花野井さんは、食べ切れない

アイデアの女神に溺愛されて夜も眠れない

第1話:花野井さんは、食べ切れない

花野井さんは、食べ切れない。


「…ギブぅ」


お昼休み、多くの生徒で賑わう学食である。


彼女は虫の息でそう宣言すると、箸を置き、トレーを前に押し出しつつ、テーブルに静かに突っ伏した。


「はいはい、頂きますよ」


向かいに座る俺は、それを受けとり、今日の献立を確認する。


~本日の日替わり。元気百倍!!特性唐揚げ定食~


- ご飯(茶碗1/3)

- 味噌汁(少々)

- 唐揚げ(中サイズ2個)

- 千切りキャベツ(山盛り)

- お漬物(柴漬け2枚)


こう羅列すると、残飯にしか聞こえない。だが実物は、ごく普通の唐揚げ定食にしか見えない。(※コミカライズ参照)


花野井さんを責めてはいけない。そう、うちの学食は、非常に量が多いのである。


なんでも前代の校長が戦争経験者で、幼い妹を栄養失調で亡くした過去があるらしく、「とにもかくにも子どもにはお腹いっぱい食べて欲しい」との方針で学食を作り、それが今でも守られている。素晴らしいやなせたかしイズムである。


特に、この日替わり定食は300円という破格の価格でありながら、育ち盛りの運動部男子でさえ、ベストコンディションでないと苦戦するほどの量が出てくるのがお約束となっている。


「いただきます」


ちなみに俺は既に持参の弁当を食した後である。育ち盛りの運動部男子、その筆頭たる、堂々たる野球部である。


唐揚げは別腹であり、千切りキャベツは飲み物である。


休み時間終了間近で、学食も閑散としているが、余裕で残りを平らげる。そして、動けない彼女の代わりに食器を返却し、ご馳走様を伝えておく。


念の為水を汲んで戻ると、彼女はまだグロッキーな状態だった。


「いつもありがとねぇ…うぷ」


「いいよ、もうすぐ授業始まっちゃうけど、動ける?」


「無理」


即答しつつ、受け取った水を飲み干している。油分や塩分が中和されて、多少楽になるらしい。


「…連れてって」


「いつものね、はいはい」


上目遣いで強請る小柄な彼女をそっと抱きかかえて教室まで戻る。軽くても人一人分、更になるべく揺らないないようにするため、階段では足腰体幹が鍛えられる。


こうして昼休みを過ごすのがいつしか日課になっていた。


いや、いつしかではなく、最初からだったか…


<><>


入学初日。午前の各種オリエンテーションが終わり、午後の各種オリエンテーションに備えて食事をしようと、初めて学食に入ったときのこと。花野井さんに出会った。


と言っても初めての邂逅ではない。同じクラスで、しかも出席番号順で隣の席だった。会話こそしていないが、珍しい苗字だったので覚えていた。


「…」


彼女は、山のように盛られた唐揚げを前に、呆然としていた。その山は7合目あたりまでは攻略されていた。言い換えると7割残っていた。


メニュー名は今でも覚えている。


~新入生歓迎!! 得得特盛スペシャル唐揚げ定食~


内訳は、山盛りご飯に山盛り唐揚げ、それに連なる千切りキャベツ。これだけで三連山である。更に、付け合せ扱いの味噌汁と漬物でさえ、それだけで「豚汁定食」とか「漬物定食」とか名乗れるほどのボリュームである。なるほど最初から3定食分と考えれば、あの日本昔ばなしに出てくるようなご飯の量にも説明が付く。


いや、歓迎じゃなくて洗礼だろ。入学試験を突破した生徒への通過儀礼である。


周りを見れば、至る所に似たように、悪戦苦闘している生徒がいた。しかし、なるほど、これが伝統になっているのか、在校生が助け舟を出していた。


と言うよりは、ここぞとばかりに恰好良いところを見せようと、主に女子生徒に対して、食指を伸ばしているようだった。


ただ、飢えた獣のような先輩方も、花野井さんを前に尻込みをしているようだった。獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすと言うが、それは飢えている場合に限り、満腹であれば普通に見逃す。ましてや、山という自然の脅威の前では、為す術なしだった。


そんな理由で彼女を中心に微妙な包囲網が出来ており、他の人が近づけず、また彼女自身も理由も分からず包囲されていることで、非常に居心地が悪そうだった。


満腹と緊張の食い合わせは最悪である。このままではリバースマウンテン待ったなしである。


「それ、貰っていいか?」


その時俺はそう言って、彼女の目の前に座った。


これが、案の定というか、今でも続く彼女と俺の定位置となっている。


「え…本間くん!? ありがたいけど…大丈夫?」


「多分」


彼女の驚き、喜びは、すぐに心配に変わった。


何を隠そう、俺も同じものを頼んでいたのである。結果的に1.7人前、世間一般的な尺度では4~5人前くらいを食すことになる。


「自分、野球部なんで」


腹を括り、ベルトを緩めた。


結果、完食は出来たもの、午後のオリエンテーションでは強烈な睡魔に襲われ、意識がほぼなかった。


なお、翌日登校すると、学食でのエピソードからちょっとした有名人になっており、自己紹介カードの特技欄に「大食い」と書く羽目になった。そんなキャラ付けで高校デビューはないだろう。


そして、その日の昼から、また彼女の前で、図らずも特技を披露し続けることになったのだった。


<><>


あの時と変わらない、揚げたての唐揚げのザクザクとした食感を脳内で反芻していたら、今日の授業が終わった。


さて、本日は週に一回の部活が休みの日である。花の高校生活、開放された思春期男子、となればやることは一つ。


帰って走り込みと筋トレである。


ペットボトルに砂を詰めれば、無料で、グラム単位で重さ調整が可能なダンベルが作れると気付いてからは捗って仕方ない。


チャイムと同時に席を立つ、と、同時に、隣の席の花野井さんから声をかけられた。


「ねえ、今日部活休みだよね?」


「ん、そうだけど」


「ちょっと今週も付き合ってくれないかな?」


「了解した」


最近、彼女に付き合い始めた。


今月最初の週は、新宿にある老舗の専門店で山のようにクリームの乗ったパンケーキを食べた。パンケーキなるものを生まれて初めて食べたのだが、それでも、あれは基準にしてはいけないサイズだと分かる。比率的に、クリームにパンケーキがトッピングされているようだった。パンケーキにクリームを限界まで過積載して食べた。二人して口の周りが真っ白になったのを覚えている。その後、腹ごなしと言ってバッティングセンターに連れて行かれた。上手いと褒められた。自分、野球部なんで。ちなみに花野井さんは運動は苦手らしく、ボールを飛ばすどころかバットを振るのさえ一苦労だった。少しフォームなどのアドバイスをしたらヒットを打てるようになった。ただ、疲れたと言って途中でギブアップしていた。食べ残しはしても、飲み込みは早いようだった。


先々週は原宿にあるこじんまりとしたカフェでハニートーストを食べた。ハニートーストどころか、スライスされていないまるまる一斤のパンも初めて見たが、あれが標準サイズらしい、恐るべし。お約束なのかクリームたっぷりだったがそれはもう予習済みだった。問題は本体だ。芯までハニーたっぷりで、巨大な蜂の巣をそのまま食しているようだった。どうにか完食し、竹下通りを散歩していると、花野井さんはタピオカが飲みたいと言った。案の定というか、飲み切れなかったので、残りを頂いた。カロリーの味がした。調べるとタピオカはデンプンの塊らしい。トレーニング中の栄養補給に最適ではないかと思った。


そして先週は渋谷にあるおしゃれなカフェでバケツのような容器に入ったパフェを食べた。下に行くほど体積は減るが糖分が濃縮というか圧縮されていたのが大変だった。食べ終えたあとはゲーセンを連れ回され、プリクラなるものも撮った。何が楽しいのか分からないが、どうやら沢山盛るのが楽しいらしい。筋トレと同じかと言ったら、怪訝な顔をされた。出来上がった写真には、顔が隠れるほどの巨大なハートマークがつけられていた。意味が分からなかったが、「そういうものだから」と論破された。


さて、このように、毎週花野井さんの残務処理に付き合わされているのである。


金だけ払わされる男のことはATMなどと揶揄されるそうだが、なら飯だけ食わされる男は一体何だろうか。豚だろうか。どちらにせよ人権はないらしい上、より侮蔑的なニュアンスになっている。


「今日はどこで何を食べるおつもりで?」


甘いものへの耐性はすっかりついたため、ウエディングケーキくらいなら食えると覚悟していたのだが、


「ううん、今日はダイエットに付き合ってほしいの」


<><>


そうして彼女の家に連れて行かれた。


エントランスのオートロックが2回もある、高級ホテルのような立派なマンションの15階だった。ご両親はお仕事で不在とのこと。共働きのようだ。


そのご両親が汗水垂らして稼いだお金が、毎週湯水の如く、どこの馬の骨とも分からない野球部男子の血肉となっている。


「ちょっとまってて」


花野井さんが自室に消える。リビングにあるお高そうなソファに座って待てるほどの図太さはないので、ドアの前で立って待つ。


「おまたせ」


しばらくしてドアが開く、彼女は動きやすいジャージ姿に着替えていた。バレンシアガと書いてある、知らないメーカーだが、多分高い。あと綺麗。多分新品だろう。


さて、ダイエットについてだが、もちろん俺にノウハウはない、にも関わらず、なぜ協力を依頼されたかというと、彼女曰く、


「野球部が沢山食べているのに太らないのはおかしい、なにか秘密があるはず」


とのこと。


その答えは簡単である、食べた分が筋肉になるか、エネルギーとして消費されているからである。


「どうすればそうなるの?」


「野球部式のトレーニングをするとか」


「どんなの?」


「吐くまで走る」


ドン引きする彼女を見て、「というのは冗談で」と慌てて付け足し、普通の有酸素運動を提案した。どれほど効果があるのか不明だが、健康のためにも、やらないよりはいいだろう。


花野井さんはランニングシューズに履き替えて(こっちは知っているブランドだった)玄関を出てマンションのエントランスを進む。エレベーターホール横に非常階段があるのに気付き、せっかくならと階段で降りることを提案したら、彼女はその場所に階段があることに驚いていた。生まれて初めてその存在を知ったらしい。これまで大きな災害に見舞われなくて良かったと思う。


なお、10階分降りた段階でギブアップだった。階段でも、降り切れない。仕方がないので残りは背負って行こうとしたが、エレベーターを使うと言われた。その手があったか。


彼女はエレベーター内で息を整え、マンションのエントランスにあるソファで一休みし(このために設置されているのだろうか)、川に沿って、近くの公園まで走り始めた。


<><>


走行時間にして約15分、目的地である公園のベンチにて、現在花野井さんは背もたれに身を預け、肩で息をしている。


彼女は走り切ったのだった。


「流石だね本間くん…制服のままカバンを持って並走して、息は切れず、汗すらかいてないなんて…」


「自分、野球部なんで」


そう言いつつ、動き足りないのでスクワットをしておく。


初めて来るが良い公園だった、都内にあって、広々として、自然が多く、奥に、鉄棒や雲梯などのトレーニング設備もある。


「…よし! もう一踏ん張り!」


突然、彼女はそう言って立ち上がり、歩みを進めた。その先にはちょっとした高台になっている。歩きは余裕だが走るのは少ししんどい、そんな高さ。


すぐに後を追う。万が一、花野井さんが転んでもすぐに支えられるような距離を保って、並走する。


あっという間に山頂に着いた。町が一望できる、ちょうど綺麗に夕日も見える、なかなかの景色だった。


ただ、花野井さんはゾンビのように項垂れており、一切の景色は目に映っていないようだったが…


「どうして急にダイエットなんて…」


「だって」


そのあまりの様子に、ついデリカシーに欠ける質問をしてしまったが、彼女は食い気味に答えた。


「だって…これから夏になる…じゃん? となると…今は冬服だけど、夏服になって…更に夏になると、す、水泳の授業も始まったりして、だから…さ…」


その割には歯切れの悪い言葉が続いた。まだ息が切れているのもあるのだろう。


しばらくの無言の後、一息、大きく吸って、花野井さんは言い放った。


「好きな人に、だらしない姿を見られたくないじゃん!」


顔を上げた彼女の顔は、夕日に照らされて、真っ赤に染まっていた。疲労からか、全身が小刻みに震えているようだった。


「ほ、本間くんはさ…好きな人のお腹が出てたら、嫌でしょ?」


「いや別に…」


と言うと、彼女は驚いたような、残念そうな、複雑な表情をしていたが、気にせず言葉を続ける。


「俺、好きなものを好きなように食べる子が好きだからさ」


「それって…」


花野井さんが一歩近づいてくる。風が強くて声が通らないのか? 少し声量を上げる。


「でも、良い格好をしたいって気持ちも分かるから、手伝うよ、ダイエット。花野井さんが堂々と好きな人の前に出られるように…っと、大丈夫?」


言い終わる直前、倒れかかる彼女を真正面から抱き止める。貧血か、疲労か、とにかく休ませた方が良さそうだった。


夕暮れ時、多くの虫の音で騒がしい中、彼女は虫の息で呟いた。


「…ギブぅ」


「何が?」


その後何かを呟いていたようだったが聞こえなかった。そのまま泥のように寝る勢いだったので、いつものように抱え上げて、家まで送り届けた。


本間くんは、食べ切れない。

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