1-2

 私はベッドの上にいるようだった。シーツからほのかに洗剤の香りが漂う。

 ぼんやりとした意識の中、私はあたりを見渡す。スチールの本棚や白い小型冷蔵庫が目に入るが、見覚えのない部屋だ。男性的な無骨さの中に、ベッドの隅のテディベアとピンクのクッションが可愛らしく混じっている。

 薄い水色のブランケットをかけて、夏希は眠っていた。硬そうな床の上だったけど、穏やかな寝顔だった。服はまだ代えていないようだ。

 葉山夏希。新歓コンパで出会った同級生。状況を察するに、新歓コンパで飲みすぎた私をここまで連れてきてたのだろう。そして私にベッドを譲り、寝かしつけてくれたようだ。

 夏希が、もぞもぞと動き始めた。

 

「……ん……おはよう。」 

 その声にはまだ気だるさがあった。寝癖が少しついている髪をかきながら、まだ重そうな瞳を私に向ける。目と目が合ったその瞬間に、彼女は目の覚めるような笑顔を見せた。

 

「……あの、私……」

「ごめんね、驚かせちゃった?結、完全に酔っぱらってたからさ。送ってあげたかったけど、どこに住んでるかもわからないし、とりあえず私の部屋に連れてきたんだ。」

「ごめんなさい。迷惑かけちゃって……」

「いいよ。気にしないで。なんか飲む?水もお茶もあるよ。」 

 「なら水を……」と私は頼み、夏希は冷蔵庫へと向かう。ミネラルウォーターのペットボトルを手に取ると、流し台でコップに注いだ。私は新歓コンパでの彼女の姿を思い出した。あの時と同じように、夏希は自然に私に気を遣ってくれる。その優しさがうれしい。だけど胸が締め付けられる。

 

「はい、お水」

「本当にありがとうございます。これ以上迷惑かけるわけにはいかないので、もう少ししたら出ていきます」

「えっ、もう遅いし、朝まで休んで行きなよ」 

 テーブルの電波時計を見る。夏希の言う通り、あと数時間で朝を迎えそうだった。

 

「シャワー浴びてきていいかな。メイク落としたいし、着替えもしたいしさ。結も使いたいなら遠慮なく言って」

「だ、大丈夫です」

「じゃあ、行ってくるね」 

 そう言うと夏希は衣装ケースからバスタオルと部屋着を取り出し、バスルームへと向かった。体にはまだアルコールの倦怠感があり、本当はシャワーを浴びたい気分だった。ただ、これ以上夏希の厚意に甘えるわけにはいかなかった。これ以上彼女の優しさに触れると、どうしたらいいか分からなくなってしまいそうだったから。

 私は軽音サークルに入る気はない。必然的に夏希との接点は消えていくはずだ。引っ込み思案の私が、それでも夏希と友達を続けている姿は想像できなかった。夏希もきっとこれから友だちがたくさん増えていって、彼女の記憶のメモリから私は消えていってしまうだろう。


 「おまたせ」と明るい声がする。シャワーを浴び、薄黄緑色のインナーウェアに着替えた夏希が部屋に戻って来た。瑞々しいすっぴんの彼女もまた美しかった。

 早く言わなければ、と私は焦っていた。頭がずきずきとする。実は私、軽音サークルに入るつもりがありません、と。でも言って私はどうしたいのだろう?これからあなたとは接点がなくなるから、私とあなたは友だちになれません。でも、そんなことを言ってどうなるのだろう。それで私は満足するのだろうか。

 

「あのね、結。見てもらいたいものがあるの」 

 そう言って夏希は歩き出す。彼女はそわそわしているようだった。

 向かった先にはドアがある。この時、私はこの部屋がワンルームではなく、もう1つ部屋があることに気付く。1人暮らしの学生としての生活スペースとしては、今いる部屋だけで十分だ。一体何があるのだろうか。扉が開く。

 

「えっ、ドラム?!」 

 思わず声を上げてしまった。2畳ほどのスペースに黒いマットが敷かれ、その上に電子ドラムのセットが置かれていた。壁にはポスターが貼ってある。「ウィズ・ザ・ビートルズ」と「アビーロード」のポスター。夏希が好きだと言っていた、ビートルズのアルバムのジャケットだ。

 

「あれっ。言わなかったっけ、昨日」 

 そういえば、と昨夜の記憶を断片的に思い出す。「私はドラムをやっている」と言っていたような気がする。お酒のせいで忘れていた。

 

「ドラムは高校の頃からはじめて、教則本やYouTubeの動画を見ながら1人で練習してたんだ。私の高校、軽音楽部がなくてさ。だからずっと1人でドラムを叩いてた」

 

 夏希は遠くを見つめるように、ドラムセットを見つめている。その姿は寂し気だった。

 

「結って、ギターやってるんだよね」

「えっ、なんで……言ったっけ?」

「まさか、言ったの忘れてた?そうだよね。すごく酔ってたもんね……」

 突然、胸をかき乱されたような気分になった。言った覚えがない。でも事実だった。

 

「うん。……やってます。」 

 ただやっているだけで、決して人に自慢できるようなものじゃない。

 

「私さ、バンドをやりたかったんだ。だから大学では軽音サークルに入ろうとずっと思ってた。だから……」 

 夏希は振り返り、私の顔を見据えた。私に映ったその顔は、緊張しているように見えた。2畳間に彼女と私の鼓動が鳴り響く。夏希は胸に手をあて、小さく息を吸った。そして一瞬ためらったように口を開いた。

 

「結。私と、バンドをやらない?」

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