オクトパス・ガーデンを目指して

UPI

1話

1-1

 はぁ。

 

 どうしてついて来てしまったのだろうか。私は入会する気もないのに軽音サークルの新歓コンパに勧誘され、断りきれずについて来てしまった。本当は帰りたい。だけど今更言い出せない。私は末席で縮こまり、殻に閉じこもっていた。

 

 テーブルを囲んで、笑い声や音楽談義が飛び交い、グラスにはカクテルが注がれ、所々で揺らめいている。テーブルを彩る料理とスパイスの香り。顔を赤らめて楽しそうな人たち。そして俯く場違いな私。

 

 「ここ、空いてる?」

 柔らかい声が聞こえてきた。驚いて顔を上げると、そこには背の高い女性が立っていた。茶色がかった長い髪を肩にかけ、薄手のシャツと黒いデニムというシンプルでラフな服装が、妙に大人っぽく見えた。先輩だろうか。私は慌てて返事をする。

 

 「あ、どうぞ……!」

 私の隣に腰を下ろした彼女は、空いたグラスを手に取ると、ピッチャーからカシスオレンジを注いだ。その横顔は、まるで違う世界の住人のように美しかった。肩に流れる茶色がかった髪が、テーブルの灯りを柔らかく反射していた。

 私がぼんやり見つめていると、彼女がこちらを振り返った。

 

 「グラス空いてるけど、注いでいい?」

 「お願いします」

 私はグラスを差し出した。彼女がピッチャーを傾けると、赤いカシスがグラスを満たしていく。

 

 「私、葉山はやま夏希なつき。」

 「……はい」

 「よろしくね」

 グラスを掲げながら、彼女は自己紹介をした。彼女の意図に遅れて気付いた私は、慌ててグラスを手に取って、彼女のグラスに近づける。……乾杯。コツンと小さく鈍い音が鳴る。

 私のぎこちない乾杯を見て、夏希は微笑む。そして、まるで昔から知り合いだったみたいな親しげな口調で話し始める。

 

 「あっ、こういう場、初めて? 緊張するよね」

 「えっと……はい、少し……」

 言葉を探しながら返す私を気遣うように、彼女は優しく笑った。

 

 「そうだ。まだ名前聞いてないよね?」

 「あっ……ごめんなさい。星ヶ丘ほしがおかゆいです。」

 「"唯一"の唯?」

 「"結納"の、結です」

 「結ぶ……のアレでいいのかな?……可愛い……可愛い名前だね」 

 出会ったばかりの先輩に「可愛い」と言われて私はちょっと恥ずかしくなった。可愛いと言われたのは名前だけど。照れてしまって、何と返したらいいか分からない。

 私が恥ずかしそうに黙っていると、なぜか先輩の頬も赤くなっていた。少し目が泳いでいるようだが、お酒が回ったわけではなさそうだ。あれ?そもそもこの人は先輩なのだろうか。まだ学年を聞いていない。

 

 「すみません……あの……先輩、ですよね?」

 「えっ、あっ、わっ私? ……いやいや、私も一年生だよ!」 

 彼女――いや、夏希は虚を突かれたように目を丸くしている。

 

 「ご、ごめんなさい。なんだか大人っぽい人だから、先輩だと思って……」

 「ぜ、全然、そんなことはないよ。大人っぽいだなんて」 

 悠然とした雰囲気が崩れ、動揺しているのが伝わっている。ひょっとして褒められることに慣れてない人なのだろうか。しかしあたふたした時間はすぐに終わった。夏希は深呼吸して、私をまっすぐ見据える。

 

 「結。一年生同士、一緒に楽しくやろうね!」 

 夏希は私に手を差し出す。その瞬間私は何も言わずにその手を握り返し、静かに「うん」と頷く。彼女の手のぬくもりが、より温かくなったように感じた。

 

 それから夏希は自分のことや、自分の好きな音楽の話をしてくれた。好きなバンドはビートルズとか、ビートルズを好きになったのは両親の影響だとか。私も小さい頃に両親がスピッツのファンだった影響で、スピッツが好きになったと話した。「同じだね」と夏希は笑い、私もぎこちなく笑みを作った。「メガネがオシャレだね」と言われて、照れてしまった。

 場違いな飲み会で浮かない顔をしている私に、フレンドリーに話しかけてきてくれた。彼女が手を差し抱いてくれたとき、私は本当に嬉しかった。でも胸の高鳴りは長続きしなかった。なぜなら私はこの軽音サークルに入るつもりはないからだ。

 このサークルに入らなくても、夏希は私と仲良くしてくれるだろうか。接点を失った関係性が続くとは思えない。だけどそれを彼女に言い出すことができなかった。


 私は昔のことを思い出していた。中学時代、部活で憧れていた先輩に、褒められてすごく嬉しかったときのことを。しかしその先輩の言葉は嘘だった。

 なぜ先輩がそのようなことをしたかは未だに分からない。ただ分かるのは、彼女が私の前で「いい人」を演じていたことと、そんな虚構の先輩を好きになってしまったことだった。

 私も結局、先輩と変わらなかった。夏希にこれからも友達でいるようなフリをして、彼女の話を聞いている。夏希の笑顔を見るたびに、自分が空のグラスのように空虚に感じた。空っぽの自分を埋めるように慣れないお酒を何度も口にする。夏希が何度か「大丈夫?」と心配そうに聞いてきたが、意識は徐々に霞んでいった。夏希の表情も少しずつ曇っていくように見えた。やがて目の前が真っ暗になって、何も見えなくなってしまった。


 ☆ 

 

 気が付けば、目の前には知らない天井があった。そしてスー、スー、と規則的な寝息が聞こえる。私はそっと身を起こし、呼吸音の方に顔を向ける。夏希の寝顔がそこにはあった。

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