第7話 電車が怖いお嬢様っぽい幼馴染
週末の土曜日は買い物日和というわけにはいかなかった。
薄く雲のかかった空は、今から雨を降らせてやろうかあんっ? とガンを飛ばすように湿っぽい。外に出るにも折りたたみ傘は手放せず、あったとしても降ったら肩を落とすこと間違いなしだろう。
そんな天気なら、サブスクの映画を観るか、読書に励むかして家で有意義に過ごしたかった。夏に公開された最新作の過去シリーズを1から追いかけるのもいい。休日をフルに使っても満足できると確信できるスケジュールだ。
でも残念ながら、どれだけ外出したくないと思ったところで、必要があれば家を出るのが人間という社会的動物なのだ。本能だけで生きてはいけない。
「ユイト」
「はいはい行きますよ」
思い耽って足が止まっていたら、玄関で靴を履き終えたアオから催促の声がかかった。しょうがない、と床にくっついた足裏を引き剥がす。
これが家族サービスで休日を潰すお父さんの気持ちなのか。子もいないのに、父の気持ちを
玄関を出ると風が首筋を撫でた。いいことなのは、秋らしく過ごしやすい空気くらいか。明日は夏日とかお天気お姉さんが言っていたので、出かけるのが今日だったのは小さな幸運だった。日に焼け、汗かきながら荷物持ちなんてたまったものじゃない。
「今日もこの前行ったスーパー?」
「んー」
家の鍵を閉めて、鍵と入れ替わりに俺の手を取ってきたアオが尋ねてくる。同棲3日目にして手を繋ぐことに動揺しなくなったのは、昔の経験が活きたということだろう。それが果たして真っ当な感性かは確かめる気も起きないが、慌てないのはいいことだった。
……まぁ、腕にちょいちょい触れるふにふにした感触には、いまだに動揺が隠せないのだけれど。もうちょっと女の子らしく節度をだね、なんて本当に父親みたいなことを思ってしまう。
「いや、少し遠出するか」
「それは、……デート?」
「……買い物って言ったよな?」
「じゃあ、デートだね」
ふふっと嬉しさが目元の柔らかさとなって現れる。
この子はすぐそうやって思わせぶりなことを口にする。そういう勘違いを誘発する発言はダメですよ? とお説教してやりたいが、はいはいと流す程度に収めておく。大人なので。
決して、『勘違いじゃないわ』と、赤く熟れた顔で返されるのを恐れたわけではない。大人なので。
「それはともかく」
「デートはともかくじゃないわ」
ともかく。
「近場じゃあんまり品揃えないからな。しっかり生活用品揃えるなら、足を伸ばすしかない」
つまり今日はアオのための買い物、というわけだ。
引っ越してきたばかりで足りないものが多い。アオの実家から明日までには荷物が届く予定だけど、必要最低限しか送ってもらってないらしい。
アオが俺の家に住むようになった当日も買い物はしたが、寝具とか寝間着とか、一旦必要な物しか買わなかったのでまだまだ足りていない。
「というわけで電車乗るから」
「わかった」
……返事するように胸を押し付けてくるのはやめてほしい。
■■
こういう時、本当なら車があれば便利だよなぁと、電車に乗りながら思う。荷物の持ち運びにしても、人の手だけでは限界がある。
けれども、残念ながら俺はまだ高校生で、免許は取れない。週末の朝だからか空いている社内をぽけーっと眺めながら、小さなもどかしさを覚えていると、むにっと腕で大きなおもちが潰れる。だからぁ。
「あんまりくっつかれると、って」
なんだか顔を強張らせている。緊張、だろうか。そんな心の余裕のなさが伝わってくる。ぎゅっぎゅと押し付けられるおもちは一旦意識の外に追いやる。
「どうした? 酔ったか?」
「……そうじゃないわ」
乗って数分。酔いやすかろうと、早すぎるか。じゃあなに? と目で訊くと、僅かな隙間も埋めるようにこれでもかって密着してくるアオが震える唇で言う。
「電車、あんまり乗ったことないから」
「……怖いの?」
こくっと固く頷かれた。
電車が怖いって、なかなか聞かない台詞だった。
酔うから苦手というのはままあるにしても、電車そのものを怖がっている。そういえば、券売機も改札もなんだかわちゃわちゃしていた。時間も勿体ないので俺がさっと手を貸したが、あんまり操作がわかってなかったのか。どこのおばあちゃんだ。
別に機械音痴ってわけじゃなかったはずなんだけど……思い返して、頑張って思い出してぇ。そういえば、アオが電車に乗ってることはほとんどなかったなと気付く。
移動はだいたい車。もしくは徒歩。自転車に乗っているところすら見たことがなかった。電車を使って遠出をする機会もなく、すくすくここまで育ってきてしまった、と?
「アオって、時々常識外れっていうか、お嬢様だなぁって思わせるよな」
「……バカにしてるぅ」
反論できないけど、とやや泣きべそ声でこぼす。
バカにしてるつもりはないが、そうなんだと納得できるくらいにはアオは常識に疎いところがあった。
アオの実家はそこそこ大きいし、裕福そうではあるけど、超絶お金持ちというほどでもない。隣にあるうちよりも一回り大きく、庭が広いくらい。母親がうちもあれくらいの家に住みたかったわーと、窓から隣の家を眺めながらぼやいているのを聞いた覚えがある。
ちなみに、その時リビングには父親もいて、ソファーに座ってお昼のバラエティー番組を観ていた。すごすごと肩を落としながら部屋に戻っていったのを見て、情けなさと共に将来の自分もあぁなるのかと物悲しくなったものだ。ローンとはいえ、マイホーム買えただけいいだろうに。
「まぁ、ああいうのも愛情表現だよな」
「……なんの話?」
なんの話だろうか。
すっかり思考が脱線していた。なんだったか。そうそう、アオはお嬢様っぽいけどまぁ一般家庭の括りではあるよねって話だ。
それなのに、こうして常識の疎さを見せられると、箱入り娘っぽいと思わせられる。
ちらりと目で入口上のモニターを確認する。もうそろそろ駅に到着する。ただ、目的地は現在地点から1駅先だ。それもたかが数分のこと。我慢して、で終わる話ではあるのだが……。
「……ユイト?」
「もう少しだから」
アオに捕まっているのとは反対の手で、震えるアオの手を慰めるように叩く。そのまま手を重ねると、アオが堪えきれないとばかりにえへっと笑みを零した。
「なに笑ってるんだよ」
「嬉しくって」
「怖いのに?」
「ユイトから手を握ってくれたのは、これで2回目だから」
「…………そうだったか?」
アオと手を繋いだ記憶は、電車が次の駅に到着するまでの短い時間では掘り返しきれないくらいにある。なのに、俺から握ったのは今日合わせて2回しかないって、そんなことあるのだろうか?
そもそも1回目は? まるでわからない。
「よく覚えてるな」
「当たり前。ユイトから握ってくれたんだから」
それがなにより大切だというように、幸せに浸るような顔をするものだから、自分が凄く恥ずかしい行為をしたんじゃないかって思わせられる。
ただ手を握っただけなのに。
今、自分がどんな顔をしているかわからない。でも、アオには見せられない顔だというのはわかるので、まだ着かないのかとモニターを観るフリをして顔を逸らす。と、くすっと笑われて、なんだか全部お見通しのようで顔が焼ける。
とんっとアオが肩に頭を乗せてくる。
「電車は苦手だけど、ユイトが優しくしてくれるなら、また乗りたい、……かな」
「苦手が克服できたようでなによりだよ」
意地を張る気力もなくなって、はぁっと体に籠もった熱を吐き出すしかなかった。
ただまぁ。
「卒業したら、車の免許は取ろうかな」
高校の先。
ただ必要そうだからと、それだけの理由で呟いた言葉に反応するように、アオがぎゅっと抱えた俺の腕をより強く抱きしめてきた。
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