第5話 幼馴染と初めての登校と静まり返った教室の空気

 登校のためにアパートを出ると、抱える憂鬱さに反して空は快晴だった。近頃天気は雨や曇りばかりで悪かったのだが、今日に限って快晴だった。

 恨めしく思えばいいのか、それとも暗い気持ちを明るく照らすような眩しい陽の光に感謝すればいいのか。

 わからないまま辟易していると、アパートの入口からアオが出てきた。


「忘れ物は?」

「持ったわ」

 学生鞄を叩く。

 新しく買った物ばかり。忘れるような物があるとは思えないのだけど、なにを取りに行ったのか。鞄を注視していると、「じゃあ行きましょうか」と指を絡めてくる。

 自然に。躊躇ためらいもなく。


「……」

 指と指の間を通る冷たく、繊細な感触。握り返すこともできず、ただただ見下ろすことしかできない。

「どうかした?」

「……なんでもない」

 言いたいことはあったが、たぶん昨日と一緒だろうなと言葉を呑み込む。

 甘えられて、惚けられて。

 結局、最後は許してしまうんだろう。


 ほとほとこの幼馴染に弱すぎる。

 ぎゅっと握ってくるアオに応えないのだけが最後の心の抵抗だった。


 仲よく手を繋ぎながら通学路を並んで歩く。アパートの前はそこそこ大きな道路に面している。歩道を守るように木が並び、日差し避けにもなっていた。

 下校もだけど、この道をアオと歩いているのに奇妙な感覚があった。というよりも、誰かと登校すること自体に違和感がある。

 ぼっちを拗らせすぎてるなー。

 高校に上がってからはずっと1人での登校だったから、隣に誰かいるのが不思議でならない。でも、中学まではアオと一緒に登校していたから妙な納得もあって、心の表面をなにかが掠めていくような、そんな落ち着かなさだけが胸に有り続けた。


 手は繋いでなかったけどな。

 最たる違いはこれだろうと繋いだ手を軽く振る。

「……なに? 楽しい?」

「そういうことじゃないけど」

 むしろ楽しそうなのは目端口端が緩んでいるアオだろうに。


 そうして、幼馴染というにはしっかり手を繋いだまま、学校近くにある公園の前を通る。木々が生い茂り、自然豊かな公園だ。

 ほとんど校舎の隣にあって、ここまで来ると学生らしき人たちがちらほらと姿を現してくる。公園の横幅はそこそこ長いので、学校に着くまではもう少しかかるが、木の影からちらちらと見え隠れする校舎に忘れていたやるせなさが戻ってくる。


「学校休みたーい」

「こら。ちゃんと行かないとダメよ」

 めっと指を立てて叱られる。仕草や態度はかわいらしいが、第三者視点で見ると冷淡にも見えてなかなか怖い。神秘的な容姿のせいで、ちょっとした感情が誇張して見えてしまう。

 実際、近くを歩いていた生徒数人がそそくさと逃げるように早歩きになったので、俺が想像するよりもアオのめっは恐ろしく見えたのかもしれない。


 相変わらずだなぁと思いつつ、それとは別にそもそも学校に行きたくないのはアオのせいだと言ってやりたい。

「自覚ないよなぁ」

「……? あるわ」

 ないよ。わからないのにあるとか言っちゃう時点で欠片もないよ。


 自覚なんてあったら、同じ学校の生徒の姿が見え始めたら繋いだままの手を離している。それをしてない時点で、説得力なんて夏に雪が降る確率くらいだ。

「手、離さない?」

「…………繋いだままじゃ、ダメ?」

 まぁこうなるよね。わかっていたのでそれ以上は言わなかった。どうせ勝てないと諦めきっている。負け犬根性が染み付いているのだ。

 世の男女の幼馴染ってのは、皆こんな力関係なのかねぇ。


 いるかもわからない同志たちを思いながら校門を潜る。そのまま昇降口で靴を履き替え、教室に到着する。

 おはよう、なんて言わない。言う相手がいないから。

 その辺り、人間関係に気を遣わなくていいからぼっちは楽だなといつもなら開き直るのだけど、今日ばかりは教室の空気が異質だった。


 入った途端、しんっと静まり返る。

 教室中の視線という視線が集まって、肌にチクチクどころかグサグサ刺さってくる。ないはずの刺れる痛みを感じてしまいそうなくらいの視線の鋭さだ。このまま踵を返して帰りたい。


 注目されているのは一緒に登校してきた俺とアオなのはもちろんだが、視線が注がれているのはどうしても離してくれなかった恋人繋ぎしたままの絡み合った手だ。

 本当に幼馴染なの? 絶対それだけじゃないよね?

 誰も声なんて出してないのに、こちらを見るクラスメイトの顔々かおがおにはこれでもかってそんな心の声が書かれている。


 だから来たくなかったんだ。

 昨日は休み時間の度に逃走を繰り返し、話す隙なんて見せなかった。けど、それがいつまでも続くとは思っていない。十代の我慢なんてたかが知れているのを、俺は身を持って十二分に知っている。


 アオが傍に居続ける以上、先送りしたところでいつかは向き合う必要があるとは思っている。思っているが、夏休みの宿題のように見なかったことにしようと埃が被るまで放置したくもなる。だって面倒だから。


「ユイト」

 繋いだままの手を引いてくる。この空気に気付いているのか、こちらを見上げてくる恒星のような輝く瞳からは窺えなかった。

 ……ま、いいか。

 どうにかなれーとうっちゃって、もしくはただ逃避して、寒さでひりつく教室に足を踏み入れる。

 自分の机に鞄を置く。一息つける状況じゃないけど、座って肩から力が抜ける。抜けたけど、肩は上がったままだ。


「荷物置きにいかないのか?」

「後で」

 傍に立ったまま、手を繋いだまま、アオは動こうとしない。なにこの状況。そこそこ長い学校生活で、こんなに混迷した事態に直面したことはなかった。というか、普通朝の教室はここまでわけわからんことにはならない。


「でも重くないか鞄?」

「じゃあ」

 と、俺の机に置かれる。いいのかそれで。

「自分の席に置くという選択肢は?」

「後で」

 子どもか。なんでもかんでも後回しにしすぎだろう。ホームルームが始まるまで一緒にいたいとしても、ちょっと席に行って戻ってくるだけでしかないのに。

 なにが嫌なんだ。中学の頃まではずっと傍にいようなんて強い決意感じなかったぞ。


「アオがいいならいいけど」

 よくはないが、言っても聞かないのでよかったことにする。

「疲れない?」

「……疲れるかも」

 なんかまた後でとか言われるかと身構えたが、素直に頷かれて逆に困惑する。まぁ、疲れないと尋ねて後でと答えられたら、なに言ってんだって思うけど。後で疲れるってなんだ。今日は体育ないぞ。


「なら、せめて座れば?」

 後で思うと、言葉が足りなかったかもしれない。でも、俺としては近くの空いてる席か、もしくは自分の席を持ってきて座れば? という意味で言ったつもりだった。それ以外の意図なんてなく、それ以上の意味として伝わるなんて思っていなかった。

 だから、

「そうね、そうする」

 と、アオがこっくり頷いて、そのまま俺の膝に座ってくるなんて思いもしていなかった。ふにっと感じる尻の感触と、教室中から集まる視線の圧力が強まって背筋に冷たい汗が流れた。


「おぃ」

「これで疲れないわね」

 疲れない、じゃない。

 おしりの置き場所が決まらないのか、膝の上で位置を調整するのはやめてほしい。その感触と、鼻腔をくすぐる甘く冷たい香りに朝からよくない気持ちにさせられる。

「硬いのが当たる」

「ベルトがな!」

 ぼっちでいいと思ってはいる。

 でも、社会にまで爪弾きにされたいと思ったことはなかった。

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