第二章 2024/3/28 旅天使ラファエルと大天使長ミカエル
再びウリエルが地上に姿を現したのは、薄暗いどこか神秘的な雰囲気を持つ森だった。
乳白色でのっぺりとした肌の、見上げても梢が見えない程長い木を伸ばし、細い糸の様な繊細な太陽の光が地表を照らし、木漏れ日が、離れた木々の隙間を埋め尽くす、見事な程の神秘的な光景を作り出していたその森に、1つ、場違いな黄色いテントが張られていた。
その前に立つウリエルは、先程飛び立った時の様な天使の格好ではなかった。
翼は無く、下にはアイボリーのチノパン、上は白のインナーとその上から青色のハイネックブルゾンを羽織っていて、その端正な美貌以外は、一般市民に溶け込めそうだ。
……この森でさえ無ければ、全く違和感は無かったのかもしれない。
右脇に南国男、左脇に赤星を抱えたまま、ウリエルは「お~い」と大声を発した。
「ラファエル~いるんでしょ~?」
しかし、テントからは返事が返ってこない。
それどころか、周囲に生き物の気配すら感じられなかった。
ウリエルの問いに答えるのは、風が草々が揺らし、互いにぶつかって発する、楽し気な音だけだった。
「……どこ行ったんだろ」
ウリエルは首を忙しく回して辺りを見渡したが、それらしい気配がしなかったのか、1度ため息を吐き、付近にあった倒木へと向かった。
優しい風が吹き、葉や木々を掻い潜って、ウリエルの背中を押した。
ウリエルは両脇に抱えた人間を、濡れたタオルか干されたイカの様にペタンと、うつ伏せに倒木に預け、1歩前に進んで背を伸ばした。
ザザー、ザザーと木々の葉が互いを擦り合わせて、心地の良い音を立てていた。
ウリエルはその音に耳を澄まし、目を瞑った。
髪が風に流されて揺れ、木漏れ日を反射してキラキラと輝いていた。
髪一本一本から、綺麗に整った星形の光が溢れていた。
そうやって暫く過ごし、2人の人間が干乾びてきた頃、ウリエルの背後から、ザッザッという、草を踏み均して歩く音が聞こえた。
その音を聞いて、ウリエルは目と口をパァっと開いて輝かせ、嬉しそうに振り返った。
しかし、その相手はウリエルの満開の顔を見るよりも前に、しかめっ面で口元をピクピクさせて、不快感を顔いっぱいに表現していた。
右手には、朝露で潤い、キラキラと輝きを纏う雑草を大量に提げ、左手には細長い銀メッキの棍棒を握っているその人物は、真っ黒な髪を後ろで1つに纏め、左右に垂れた前髪のせいで、童顔が更に丸く見えた。
シャツとカーディガン、その上に傷だらけのくたびれたコートを羽織って、下は茶色の少し長さの足りてない7部丈のズボン、足元は少し大きい茶色のブーツを履いていた。
「おぉ、ラファエル! 久しぶり!」
ラファエルと、そう呼ばれた人物は、嬉しそうに手を振るウリエルの傍を素通りし、テントの中に上半身を突っ込んだ。
その道中で落とされた雑草が風に揺らされて音を奏で、それは森に虚しく響き、手を上げたまま硬直するウリエルの背中は、哀愁を帯びていた。
そんな、張り付いた笑顔のままのウリエルの視界の端で、倒木の上で脱力している人間が、ピクピクと小さく動き始めた。
動いていたのは南国男の方だった。
ウリエルはそれが目に入ったのか、「おっ」と小さく呟いて南国男に近づいて行った。
その際、ザクザクと土を踏む音が鳴り、南国男の耳がピクっと動いたかと思うと、顔をバっと音が出る勢いで上げ、直ぐにきょろきょろと周りを見回しだした。
見た事ない景色や読めない状況に、南国男の顔は、次第に青くなっていく。
そんな南国男に影が差し、目の前でウリエルが立ち止まった。
南国男はキョトンとした顔になり、ウリエルを見上げた。
目が合い、ウリエルはにっこり笑いかけると、少し屈んで目線を合わせた。
大きな朱色の瞳が南国男の薄い茶色の瞳を見つめた。
南国男はビクッとして驚いた顔になり、倒木の上で腰を引いていたが、見つめ合って動けないようだ。
「大丈夫? 動けそう?」
「あぁ……うっす」
ウリエルはその返事を聞いて、もう1度にっこり笑うと、姿勢を戻し、顔を回してラファエルの下半身が飛び出すテントへ向けた。
「ラファエル! 本当に大事な用事なんだよ~?」
ラファエルはそれを聞いてビクッとしてふりふりするお尻を止めて、先程と同じ顔のままテントから飛び出し、立ち上がった。
膝は土と苔で汚れ、右手にはダガーナイフを持ち、頬には緑色の液体が付着していた。
それを見届けると、ウリエルは顔を南国男の方へ戻した。
南国男は暫く地面を見つめていたが、後頭部に視線を感じてかビクッとし、それを隠すように「よいしょ」とわざとらしく声に出し、後ろに向かって飛び起きた。
「君、名前は?」
「……」
南国男は訝しむような目でウリエルと目を合わせたが、恥ずかしかったのか、頬を赤らめて直ぐに逸らした。
「……天月っす」
南国男がキョドリまくりの気持ちの悪い自己紹介を終えて直ぐ、ウリエルの横にラファエルが並んで立ち止まった。
「何だよウリエル、僕はいま忙しいんだ、が―――」
ウリエルは満足そうな顔を戻し、威厳のある顔をラファエルの方に顔を向けた。
ラファエルの背が低いからか、ウリエルは見下ろす形になり、ラファエルはもっと不機嫌な顔になった。
「あれ、ラファエル……私が恋しく無かったの?」
真面目な顔で言うウリエルに、ラファエルは顔を真っ赤にして答えた。
「恋しいわけないだろ! 第一、そこの2人の人間は何なんだよ! 絶対に厄介ごとだろ! 嫌だぞ僕は! 絶対に関わりあたくない! いや、関わらない!」
左手人差し指をウリエルの胸に突き立てて叫ぶラファエルを見て、ウリエルは傷ついた様子1つ見せずに、パぁっと満面の笑みを浮かべて、ラファエルに抱き着いた。
「やっぱり可愛い! 私のラファエルちゃん!」
ウリエルの胸にすっぽり収まったラファエルの顔は見えなくなるが、耳の先まで赤くして、ウガウガと何かを呻いている。
暫くして、ようやくウリエルは腕の力を弱めたのか、磁石が反発する勢いでラファエルが飛び退いた。
ラファエルは口元を左手で拭いながら、右手に持つダガーナイフをウリエルに向けた。
「それ辞めてって、前言っただろバカ! 毎回毎回無駄に良い匂いなのが腹立つんだよ! 力も強いし! ゴリラ! ライラック匂い女!」
罵倒なのか何なのか、ラファエルは目を瞑って必死に叫ぶが、一方のウリエルはまるで母親かの様ににっこり笑ってその様子を眺めている。
「……あの、すいません」
緊張からか、横から天月が上擦った声を掛けた。
「ん?」
ウリエルが天月の方を向いて目が合うが、天月はチラッと横目に、未だに叫んでいるウリエルの方を見たが、直ぐにウリエルに目線を戻した。
「ここ、どこっすか?」
「う~ん。そうだな……説明が―――難しいんだけどね~」
ウリエルは言いながら、体を完全に天月の方に向けた。
「まず聞きたいんだけど、気を失う前の事を、何処まで覚えてるかな?」
ウリエルはゆっくりと優しく、言葉を選んでから口に出して質問した。
天月は、軽く握った右手の人差し指の第2関節を眉間に当てて考え出した。
「まず、え~っと……そうだ。浮気調査の依頼を終わらせて、コンビニによって……酒を飲んで、煙草を吸ってて……」
天月は唸りながら記憶を遡って捻りだしていたが、そこまで言ってハッとし、真剣に聞いているウリエルの顔を見た。
「変な矢に刺されたんだ」
その時。
会話する2人の間にある倒木に、未だに寝こけていた筈の赤星が、急に起き上がって「うが~!」と大声を出した。
両手を思いっきり天に突き出し、パツパツのスーツの第1ボタンが飛んで行った。
叫び続けるラファエルも、聞き入っていたウリエルも、重要な事を思い出した天月も、その場にいた全員の視線が赤星に向いた。
赤星は両手を降ろして姿勢を悪くし、目をパチパチさせて黙ってしまった。
瞬間、周りの風の音や葉の擦れる音が戻ってきた。
そして、それに加えて足音が、赤星達の方に近づいてきた。
「もういいよ……とりあえず、落ち着こう」
ラファエルは3人に目配せし、テントへと戻っていった。
赤星と天月はその背中を見て困惑していたが、次にウリエルが「行こうか」と言ったことで、2人はその重い足を動かして、テントへと進み始めた。
それから、赤星、天月、ウリエルの3人は、テント裏にあった倒木を椅子代わりに、バーナーシートの上に乗ったガスバーナーを中心に囲って座った。
ラファエルは倒木に座らずに、コッヘルに何かを入れ、コトコト煮ながらたまにそれを混ぜていた。
「ラファエル~、そろそろ話したいんだけど~」
ウリエルは退屈そうに膝と肘をくっつけ、両手の上に顎を乗せ、ラファエルにそう話しかけた。
天月はそんな2人を遠い目で見ていたが、赤星は体中を漁って「タバコが無い!」と1人で叫んでいた。
「……話したきゃ話せばいいだろ……聞いてるからさ」
「そう? じゃぁ、話すよ?」
ラファエルはコッヘルから目を離すことなく、混ぜる手とは逆の手を軽く上げて、続きを促した。
「まず、ラファエルの所に来た目的なんだけどね……ルシファーの分体を隠す手伝いをして欲しいんだよ、ね」
それを聞いて、ラファエルの手は止まり、顔をウリエルに向けた。
天月もそれを聞いて苦笑いを浮かべていた。
赤星は奥の方で、電子タバコを見つけたのか目をキラキラさせて喜んでいたが、次の瞬間には右手の傷を見て目を見開いて首を左右に小刻みに動かしていた。
「……ルシファーの分体が、見つかったっての?」
「うん。そうだよ」
ラファエルは「はぁ」と大きなため息を吐き、コッヘルに目を戻した。
「―――ホントにいたとはね……もはや、都市伝説かと思ってたよ」
「私も」と言って、ウリエルはよっと軽く飛び、倒木から立ち上がった。
「たまたま気配に気が付いただけで、それまでは信じてなかったんだけどね~」
ウリエルは、無言になったラファエルへ近づいて行き、バーナーを挟んで屈みこんだ。
「で、さっきからこれ。何混ぜてるの?」
「ん? あ~……回復薬だよ。あの子、右手に傷があったから」
丁度その時、赤星の「私の右手がぁぁああぁ!」という叫び声と天月の「っと、おい! 近寄るな!」という怒号が聞こえてきた。
「ふふ、やっぱり優しいな~。私のラファエルは」
それを聞いてラファエルはムッと押し黙ったが、頬はバーナーの炎の色なのか、少し朱色に染まってゆらゆら揺れていた。
「……で、隠すって言ってたけど、一体誰から隠すの?」
ラファエルは質問しながら、同じ態勢で体捻って手を伸ばし、近くに置いてあった、底の浅いコッヘルを取った。
「ミカエル様だよ」
それを聞いて一瞬ラファエルの動きが止まったと思ったら、次の瞬間にバっと勢いよくウリエルの方を向いた。
目は見開き、口で呼吸をしていて、何かを恐れているような顔だった。
ラファエルの揺れる瞳孔と、ウリエルの真剣な眼差しが交差した。
「おま、バカッ―――み、ミカエル様? ゼッタイッ、絶対に無理だろ! 悪いことは言わないから、諦めた方がいい」
ラファエルはスッと目を逸らし、底の浅いコッヘルに湯気の立つ緑色の液体を移した。
粘度の高いスライムの様なその液体は、ポコポコと気泡を作っては弾けていた。
ラファエルは付近にあった真緑の葉を持って、その液体の上に乗せて蓋をし、その場に立ち上がった。
「……とりあえず、直ぐに答えは出せないよ」
それだけ言い残してラファエルは、騒ぎ、取っ組み合う、赤星と天月の方へ歩いて行った。
ウリエルはその背中に優しい視線を送った。
「悩んでくれるだけ、有難いかな」
小さくそう呟きウリエルは、力強く燃える、バーナーの火へと視線を向けた。
「だから、てめぇ! その汚ねぇ手を俺に向けてくんじゃねぇよ!」
「だぁ? うるせぇ! おめぇにぶっ刺さってた矢のせいでこうなってんだろうが!」
「知らねぇよ! てめぇが勝手に―――おい、止めろ!」
赤星は右手を目一杯に広げて天月の顔に押し付けようと力を入れ、天月はその赤星の右手首を両手で掴み、顔の前で何とか押さえ込んでいた。
赤星の細い腕も、天月の薄く毛の生えた太めの腕にすら、骨が浮かんでいることから、どちらも物凄い力を入れているのが分かる。
赤星の真っ赤な血液が、黒い硝煙の様な薄く黒い煙を纏ったまま、天月の座っている倒木に滴っていた。
それを避けるために天は両足をぱっくり広げて、お尻の上の方でしか座れておらず、倒木からずり落ちそうになっていた。
「2人共、その辺にしてもらおうか」
ラファエルの、なるべく、優しさを纏おうと努力したその声は、2人の喧騒にかき消され、儚く空に散っていった。
「第一ここ何処だよ! お前、私より先に起きてたんだからなんか知ってんだろ!」
「なに言ってんだてめぇ! 俺が知る分けねぇだろ! そんなに気になるんならなぁ! あのちっちゃい女かでっかい女に聞きやがれ!」
その言葉に、赤星は一瞬怯んだ様子を見せたが、直ぐに切り替えて左手を右手の上に合わせて、更に力を入れた。
赤星の右手の傷から、黒い煙がボワっと飛び出した。
「私は―――私は! 女の子と話すのが苦手なんだよ!」
「はぁ?」
赤星の真っ赤な顔を天月の動揺する瞳が捉えたその時。
ボゴッという鈍い音を立てて赤星の顔半分が歪み、視界の端に吹き飛んで行った。
天月の視界の先には、赤星の代わりに、細い銀メッキの棍棒が映っていたが、次の瞬間にシュルッという音を立てて縮んでいった。
天月は恐る恐るその棍棒の縮んで行った先に顔を向けた。
そこには、こめかみに青筋を浮かせて頬を吊り上げ、目尻をピクピクさせているラファエルが、目を瞑って立っていた。
右手に回復薬を持ち、左手には腰に差していたらしい先程の棍棒を握りしめていた。
ラファエルは無言のまま、地面をドスドスと音を立てて力強く踏みしめながら、天月を素通りして、寝そべる赤星へ近づいて行った。
そして、ラファエルが丁度赤星の元に着いた時に、赤星は「いてて」と呟きながら頬を右手で撫で、上半身を起こした。
「ってぇな~。誰だよ―――ッはっ」
赤星が頬を撫でたまま顔を上げ、ラファエルと目が合うと、赤星は息を呑み、顔から耳の先まで真っ赤にした。
「さぁ、右手を出して」
ラファエルは赤星の右側で屈むと、赤星の右手首を持って頬から引き剥がした。
離れた掌と頬の間に、べっとりとした血液が、数本の糸を引いて垂れていた。
「……君、痛くないの?」
ラファエルは回復薬を葉に乗せて、間接的に右手に塗りながら声を掛けた。
赤星は痛くも痒くも無いのか、平静としてボーっとその様子を眺めていたのだ。
「……うん、別に……てか、これ何?」
塗り終わったのか、ラファエルが葉を使ってコッヘルの中を拭いている傍らで、赤星はベタベタになった右手を上げて、不思議そうに眺めていた。
しかし、ラファエルはその質問に答える前に立ちあがり、座っている赤星に左手を伸ばした。
「いずれ分かるよ」
赤星は「あっ、そうですか……」と言いながら右手を降ろし、お尻で体重を支えながら前屈みになり、ラファエルの左手首を掴んだ。
ラファエルの左手に力が入り、赤星の左手首をギュッと強く掴んで、同時にお互いが引っ張り合い、赤星は立ち上がった。
パッと離れた左手で、赤星はお尻の土を掃った。
「それよりも何よりも、まずは状況説明だ」
そう言って、ラファエルはさっさと戻っていった。
赤星は手を止めて、外に出た左目でその背中を見つめていた。
その紫色の瞳は、いつにも増して黒く淀んで見えた。
しかし赤星自身、そんな事に気が付いてないのか、ほんの少し口角を上げ、ほんの少し楽しそうに、その背中を小走りで追いかけた。
それから少しの時間が経過した。
4人はそれぞれ、先程と似たような立ち位置に座り、ウリエルが率先して、赤星と天月の身に何が起きたかを説明していた。
「―――ここまでで、何か質問はある?」
頭上に、ズーンという効果音が見えそうなくらい、深刻そうな雰囲気を纏った赤星と天月に、ウリエルの優しい瞳が交互に配られ、最終的に、口で息を吸った赤星で止まった。
「……そこに座ってるダサい男が、その―――『天秤の矢』とか言う、ダサい名前のお似合いの矢で刺されて、それで生き残ったから、ルシファーの分体の可能性がある、ってのは分かったんだけど……じゃぁ、何で私がここに居るの? ミカエルの命令通りなら、ルシファーの分体はそこのクソダセェ男で確定していいんじゃないの?」
赤星は、ウリエルの長い話に飽きて途中で外したネクタイを、太ももの上で弄びながら質問した。
ウリエルはどう答えたら良いのかを、手を顎に当てて考え出した。
その間、天月が赤星に石を投げつけ、赤星がそれを投げ返し、そんな子供みたいな喧嘩は次第に激化していった。
赤星は本気を出すためか、外したネクタイを頭に巻き、そして最終的に左腕に巻いた。
しかし少しして結局、その質問に答えたのはウリエルでは無く、バーナーの前で胡坐をかいているラファエルだった。
バーナーから目線だけを赤星に向けて口を開いた。
「君が分体である可能性もあるんだよ。僕はその現場に居合わせて無いから、詳しい事は知らないけどね」
ラファエルはそう結果だけを話し、ウリエルに目配せをして、詳しい説明をするよう促した。
赤星とウリエルは見つめ合い、赤星の横顔にペチっと当たった石が地面に落ちた。
「う~ん。あんまり難しい説明には、したくないんだよね~」
「な、何? ……その、含みある言い方……」
「確かに、ミカエル様の指示も実際矢が刺さったのも、そこの天月君なんだ、けど……う~ん、そうだな……君が憶えているかは分からないけど、天月君の血に反応して出来た炎の渦が、君の右手によって消滅したんだ……だから私は、君が―――」
ウリエルが続きを躊躇い言葉を詰まらせた。
その時だった。
太陽を直視した時の様な眩しさが、物静かだった森一帯を襲い、突然、強い輝きが球の形を成して、とんでもない威圧感を放ちながら、4人の頭上、間近に現れた。
その球は、目に見える程の強い爆風を纏い、付近の木々を根本からなぎ倒し、遠くの木ですら安定を失って梢を下に向け、まるで、頭を垂れているかのようだった。
勿論、ウリエルのテントやコッヘル、バーナーなどの道具は彼方まで吹き飛び、球が地面に近づいて来るにつれて、土や苔や草を抉り、消し去っていた。
赤星はウリエルに、天月はラファエルの翼に守らながらその球を眺めていた。
その眩しさから球を直視することは出来ず、4人はそれぞれ腕で視界を覆っていた。
ウリエルの真っ赤な翼もラファエルのレモン色の翼も輝いては居たが、その球の輝きには、到底敵わない。
赤星も天月も急なことに驚いて腰を抜かし、更にその球の威圧感から緊張しているのか、口をパクパクさせてはいたが、真っ青なその顔からは、1つの音も出ていなかった。
「ラファエル―――不味いことになった」
「あぁ、こいつは……死を覚悟した方がいいかもね」
冗談では済まされない会話を聞いて、赤星と天月は目をひん剥いて2人を見た。
しかし、ラファエルもウリエルも、表情は真剣そのもので、顔色は悪かった。
赤星と天月は視線を交わし、互いに頷き合った。
そして、少しずつ、少しずつ後退りして、その場を離れようとしていた。
しかし、次の瞬間。
パァン! という強烈な爆音を立てながら、その球が弾け飛び、辺り一面にそのエネルギーを撒き散らし、刃物で切りつけた様な跡を至る所に残し、その姿を消した。
赤星の風で持ち上げられていた前髪がスパンと切られて不揃いになり、少し高い天月の鼻の頭からは血が流れ出ていた。
2人は顔の色を更に青ざめて最早、蒼白のその上と呼べるほどになり、ラファエルとウリエルの胸元にすっぽり収まった。
その脇から2人は顔半分だけを出して、球のあった場所を見た。
すると、そこには。
深紅の大きな翼を4枚広げて宙を漂っている、背の高い、天使が居た。
不思議な事に赤星の目には、黒い靄の様な物が、その人物から飛び跳ねているのが目に入っていた。
赤星は目を凝らしてその天使を見据えた。
その天使の全身の輪郭の数メートルには、陽炎が走っていた。
上下繋がった布の服で、下の服前方は大きく開き、長く綺麗な足が飛び出していた。
赤いマントが揺れ、金色の兜と手甲、足甲は、森に入る微かな光を反射してそれを強くし、キラキラと強く輝いていた。
真っ赤に伸びた後ろ髪は風になびき、長い前髪から覗く、鋭い眼力を持った冷徹な赤紅色の瞳が、下に居る4人を見下ろしていた。
ラファエルとウリエルは翼を広げ、赤星と天月を隠す様にして、立ちあがった。
ラファエルは細い銀メッキの棍棒を握っていたが、ウリエルは何も持ってなかった。
「―――ミカエル様」
ウリエルは改めて息を吸う前に、先に声を出し、恐怖を押し殺しているようだった。
「何の御用で、こんな辺境の地に?」
その言葉を聞いて、ミカエルの右側の口角が、僅かに上がったように見えた。
ミカエルは小さく「ふ」と笑い、続けた。
「分かっているだろう、用があるのはお前達ではなく、後ろに居る人間だ」
その言葉を聞き、ラファエルの棍棒を握る手がギュゥと鳴った。
それを、ミカエルの冷たい目が睨みつけていた。
直後。
ボゥという音と共に、森の見える範囲一帯が、一瞬にして真っ赤な炎に包まれた。
メラメラと音を立て、時折炎の柱が立っていたが、木々も苔も草すらも燃えてはおらず、4人の額に走っていたのは脂汗ではなく冷汗だった。
「あ、熱くないぞ、この炎」
ラファエルの後ろで、炎に全身を呑まれたまま、天月がそんな声を出した。
「そ、そんな訳、無いだろ」
赤星もそれに感化され、炎に左手を突っ込んだ。
すると、不思議なことに、炎は赤星の肌の上を、水に浮く油の様に滑って流れ、左手の肘まで呑みこんだが、表情を見るに、全く熱くなさそうだ。
しかしその直後、赤星の左腕に巻かれていたネクタイが、音を立てる間もなく灰になり、燃え尽きてしまった。
「気を付けてよ、この炎は魂の無い物を容赦なく燃やし尽くすから……下手すると服が燃え尽きて一瞬で全裸だよ」
「えぇ? 先に言ってよ!」
天月は炎の中で、腕で胸を抱き、脚を交差させて局部を隠していた。
それを見て赤星は大爆笑し、天月は右手を胸から離して炎を赤星にかけて引火させようと試みていた。
見事にその炎が赤星のジャケットに引火し、赤星はウゲッと顔で表現し、その炎を鎮火しようと必死にジャケットをパタパタさせていた。
くたびれたジャケットは袖を赤星の脇の下に伸ばし、必死に助けを求めていた。
「……矢に射抜かれたのはソイツだな?」
ミカエルは冷たい目で天月を見据えた。
天月は右手を止め、恐る恐る顔をミカエルに向け、両者の目が初めて合った。
「……主の元へと、連れて行く気ですか!」
ラファエルは声を振り絞り、右足を少し下げ、棍棒を掴む手を握りしめた。
ウリエルはそんなラファエルの右腕を握った。
「落ち着いて……」
「でも―――」
ウリエルは小さく身を屈め、ラファエルの耳元で囁いた。
「ミカエル様は勘違いなさっている……ここは一旦、天月君を犠牲に―――」
「でも、そんな確信は無いだろう?」
「大丈夫、ミカエル様はあくまで天月を利用しようとしているだけだと思うんだ……殺しはしない、筈だよ」
ラファエルは悩む様子を見せた。
しかしその時、ラファエルの肩にウリエルがドサッと体重を掛けた。
「あれ、暑さにやられて……あぁ~」
そして遂に全体重を預け始めたウリエルを、ラファエルは両手で支えなければならなくなった。
更に、思わぬ方向に力が掛かってか、ラファエルは態勢を崩し、両手を広げて背の高いウリエルを胸の中に抱きかかえた。
その隙に。
一瞬の閃光がパチッと走り、小さく「俺の自由意思は~?」という天月の声が聞こえてきた気がした。
その眩しさで目を瞑り、次に目を開いた時。
残像が消え、眩しさに慣れてきた頃。
辺りの炎は消えて無くなっていたと同時に、ミカエルと天月の姿も無くなっていた。
現場に残されたのは、呆気に取られて半分になったジャケットを眺める赤星と、少しホッとした顔を浮かべているラファエルとウリエル、そして、神秘的な森の悲惨な残り跡だけとなった。
赤星は心の中で、今からの事や、このスーツで会社にどう言い訳しようか考え、錯綜し、次第にジャケットはぼやけ、放心状態になっていった。
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