年の瀬
小狸
短編
*
「流石に年末最後があの短編はないだろう」
というお話を、いつも読んでくださる私の大先輩から頂戴したので、もう一篇ほど書くことにする。お付き合いいただければ幸いである。
*
家というものは、基本的に帰る場所である。
そして私にとって実家とは、帰る場所ではなかった。
ただいまと言って扉を開けられるような場所ではなかった。
そんなことを土日にすれば、「うるさい」という怒号と共に拳骨が飛んで来かねないからである。
あの家で私は、人間でいることを許されていなかった。
そういう家で育った。
そういう両親の下で育った。
それだけの話である。
毒親機能不全家族親になる資格がない人間、などと最近の言説ではそんな表現を垣間見るけれど、私はそんなことはないと思う。
何かの歯車の噛み合わせが悪くて、父は暴力を振るったのだろうし、母は暴言を吐いたのだろうと思う。仕方なかったのだ、と今なら思う。世帯所得も決して高い方ではなかった。そんな中で、私たち姉妹を育ててくれただけでも、御の字ではないか。
なんて、今はそんな風に思うことにしている。
いつまでも悲愴に浸っていられないのである。
悲劇のヒロインは、最後は笑って物語を終えるものだろう?
私も私で、大学を出て仕事を始めて、泣いている余裕があるわけではないのだ。
そんな、ある種崩壊した家庭に育った私が、どうしてまともな人間の振りを一応しながら、職業にありつけているかというと、これは祖母の影響が大きい。
母方の祖母である。
祖母から見れば、私たち姉妹は孫である。
祖母の実家は岩手県にあり、長期休みのたびに、私と妹と母は、母の実家に帰省していた。その時に限って、母は私たちに優しくなった。
多分母も母で、思い詰めていたところがあったのではないかと思う。実家という場所で落ち着くのは、誰だって同じである。
祖母は優しく、厳しい人である。
私は人生の大半の事柄を、祖母から学んだ。
私にとって「ただいま」と言える場所は、ここだったんだ。
そう思えて、そう気付けた。
別に、実家でそう言えなくとも、この祖母の家でそう言えるから、良いんだ。
家に自分を雁字搦めに縛っていたのは、他ならぬ私自身だったのである。
それを体感することができたことが、何よりの僥倖ではないだろうか。
今年の年末も、私は岩手の祖母宅で過ごす。
母とは別の新幹線で来た。
この歳になると、母も大分落ち着いてきて、普通に話すことができるようになった。
今日は午後からいとこの子どもたちが来て、賑やかになりそうである。
祖母の家は、皆の集合地点になっているのである。
帰って、祖父の仏壇に手を合わせて、祖母に近況報告をした。
祖母は「頑張り屋さんだねえ」と言ってくれた
子どもたちが来るまでまだ時間がある。
何もせずにただ時間が過ぎるのを待っている。
こんな年末も良いな、と私は思った。
(「年の瀬」--了)
年の瀬 小狸 @segen_gen
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