第2話

「ただいまー」


 日が沈みかける、空が朱色に染まる頃。

 帰って来たセイは、住処にしている洞窟に帰って来た。

 冷たい石の入り口は、草で編まれた暖簾のようなもので塞がれている。空気の入れ替わりを少しでも防ごうとするものだ。外では肉を燻しているので、その煙が入って来ないようにしているのも理由。

 中には既に子供が四人揃っている。中には唯一の灯りである焚火が中央にあるだけ。


「お帰りなさい、セイさん!」

「……ちっ」


 小さく舌打ちしたのは、セイの存在を快く思っていないロベリアだけ。

 対照的に朗らかな出迎えの声を掛けたのは、子供達の中でも最年長、十五歳のスイレンだった。ローレルよりも明るい茶の髪を持つ、目鼻立ちの整った女の子だ。


「スイレン、ただいま。変わった事ない?」

「ありませんよ。お肉もありがとうございました、骨も皮も綺麗に取って貰ってて」

「別に大した事な」

「それで、その皮は今どこに?」

「……」


 笑顔のスイレンから僅かに紫の瞳を逸らす、セイ。

 スイレンも負けじとその視線の先に顔を移動させる。

 暫しの沈黙。


「スイレンの見様見真似で……川に、浸けたんだけど……なんか、毛が……いっぱい、抜けちゃって……なんとかしようとしている間に、流されてっちゃった」

「セイさんんんんんんんん何適当に扱ってるんですかあああああああああああああああ」

「悪かったわよ」


 セイが聞いているスイレンの出自は、革職人の二女だった。

 才はあったのだが、それよりも職人として秀でた兄や姉と比べられ、秋が終わる前にこの森に捨てられたのだと。

 口減らしの森、という名前は伊達ではないらしい。


「四か月くらいずっと見て来たんだし、出来るかなって思ったのよ」

「それで出来なかったでしょ!? ……って、つめたっ!?」

「ああ」


 詰め寄るスイレンがセイの肩に触れた瞬間、その冷たさと湿り気に思わず手を引っ込める。

 ――服が濡れている。埃っぽかった服が少し綺麗になっていたのもそのせいか。


「言ったでしょ、川に浸けて来たって。その時ついでに服も洗って来たのよ」

「洗って来たぁ!? だからってどうして濡れたまま着てるんですか! 乾かさなきゃ」

「あー、いいのいいの」


 セイは肩から靴まで水浸しだ。それなのに、何ともないような顔で振舞っている。服はよく見たら色が濃くなっているが、洞窟内では暗くて濡れているのかいないのかよく分からない。


「私、別に風邪とか引かないし。ちゃんと出入り口の見張りはいつも通りやるわ。気にしないで」

「気にしないで、って……セイさん!」


 言うなり、セイは自分の寝床に行ってその場でぽいぽいと衣服を脱ぎ捨てる。

 たった一枚の下着すら全部放り出して、そのまま寝台に入ってしまった。顔を真っ赤にして目を逸らしているのはロベリア。

 彼女の寝台の位置というのは、この洞窟の入り口すぐ側。隙間風で寒いだろうに気にもせず、枯草を積み重ねただけの粗末な寝台に潜り込んでしまった。

 食事も摂らず、暖も無く。

 それで平気な体だと言うのは――この短い期間に、全員知ることになった。


「……色々と『強い』のは知ってるけどよ。……本当に化け物なのかよ、この魔女」

「しっ!!」


 ロベリアが漏らした憎まれ口には、すぐさまローレルからの制止の言葉が掛かる。

 それに気づいてしまえばロベリアもそれ以上は声を出せない。それほどまでに、セイの機嫌を損ねるのは悪手だった。

 憎まれ口はそれで終わったものの、只事でない視線を向ける者がいた。それが、スイレン。


「……ロベリア。あんた、セイさんへの恩義忘れて何勝手な事言ってるの?」

「恩義って、そんな……大袈裟な」

「この『口減らしの森』。その森に捨てられる前のこの国の掟、忘れた訳じゃないでしょ」

「……」


 この国では、口減らしされる側には決まった手順がある。

 先に、死体のない墓を作られるのだ。

 生きていた頃の『口減らしされる者』はそこで死んだ事になる。同時に、名前を奪われる。

 親がつけてくれた、自分が産まれて最初の贈り物を捨てさせられるのだ。


「私達は名前のない状態で、何者でもない状態で、この森に捨てられた。……新しい名前をくれて、死ぬだけだった私達に役割をくれたのはセイさんなんだよ」

「……分かってるよ、うっせーな」

「分かってないじゃない。そもそも食料だって、毒のあるキノコの見分け方を詳しく教えてくれたのも、動物を狩って肉をの持って来てくれるのもセイさんなんだから」

「分かってるっての!!」


 静かに、と言われた事も忘れて大声を出したロベリア。

 自分の声量に気付いた後は、顔を青褪めてセイの方を見た。……彼女は寝台の中で、寝返りを打つことも無かったが。


「俺は、今の名前を受け入れた訳じゃないからな」

「そう。じゃあ前の名前を好き勝手名乗ってればいいじゃない。こっちもこっちで好きにするから」

「だから! それが嫌なんだよ、どうして俺達があんな正体も知れない女の言う事なんて聞かないと」


 ――いけないんだよ。


 ロベリアの口から絶えず垂れ流される文句は、別の人物の声で途切れてそれ以上出て来なかった。

 泣き声。それも、幼児。

 焚火から離れた寝床で寝ていた四歳ほどの子供が起きて来たのだ。


「おにちゃ、こえ、おっき」

「ああ、ミーちゃん、起きちゃったの」


 ふええ、ふええ、と甘えるような泣き方をしながら、両手を広げたスイレンの胸に吸い込まれていく。

 ミーちゃん、と呼ばれた幼児の名はカルミア。セイにより名付けられた、本来の自分の名前すら憶えていなかった最年少の女の子だ。

 スイレンの胸元で暫くぐずっていたカルミアは、一分もしないうちにまた眠りに付く。すぅ、と小さな寝息が聞こえてやっとスイレンも安心した。


「……私は。……セイさんが化け物だろうが魔女だろうが、助けてくれた恩を忘れたりしない。少なくとも、セイさんがいなかったらミーちゃんは確実に死んでいたわ」

「っは。どうだかな。いなかったらいなかったで、案外どうにかなってたかも――」

「本気で言ってるの。道具もないのに、あんたがこの洞窟をここまで住めるくらい掘削できたの? 夜中に襲って来た熊をあんたが倒せた? あれだけ綺麗に、猪の肉と皮と骨を分けることが出来たって言うの?」

「そんな事言ってねえだろ!」


 再び大声を出したロベリアに、今度はローレルからの冷たい視線が及ぶ。

 一度起きて再び寝に入ったカルミアを再び起こす愚行を許さない、とばかりに睨みつける視線にロベリアは声を潜めるしかない。

 そもそも、ロベリアはこの場にいる五人の中で唯一の男だ。女が徒党を組んだ時の強さを、身を以て知っている。


「……あの魔女よ、病気もしねえし食い物も俺達の前じゃあんまり食わねえ。風呂もまともに入らないと思ったら、こんな季節に濡れた服のままで平気って言うじゃねえか。馬鹿強くて俺らが住める洞窟も掘って、俺達の知らない技を使う。……まともじゃねえよ」

「その『まともじゃない』力に私達は助けられてるの。セイさんがいなかったら、私達はきっと死んでたの」

「そんなにあいつが大事かよ」


 吐き捨てるように言ったロベリア。一瞬だけ言葉を詰まらせたスイレンを横目に、自分に宛がわれた草の寝床に向かう。


「ロベリア、なんであんたはそんな事しか」

「その名で呼ぶなよ!」


 再びの大声では、カルミアは身じろぎしただけだ。

 大声を出さないように、と分かっていた筈のロベリアは声を潜めて短く続ける。


「あいつに寄越された名前なんて、俺は俺の名前だなんて認めないからな」

「……」

「そんだけだ。……もう寝る」


 こうなったロベリアを誰も引き留められない。

 胸にカルミアを抱き留めたままのスイレンも、成り行きを見守っていたローレルも、苦笑いを浮かべて顔を見合わせた。


「……もう日も沈んじゃったし、ローレルも寝るよね? 今日は私とミーちゃんが一緒に寝ていい?」

「それは勿論。……ほんと、ロベリアって子供っぽくて嫌になるね」

「っぽい、じゃなくて、子供なんでしょ。……まぁ仕方ないよ。皆、こんな所に来たくなかったんだから」

「……」


 スイレンが焚火に小枝をくべる所を見ながら、立てた膝を抱え込むようにしてローレルが呟く。

 この生活も、少しは慣れたとはいえずっと続けたいものじゃない。でも、森の外に出たところで帰る場所もないし、無事に外に出られるかも不明だ。

 そんな状態が続くと思えば、ロベリアのように喚きたくなるのも分かるのだ。……でも。


「私は、……正直、……ほっとしてる」

「え?」

「私がいた村は……、もし、あのまま捨てられてなかったら……私、どこかも分からない場所に、売られてたから」

「……、そっか」


 スイレンはそれ以上、何も言えなかった。

 国の情勢自体が不安定なこの土地で、それぞれ生まれ育った村がどんな非道な事をしていてもおかしくない。

 政治をする者達の首が挿げ替えられ、その混乱の巻き添えを食らう子供達はいつも被害者。


「じゃあ、スイレンさん。おやすみなさい」

「おやすみ、ローレル」


 庇護する相手がどういった人物であれ、その背中に守られていなければ死んでいただけの命が、四つ。

 今日も彼女がくれた温もりに縋るようにして眠らなければ明日を迎えられない。

 そして洞窟内が静まり返った頃、苦い顔をして寝床から起き上がったのは全裸のままのセイだった。


「……」


 消えそうになる火は、薪を足してやらなければまだ寒い。近寄ってぽいぽいと小枝を投げ入れると、さして乾いていない冷たい服を拾い上げる。

 子供達にはああ言ったものの、乾いていない服は不快感がある。小枝と蔓で作った服掛けに衣服を吊るし、早く乾くように火の側に近付ける。


「………」


 無言のセイは、その服の胸元に視線を向けている。


 子供達が話した事をそのまま信じると、自分はどうやら崖の上からこの森へ落ちて来たらしい。

 口減らしに捨てられる子供達も、その方法でこの場所へたどり着く事が多いらしい。……しかし大半は死体となって、なのだが。

 それでも生きていた子供達に救われて、今自分はここにいる。

 自分一人であれば、この森を抜け出すことは容易いだろう。実行したことはないが、その自信はある。

 ――記憶は無い癖に。


「私は、……何なんだろうね」


 魔女、と言われるまで気付かなかった、種を扱う自分の特異性。

 子供達が誰も知らないと言った、服の胸元の紋章。

 それが自分の出自を示すものなのだろう。でも他に手掛かりは無い。

 何か大切なものを忘れている、そう思えてならない胸の中の焦燥。


「……セイ」


 それは絶対に自分の名前なんかではない。

 でも今はただ、自分を表す記号のようなその名前で呼ばれるしかない。

 分かっているのは、こんな森の中で生活していく幾らかの術と、自分の特異能力と、それから。


「……『絶対に』、『許さない』……」


 スイレン達が聞いたと言う、この森で最初に目覚める前に譫言のように呟いたという、自分が誰かに向けた憎しみの言葉だけだ。

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