第8話 女性専門下着売り場で幼馴染にどっちがいいと黒か白かを選ばされた時の俺の心境。地獄です。

 アパートのある駅から5駅も離れていない街は、まるで都会に来たように賑わっていた。休日だというのにスーツ姿で歩く社畜様に、相反するようにきゃっきゃする女の子の集団。急行も停まる、他の路線との接続駅だけあっていつ来ても賑わっていた。


 そんな労働と遊興が交差する改札横で、手を繋いでいる俺とアオはどう見えるのだろうか。自己を顧みるためにも第3者視点で見るのが大事だとはわかっているが、繋いだ手が指の間を埋め合う恋人繋ぎの時点で明白な気がしてならない。他人の視点なんていらなかった。答えはいつだって自分の中に。

 こう言うと哲学的だが、ただの逃避行動でしかなく、あー視線が痛い。


「じゃ、とりまこっちで」

「わかった」

 人の多さに面食らっているのか、歩き出した途端にまた腕を抱きしめてくる。腕で潰れるふかふかを意識しないようにしながら、人の波に乗るように寄り添って歩く。

 そういえば、地元はあんまり人が多くなかったよな。微かな郷愁に駆られつつ、目まぐるしい人の動きに翻弄される幼馴染に尋ねる。


「足りないものってなに?」

 来る前に訊いておけばよかったと思わなくもないこともない。

「足りないもの……」

 周囲の人を忙しくなく追っていた青く輝く瞳が曇り空を見る。

「コップ、歯ブラシ、枕カバー、布団カバー、バスタオル、ハンドタオル、食器洗剤、洗濯洗剤、ゴミ袋、卵、牛乳、コート、スカート、ブラ、ショーツ、化粧水、乳液、シャンプー、コンディショナー」

「わかったわかった一通り全部な」

 指を折って、また開いて。

 いつまでも数えていそうなアオを宥めて止める。思いついたまま上げたという感じで、まとまりのなさが幼児のそれだ。まったく覚えられない。というか、指折る意味ないだろ、それ。


 途中、なにやら耳にしたくないピンクな単語が混ざった気がしたが、一先ずなかったことにしておく。

 幼馴染が女の子だった場合、こういうスルースキルは必須だった。

 月1で体調が悪くなる理由とか絶対に訊いてはいけない。頬を赤らめ、お腹を擦りながら『赤ちゃん、できるようになったんだ』と告白される衝撃は、これまでの人生を振り返ってみても1位2位を争う。

 翌日、熱を出して倒れるくらいには、幼馴染の口から聞きたくなかったトラウマになっていた。ほんと今思い出しても辛い。


「なんで顔押さえてるの?」

「急に目眩が、な」

「大丈夫?」

 平気ですだから訊かないでください。

「トラウマ……この世の絶望を思い出してしまっただけだからなにも問題ない」

「問題あるようにしか聞こえないのだけど」

 訝しむようにアオが唇に軽く握った手を添えて首を傾げる。でも、本当にどうでもいいことなので、気にしてはいけない。


「まぁいいから。それじゃあ、最初はどこ行くか。案内は任せろ」

 親指を立てると、疑問は解消されないまでもさほど気にするべきことではないとは伝わったのか、「そうね……」とそのまま僅かに顔を伏せて考え込む。

 最初は日用品類かなーなんて、軽く考えていた俺の気持ちを嘲笑うかのように、顔を上げたアオが微笑んで言う。


「下着売り場に案内して」


 ……それさっきスルーしたやつじゃんっ。だいたい男の俺がそんなところ案内できるわけないだろう。男の幼馴染を持つ身なら、その辺りを察する能力は必須事項なんだけど!?

 笑顔で運ばれてくる絶望を受け取り拒否したかったが、残念なことに強制受け取りであるらしい。

 真砂まさごの1粒も邪念のない、清らかな微笑みに俺は「……うぃ」と小さく頷くことしかできなかった。

 1人の時に買うという選択はなかったのだろうか。


  ■■


 男にとって下着売り場というのは一種の聖域だった。

 見てはいけない物が平然と並ぶ場所。そこに女の子の連れもおらず、割って入ろうものなら白い目を向けられる。

 ちょっとでも怪しい動きをしようものなら、『ちょっとお話いいかな?』と、笑顔の警官が帽子を被り直しながら話しかけてくる。

 行き過ぎた被害妄想かもしれないが、それくらいの警戒心を持って然るべき。そんな聖域だった。

 

 普通の服に紛れてさらっと売り場に並んでいることもあるが、そういう場合は顔を向けないようにしつつさらっと通り抜ける。

 元来、男が踏み入っていい領域ではなかった。

 ……とある条件を満たす場合を除いて。


「どっちがいい、かな?」

「どっちって」

 女の子を同伴した場合にのみ、許されるかも? な女性物の下着専門店で、アオの両手に掲げられた黒と白のコントラスト。もとい、ブラジャー。

 両方共にフリルにレースと、女の子らしさとちょっと背伸びした大人っぽさが同居している。ただ、黒の方はやや透けすぎというか、結構ガッツリ見えるよね? という透け感がとてもよろしぃ……くない。不健全です。


 というか、なんで俺が選ぶんだよ……。

 アオの顔もやや赤い。照れるくらいなら俺を呼ぶなよ。選ばせるなよ。店員さんや周囲の女性客からどんな目で見られてるのか不安で堪らない。でも見れない。怖くって。

 背中に冷や汗がびっしり。でも、逃げるコマンドは表示されなかった。バグです運営さん即刻修正希望。


「ねぇ、……どっち?」

「……」

 迫られる黒か白。なんだか、店内の女性たちにも注目されている気がしてならない。

 どっち、どっちか。

 こういうの、適当に答えると後で不機嫌になるんだよなぁ。どうしてそういうの伝わるし。かといって真面目に答えるのは、精神的ダメージがでかい。そういうのが好きなんだ、って目で見られるのは、女の子に自分の性癖が暴露されるようなもので今晩の枕はずいぶんとしっとりしそうだった。


 どうせ後には引けない。

 頑張るかーと、アオが両手に持つブラジャーを吟味する。

 ……大きいな。

 メロン、というか小ぶりなスイカなら挟まるんじゃないかって大きさをしている。幼い頃は当たり前だがぺったんで、一緒にお風呂に入っていたこともある。(なお、何歳まで入っていたかは精神崩壊しかねないので伏せる)

 徐々に女性らしさを伴うラインになってきて、俺から一緒に入るのを嫌がったのだが、それでもここまで大きくなるとは想像もしていなかった。


 これがあれか……。

 ごくりと唾を飲んで、ブラジャーの向こう側に見える、これを付けるだろうスイカを見る。見て、

「ユイト、頭を抱えてないで、選んでよ」

「……自己嫌悪で死にそうだから待って」

 幼馴染相手にそういう異性としての意識を向けることへの罪悪感で身悶える。ほんとよくない。なによりこの状況がよくない。


 もういい。死ぬのは後でできる。

 今はここを脱出するために、手早く選んでしまおう。


 心境は脱出困難なダンジョンに挑む冒険者だった。

 じっと黒と白の下着を見る。

 どっちも似合いそうだ。というか、間違いなく似合うが……

「白で」

「そっちなんだ」

 やめてくれないそういう含みを持たせる独り言。ふーん、と鼻で嗤うような感想は心をごりごりと削られる。今日だけで2回りは小さくなったぞ俺の心。


 清水の舞台から飛び降りたようにげっそりしていると、俺が選んだ白いブラジャーを見たアオが1つ頷いた。

「じゃあ、買ってくるね」

「あぁ……」

 って。

「黒いの置いてけよ」

「これも買うから」

「……え、なんで?」

 えいっという気軽さで奈落に突き落とされた気分になる。

 最初からどっちも買うつもりなら、俺が選ぶ必要なかったよね? マジでなんだったのこれまでの地獄の時間。


 チーンッ、ともはや昇天している俺に、トドメとばかりに微かに頬を赤らめた笑顔で一言残していく。

「幼馴染だから、わかるわ」

 そのまま会計に向かうアオを見送って、しおしおと崩れるようにしゃがむ。顔を両手で覆って嘆く。

 なにわかるって。抽象的すぎてわからない。もっとわかる言葉で言って。いや言わなくていい。というか、セクシーブラックの方が俺の好みだったけど、幼馴染にそんなもん着せるわけにもいかないしアオの性格的にもまだ清楚なピュアホワイトを選んだという心の葛藤がバレているということ? 筒抜けだったの? はは、死のう。


 ふらふらと立ち上がって店を出ようと振り返ったら、店員さんや女性客に『頑張ったね』みたいな微笑ましい顔で頷かれた。

 ……窓はどこだろうか。

 今なら地面とお友達になれる気がする。

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