第3話 朝起きたら、幼馴染が同じ布団で寝ていて今にも胸がこぼれそうな彼シャツ姿だった
毎日遅刻と戦っているぐらいには、朝は苦手だった。
けれども今日は、鼻をくすぐる甘い香りが眠りから俺を揺り起こす。
もっと味わっていたい。
そう思って香りのする方に顔を近づける。強まった香り。甘い、けれどどこか清涼感のある香りは冬に咲く花を連想させた。
花の種類なんて詳しくはない。この世に甘さと清涼感を合わせ持つ花が存在するかは知らないけれど。
安らぐ香りは確かにあって。
そのまま2回目の熟睡に入ろうとしたけど、薄く開いて、ぼやけた視界に映り込むアオの顔の近さに心臓が
「のわっ!?」
危うく唇が触れそうな距離だった。鼻先どころかまつ毛が俺の瞼をかすめていて、ほとんど密着状態といっていい。
破裂しなかったのが不思議なくらい心臓が収縮と拡大を短い間隔で繰り返している。叫んで、がーっと一瞬で壁まで後退した。
「な、なんでアオががが」
血流がありえない速さで上下する。このままくらりと倒れてしまいそうなくらい頭が沸騰していた。
なにもかもわからないまま荒ぶる心臓を押さえていると、んんっとアオがむずかるように喉を鳴らした。途端、緊張が走る。心臓が止まったんじゃないかってくらい音がしなくなる。耳鳴りだけが響いて、目を
「……あ」
とろんとした瞳が俺を見て、柔らかく笑う。
「おはよう、アオ」
「あ、あぁ……おはよう」
じゃなくて。
反射的に返してしまったが、そんな日常を交わし合っている場合じゃなかった。
「なんでアオが俺の家にっ?」
「なんでって、昨日から一緒に住んでるわよね?」
言われて、あ……となる。そういえばそうだった。
突然、転校生として現れたかと思えば、そのまま家まで押しかけて同棲を迫ってくる。なし崩し的に了承してしまったのを、記憶の蓋を開けたように思い出す。
ずるりと背中が壁を滑る。
「そう、だったな」
「そうだよ」
嬉しそうにアオが頷く。
その
「待て。なんで俺の布団にいるんだよ?」
「なんでって、昨日から一緒に寝てるわよね?」
「あ……」
そうだった……となるわけがない。
一緒に住む時と同じように返したところで、誤魔化されたりはしない。
「アオはベッド、俺は布団。昨日そう決めたよな?」
「そう、だった……かしら?」
薬指を唇の下に触れさせ、アオは明後日の方向を見上げる。見るからにわかっている態度。そして、あからさまに有耶無耶にしようとしていた。
「そうだ」
大きく頷く。
突然始まった同棲生活。両家の親公認という引き返せない状況からのスタートだったが、急なことで2人で暮らす準備なんてできていない。
家に来たアオは学生鞄以外持っておらず、そもそも生活するための荷物を何1つとして持っていなかった。
どうやって学校まで来たんだと聞けば、『パパに車で送ってもらったわ』と至極真面目にアオは言った。ならせめて荷物も運んでもらえというのは、俺が高望みしすぎなのだろうか。そもそもおじさんは、身1つで娘を送り出さないでほしかった。
一応、後日荷物は送ってもらうらしいが、昨日は着替え1つなかった。精神的な疲弊はこの時点で凄く、なにもなかったことにして
そもそも、友達がいないぼっちな俺は来客なんて想定してないから、寝具はベッドが1つ。一緒に寝るから大丈夫なんて
普段からベッドで寝てるからその方が寝やすいだろうって、ベッドも譲った。
なのに、
「なんで俺の布団で寝てる?」
さぁ言い訳を述べてみよとじとっと睨むと、「だって」と艶のある唇を尖らせて拗ねる。
「一緒に寝たかったから」
「……あぁ、そうなの」
もはや言い訳でもなんでもなかった。ただやりたかったからやりました。子どもの言い訳の方がまだマシだ。
あぁ、頭痛い。
寝起きから騒ぎすぎた。くらくらする。このまま布団に倒れ込みたいが、アオが占領しているのでそれもできない。
「もういいや。狭いし、布団畳むからまだ寝るならベッドに移って」
「私も起きる」
「どっちもでいいよ」
気力を使い切って、なにもかもがどうでもよくなる。
……なってたはずなのだけど、アオが布団から這い出た瞬間、うげぼと口から吐いてはいけないなにかが吐き出された。
「な、な」
わなわなと唇が震える。
「な?」
「なんでシャツしか着てないんだよっ」
身動ぎする度に、ちらちらと覗く上下の白い下着が目に悪い。ズボンすら履いてなく、露出した太ももがあまりにも眩しい。
朝から刺激の強すぎる光景にぐわっと血が上る。幼馴染の半裸を見て鼻血を出すなんて醜態を晒すわけにもいかないと視線を外す。
「昨日寝間着も買ってたよな?」
シースルーのネグリジェを嬉々として会計に持っていくのを全力で阻止して、近くにあったつるりとしたシルクのパジャマを押し付けたはずだ。
『こういうのが趣味なの?』とあらぬ誤解を受けたが、スケスケのネグリジェが大好きな変態ですと記憶されるよりはずっとよかった。
そのはずなのに、どうして俺を幼馴染にワイシャツだけを着させる変態に仕立て上げたいのか。動いてもないのに呼吸が苦しくなっていると、アオが「だって」とこぼす。
「寝苦しかったから」
そこからワイシャツ1枚に繋がる前後関係がわからなかった。
あぁでもと思い出す。
そういえばアオは家だとラフな格好が好きだった。締め付けが苦しいとか、暑いからとかそんな理由で。
胸か。やっぱりその無駄に大きく育ってしまった胸がいけないのかと、今も存在をこれでもかと主張する胸部を憎々しげに睨む。
「だいたいワイシャツなんて買って……」
ない、という言葉は出てこなかった。
言い終わる前に、どこから持ち出したのかわかってしまったからだ。
まるでそれが正解だというように、アオはさっと顔を逸らした。
「……丁度いいサイズだったから」
じゅっと焼けるように、アオの耳が赤くなっている。
俺のか、
あのシャツ2度と着れないな。そんなことを思いながら、パタンッと前から倒れる。
意識を失ったわけじゃない。
でもしばらく休ませてほしかった。
起きたばかりだけど、切実に。
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