第6話 ヤッチと莉久ちゃん
1時間ほどが過ぎた。
「戸村さん、家近いの?」
小百合が訪ねる。
「近いといえば近いけど、ビジネスホテルに泊まるつもりです。」
「ビジネスホテル?じゃあ、うちに来なよ。」
――ええ!?いくらなんでも、今日会ったばかりの人を家にさそうなんて、お母さんそれはヤバいよ!
「イキナリ驚いたよね。ごめんごめん。うちさ、ビジネス旅館やってるの。この辺はさ、地方から出張で来る人も多いから、家族経営で小さい旅館やってるの。ビジネスホテルよりも格安で泊まれるから、おいでよ。
――そうだった。お祖父ちゃんの家、ビジネス旅館だった。
「それだったら、助かります。」
「良かった!なんか変なの。戸村さん、初めて会ったのに、なんか凄い親しみ感じちゃって。もっと仲良くなりたいなって思っちゃって。」
――それは、まぁ・・・親子だから・・・言えんけど。
地下鉄で2駅のところから10分くらい歩くと、小百合の実家が見えた。
『ビジネス旅館矢田』
玄関を入ると、小百合の両親、莉久の祖父母が出迎えてくれた。
「お待ちしてました。どうぞ、お上がり下さい。」
まだ40代後半の若い頃の祖父母。
祖母は、今の母親とそっくりだ。
祖父は、今より割腹がよく、大きく感じる。
「こちらのお部屋を使って下さいね。部屋着は・・・ごめんなさいね。ホテルと違ってご用意してないので・・・もし良ければ、小百合の服でもよろしいかしら。」
「ありがとうございます。」
しばらくすると、小百合がスエットを持ってきた。
「今日は付き合ってくれて、どうもありがとう。良かったら朝食も食べてって。お代はいいって。付き合ってくれたお礼。」
「え!そんな悪いです。ちゃんと払います。」
「ほんとにいいの。じゃあ、ゆっくり休んでね。お休みなさい。」
小百合は襖を閉めた。
6畳ほどの畳の部屋。
――懐かしいなぁ。小さい頃、遊びに来た時に、おばあちゃん手伝って掃除したっけ。
あ、そうだ。
もし寝ている間に、現代に戻ってしまったら、突然消えてしまった事に心配するに違いない。
莉久は現代に戻った時の事を考えてメモを残した。
翌朝、目を覚ました莉久はまわりを見渡した。紛れもなく、昨夜と同じ部屋、ビジネス旅館矢田だった。
――あたし、戻ってないんだ。
襖を開け、1階に向かうと、祖母が朝食の準備をしていた。
「あら、戸村さん、おはようございます。もうすぐ朝食できますからね。」
祖母は笑顔で言った。
煮干しと、かつお節で出汁をとった、大根と玉ねぎのお味噌汁、ネギ入りのだし巻きたまごと、しらすと大根おろし、アジの干物、キャベツとトマトのサラダ、どれも莉久にとっては懐かし朝食だった。
「昨夜は、よく眠れました?」
「はい。とっても。」
「そうですか。それは良かった。」
祖母スエット姿の莉久を見る。
「失礼かもしれませんが、ほんとに小百合とよく似ていらっしゃる。まるで姉妹みたい。
あ、もちろん、矢田さんのがおしとやかというか、清楚ですけどね。」
清楚と言い換えてくれたが、ようは地味という事だろう。
「さあ、出来上がりましたので、すぐお部屋に運びますね。」
「あ、あたし、ここで大丈夫です。ここで頂きます。」
「いえいえ、大事なお客様を
莉久はお盆を持つ祖母を止めた。
「1人で部屋で食べるより、ここで、できたら、皆さんと一緒に頂きたいです。」
祖母は驚いたが
「ありがとうございます。今日は他にお客様いらっしゃらないし、じゃあ、ご一緒に。小百合と主人も呼んで来ますね。」
祖父は旅館の隣にある小さな畑で旅館で使う野菜の世話をしていた。
小百合は旅館の奥に繋がる自宅から眠そうな顔で起きてきた。
「あたしはバイトに行くけど、矢田さんはどうするの?」
「あたしは、とくに用事は・・・」
「あたしさ、雑誌の編集のバイトしてるんだけど、暇だった一緒に行く?」
――雑誌の編集のバイト?お母さん、そんな凄い事してたの?
「そんなとこ、一緒に行っていいの?」
小百合は味噌汁をすする。
「うん。少人数でやってる小さいとこだから、見学者が1人いても大丈夫だよ。」
――お母さんって、ほんとになんてパワーのある人なんだろう。
「面白そうだから、行ってみたいです。」
「うん。わかった。じゃあ、準備して。あ、もしかして、着替え持ってない?」
「すぐに帰るつもりだったので・・・」
「そっか、じゃ、いいよ。あたしの貸してあげる。」
少しゆるめのデニムに、薄手のTシャツにカーディガンにスニーカー。
あまり着た事の無いファッションが新鮮だった。
「ありがとう。矢田さん。」
「ねえ、あたしの事、矢田さんじゃなくて、みんな『ヤッチ』って言うからヤッチでいいよ。戸村さんの事も、莉久ちゃんでいい?」
莉久は頷いた。
2人はマンションの一室にある、小さな地方向けのフリー雑誌の編集社に着いた。
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