直に急降下してきていた
ぶつかった……いや
「離れていろ」
身軽にルリファーのそばに着地した
蹴り飛ばされた
彼女が距離を取るほどの
だが隻眼男は、
男はルリファーの身の丈さえ超す巨大な剣を手に、
改めて隻眼男の剣を見た彼女は、その巨大さ以外の部分に、思わずぎょっと目を見開いた。
それが丁寧な手入れの
だが、手入れの丁寧さを踏まえてなお明らかに、その大剣は「なまくら」の
サイズに見合う重量こそあるのだろうが、見るからに討伐難度「アダマンタイト」を下らない、
はたして空中でのすれ違いざま、
――ドパッ、と大量の血液を宙にぶち
「は……?」
ズン、ズドンと地を揺らし、
積み重なった骨付きの肉塊の山の上に、隻眼男はまた軽やかに着地する。
息一つ切らさず。
何事もなかったかのように。
「怪我はないか?」
ルリファーにちらりと視線を
「………………うそ」
気遣われた彼女はといえば、目の前で起こった現象が幻である可能性を検討し、どうも現実であったらしいと受け止めるので精一杯だった。
「…………」
「……、…………」
ルリファーも黙考をしばらく続け、動揺を少しずつ落ち着けて、やがて、問わずにはいられない疑問を、問わずにはいられない理由を整理しながら、
「魔眼球――通称・魔眼。
人々が生まれ持つ魔導器官であり、魔力を生成する臓器……」
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