第9話 幼馴染はファンシーなハートがお好き。翌朝、俺は幼馴染の下着を見て鼻血と涙を流す。

 精根尽き果てるなんて言葉はあるが、実際にどれだけの人がこの言葉の意味通りの状態になったことがあるのだろうか。

 とりあえず、今の俺はこの状態であると胸を張っている。

 胸を張るというのはやや仰け反り気味で、口から魂がひゅるーっと抜け出しているところだけど。まさに精も根も尽き果てた。


 エスカレーター近くに設置されている椅子でぽけーっと天井を見上げていると、にょきっとアオの顔が下から生えてきた。

「……死んでる?」

「絶賛な」

 まさか買い物の開幕早々命果てるとは思わなかった。というか、休日に買い物に来て生死に関わると予想できる奴がどれだけいるんだ。常在戦場じゃあるまいし、歩道を颯爽と駆けていく自転車に心臓が竦んでも死を思うことはない。


 それなのに、平和な日常の中であっさりとメメントモリさせた我が幼馴染は俺の手を引っ張って、新たな戦場に送り出そうとしてくる。

「次は雑貨を見たいわ」

「まだここで魂をふわふわさせていたいんだが」

「歩きながらでもできるわよね?」

 そんな器用な真似できないけど。というか、抜け殻を連れ歩いて楽しいのだろうか? 怖くない? 怖くないか。そっかー。


「雑貨、雑貨ね」

 開幕即死下着売り場で出鼻を挫かれたが、あんな地獄な聖域は2度もないはずだ。それなら、これ以降の難易度は下がっていくだけで、平穏安全な買い物が待っているとも言える。いや絶対。間違いなく。

「逝きますか」

「……なにかニュアンス違くなかった?」

 幼馴染の経験則か、それとも女の勘か。

 やけに鋭い指摘を受けながら、新たな戦場に向けて前進する。


  ■■


 休みとあってか、ビルの1フロア独り占めの雑貨売り場には、家族連れの客が多く見られた。11月になると新しい家具が欲しくなるのか。いや、シーズン的には2月、3月だろうか。俺もその時期に、1人暮らしのために色々と買ったものだ。


 ベッドで戯れる子どもを横目に店内を見て回っていると、アオの足がある棚の前で止まる。

「コップ欲しいのか?」

「……うん」

 前かがみになり、じっとコップを睨むように見ながら横歩き。品定めをする目は職人の素材選びのようで、迂闊な声をかけられない雰囲気だ。

「でも一昨日買ったよな?」

「…………あれは暫定。急遽必要だったから買ったのよ」

 迂闊と知りつつも、幼馴染の気軽さで尋ねると、声に不機嫌さが加わる。わかりきった返答だったが、使えるならそれでよくない? と思ってしまうのは男ゆえだろうか。最近は化粧をする男子も普及してきたので、俺と同列に扱うのは失礼かもしれないが。

 偏見も混じっているが、女の子は用途は一緒でも色とか形とか、些細な違いを重要視する。そういうのを全部ひっくるめて『かわいいぃ↑↑』と語尾を跳ね上げるのだけど、俺にはそのかわいさがわからない。本当に同じ意味で使ってるのかも疑わしいと思ってる。かわいいってなんぞや。


 頭の中で女子宇宙人説を説いていると、ぴたっとある位置でアオの横歩きが止まる。

「これ、どう思う?」

 おっと。また絶望の選択肢ですか。もう終わったと思ったのに(涙目)

 顔だけ振り返って、ガラスのコップ以上に煌めく瞳に促される。どれだよと思いながら見て、へふーと無事死亡。

「こっちの真っ白なマグカップいいなーシンプル伊豆ベスト」

「そっちじゃない」

「知ってるよ」

 知ってて視線と話題を逸らしたんだよ。幼馴染なら察してくれよ。察した上で話を戻そうとしているんだろうけど。


 こっちと手を繋いでいない、空いてる片手で顔の向きを直される。

 ちなみに、買い物したはずなのにどうしてアオの手が空いてるかといえば、俺が荷物持ちをしているから。

 袋に女性下着メーカーのロゴがプリントアウトされているだけでも精神的に重いのに、幼馴染の下着が入っている袋を持たされていると思うと、今にも肩が抜けそうだった。これは自分で持ってほしかったなぁ。閑話休題。


「これ」

「これぇ?」

 本当にぃ? のテンションで語尾が濁る。

 疑うというか、なにかの冗談であってほしかった。でも、アオはしっかりと頷いて、やっぱり俺にトドメを刺してくる。

 俺の幼馴染は言葉1つ1つが一撃必殺の凶器なのかもしれない。


「ペアのマグカップじゃん」

 白のマグカップ。

 雪原くらい真っ白だったら俺もなにも文句を言わなかったが、それぞれ赤と青のハートマークがでかでかと印刷されている。しかも、マグカップの上下にはラインのようにハートが1周している。

「必要よね?」

「必要、…………か?」

 長めの沈黙は俺の葛藤だ。

 否定するには幼馴染の瞳がうるうるしていて、かといって肯定するには恥ずかしすぎる。


 というか、アオは俺に恋人とか彼氏彼女とかカップルとか、そういう男女のあれこれを求めすぎだ。ただの幼馴染でしかない俺をなんだと思っているのか…………ぴぴー。ここから先は思考停止ポイントです。なにもかも忘れ回れ右をしましょう!

 そんなわけで、考えるよりは目の前の選択の方がマシだったので現実に再浮上する。現実も心の中もアオばっかりで逃げ道がなさすぎる。


「…………まぁ、いいんじゃない?」

「買う」

 そういうことになりました。

 買い物籠を持ってきて、その中に入れる。嬉しさでむずむずしているようなアオの顔を見ながら、気付かれないようにそっと息を吐く。

 もしかして、買い物中ずっとこういうのが続くの?

 下着選びが最初で最後の難問というわけでもなかったらしい。今日はクイズしに来たわけじゃないんだけどなぁ、と悲嘆に暮れながら「次はこっち」と元気なアオに引っ張られていく。


  ■■


「……、………………疲れた」

 これが今日1日の感想だった。

 ただただ疲れた。これに尽きる。くたびれたサラリーマンのように、肩が煤けていた。


 あの後も『これどう思う?』と幾度となく尋ねられた。

 その問題が一目でバカップルとわかるハートプリントのペアルックだったり、揃いの歯ブラシだったりと、ぎゃわーと叫びたくなる一品ばかりでやっぱりアオは今日俺を殺そうとしているんだなと何度も思った。今、辛うじてでも息をしているのが奇跡だった。


「ダブルベッドだけはなんとか止めたが」

 部屋に入る入らないの押し問答は、どうにか俺が競り勝った。せめてと買わされたハートにフリルのYES/NO枕も買う必要なかったと思う。渋々ならこれは買うと拗ねた顔で言われて、まぁダブルベッドよりはマシかと俺も渋々認めたが、今思うと実は本命は枕でダブルベッドはフェイクだったのでは? と思わなくない。

 もしそうなら知能犯すぎる。頭のよさをこんなところで活かさないでほしかった。


「……俺の部屋がハートでファンシーになってしまう」

 片付いていないけど、全体的に見るとシンプルな配色の1人暮らしの部屋はどこへ旅立ったのだろうか。戻ってきてくれぇと泣いて縋っても、出ていった後ではもう遅い。

 今にも雨が降りそうな暗い空が車窓から見える。俺の気持ちみたいだなと、出ていった先を見つけてよよっと涙ぐむ。

「ん……」

 あれだけ電車を怖がっていたアオも、今日は流石に疲れたのか頭を俺の肩に預けてうとうとしている。


 こんな無垢な寝顔を見ると毒気も抜かれる。まぁいいかって、死にそうだった今日1日をそんな感想で総括できるくらいには、かわいらしい寝姿だった。

「無防備すぎるわな」

「うみゅ」

 ふにふに頬をぷにると、口から変わった鳴き声がもれる。

 あはは。今日の仕返しだーとぷにぷにしてたら駅に着いていた。


「……頬が変。なにかした?」

「なにも」

 電車を下りてほっぺをむにむにしているアオに、俺は素知らぬ顔でうそぶいて、胸中でほくそ笑む。

 知らない間の仕返しはできまい。

 わははと意気揚々と笑っていた……そんな昨日の俺に、翌朝の俺が思うのは因果は巡るよということだ。


「どうして! また! 人の布団に潜り込んでるんだよ!」

 しかもまた俺のシャツを着て!

 2回目の朝。

 またもや幼馴染の添い寝と肌色で叩き起こされた俺は叫んだ。これから毎日こんな起こされ方するの? 目覚ましよりは効果あるけど、血と体温を急上昇させる起こし方は肉体的にも精神的にも悪すぎる。


「なにぃ……?」

 目をこすりながら、俺の布団から這い出たアオはやっぱりワイシャツ1枚。下も当然履いてなく、カーテンの隙間から差し込む朝の陽光が真っ白な太ももを照らしている。

「だから、もうちょっと警戒心をだ……な?」

 と、言ったところで気付く。

 ワイシャツが肩からずり落ちている……のはまだいい。しっとりむちっとした谷間が見えるのは大きな問題だが、まだいい。

 問題なのは胸を覆う下着。


「おぃ、それって」

「ん、あぁ……」

 寝惚けたまなこで胸元を見下ろし、にへっと頬を蕩ける。

「ユイトが好きそうだったから、着てみた。どう……? 似合ってる?」

 そう言って、胸を強調するように二の腕を寄せるアオ。寄せられ、今にも零れ落ちそうな胸部を隠しているのは――セクシーブラック。もとい、やや透けの多い大人な黒いブラジャーだった。


「……っ、~~!」

 好きじゃないと叫ぼうとしてダメだった。世界が赤くなる。

 そもそも俺が選んだのは白いブラジャーで決して黒ではない。……ないのだけれど、自分が選んだ下着を、俺の好みだと理解しながらも幼馴染が着ているという特殊すぎる状況に、目がぐるぐる回って痛い。


「鼻血……」

「……出るだろ、そりゃ」

 血ぐらい出るよ。

 人差し指の甲で触れると、ぬめっとした赤い液体が指を汚した。

 昨日の朝。

 幼馴染の半裸を見て鼻血を流すなんて醜態を晒すわけにはいかないと思っていた。

 同棲生活たったの2日目にしてそんな強い決意は脆くも崩れ去り、鼻から赤い血が流れ続けている。

 どばどば寝間着を汚すが気にならない。

 天井を仰いで思う。

 どうして昨日死ななかったんだろうなぁ……。ほろり、とどうしてか涙が零れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る