第2話 幼馴染が1人暮らしの男の家に押しかけてきた

 実家に連絡を入れると、両親公認というなんとも無責任な返事がメッセージだけが届いた。いや、保護者が認めているというのは無責任というのだろうか?

 ……年頃の男女を1つ屋根の下に住まわせるのは放任な気がする。


「出ないし」

 発信の切れたスマホを睨んで愚痴る。メッセージは返ってきたが、それだけで納得できる話ではなかった。

 事細かに仔細を確認、あと文句を100は言いたいのだが、それを察してかいくら電話しても出なかった。

 家にいない、スマホを取れない。そんな状況があるのか。母親は専業主婦だぞ。

 いっそ父親の仕事場に連絡するか……? と半ば本気で考えていると、なぜか玄関から上がって来なかったアオが、ようやく部屋の中に入ってきた。

 実家の連絡を優先していたけど、なにしてるんだアオは。


「さっさと上がってくればよかったのに」

「だって、先言っちゃうし」

 そわそわと落ち着かなそうに辺りを見渡す。

「男の人の家に入るの、初めてだから」

「なに乙女みたいことを」

「乙女ですが?」

 むすっと唇が結ばれる。その所作は幼気だけれど、顔が妖精のように神秘的だからかわいいよりも綺麗に見える。怜悧に見える目が怖くもあった。実際には子どもが拗ねているのと変わらないが……こういうところが誤解の元なんだろうなぁと久々に実感する。


「だいたい、実家の俺の部屋には上がってたろ」

「それは……男の人の家じゃなくて、高丈家だから。おば様もいたし」

 立ったまま居場所に困っているアオをローテーブル前のクッションまで手招くと、そんなことを言い出す。

 わからなくもない感覚だが、その線引きは微妙なところだ。なにより、男の家を気にするのならもっと警戒心を持ってほしい。

 幼馴染とはいえ高校に上がってから1年以上会ってない男の家に上がるなんて無警戒にもほどがある。ましてや一緒に住むって……。

「どうしたの? おでこ押さえて……痛い?」

「今さらこの状況に頭が痛くなったんだよ」

 元凶に心配されるのも、なんだか複雑な気持ちだ。


「とりあえず話だ。話をしよう」

「うん」

 こくりとアオが首を縦に振る。

「私も、ユイトと話がしたい」

「……そういうのじゃないんだが」

 これからアオを問い詰めるんだが、嬉しそうにされると追求の手が緩みそうで困る。


「先にお茶だな」

 どうあれ、一応、望んだわけじゃないが客ではある。

 出涸らしだろうと、茶の1つも出さず話し合いするわけにはいかなかった。なにより、これから喉がガラガラになりそうな予感がある。

 11月にイベントがないからって、わざわざ問題を起こさなくてもいいのに。胸中で不満を零しながら、膝に手を付いて腰を上げる。

「あ、私がやるわ」

 パッとアオが俺よりも早く立ち上がってお茶くみ係を買って出る。

「俺んち」

「待ってて」

 止める前にキッチンに向かってしまった。

 中途半端に腰を浮かしたまま、俺も向かうかどうか悩む。悩んだが、

「まぁいいか」

 好きにさせることにした。


 実家でもよくやってもらっていた。

 俺や母もいるのに、どうしてかアオがキッチンでお菓子作りに励んでいた。朝食や夕飯を用意することもあって、それを不思議に思っていなかったのを、1人暮らししてから不思議に思うようになった。不思議と不思議が連鎖して止まらない。


 部屋とキッチンを隔てる扉の先から人の気配を感じる。引っ越しの時に両親は来ず、友達もいないので誰かを部屋に招くなんてなかった。当然、俺以外の人がキッチンを使うなんて想定もしていない。

 妙な気持ちになる。でも、当たり前のように受け入れている自分もいる。それはこれまで幼馴染として長く過ごしてきた経験によるものなんだろう。


 それでもやっぱり俺の部屋にいるのは変で、このもどかしさをどう表現したものかとうごごしていると、飾り気のないコップを2つ手に持ったアオが戻ってきた。

 ただその顔は渋面で、幻想的な瞳が薄く俺を突き刺してくる。


「冷蔵庫、麦茶しかなかった」

「水もある」

「コンビニのお弁当しかなかった」

「今日の夕飯のつもりで、昨日買っておいたから」

 非難するようにじっと見つめてくる瞬く青い瞳からすーっと視線を逸らす。

 言いたいことはわかっている。

 事前にアオが来るのがわかっていたら隠蔽工作をしたのだが、なにもかもがいきなりすぎた。


 なんとか誤魔化したい。でも、アオはこれでもかって追い打ちをかけてくる。

「洗濯物が溜まってた」

「休みにまとめてするつもりだから」

「キッチンに朝の洗い物もあった」

「遅刻しそうで」

「床に埃が積もってる」

「……週末に掃除しようかなって」

 麦茶の入ったコップをローテーブルに置いたアオが、正面に回り込んでくる。四つん這いになって、あぐらをかいていた俺の膝に手を乗せてきた。

 室内であっても恒星の瞬く瞳。魅入りそうになって下に視線を逃がせば、大人しい性格とは裏腹によく育った胸が揺れていて、仰ぐように天井を見上げた。

 昔から大きいとは思ってたけど、また成長してる。


「どこ見てるの?」

「天井」

「違う」

 顔を両手で掴まれて、正面を向かされる。

「心配してるんだよ」

「わかってるけど……」

 しょうがないじゃん。高校生男子の1人暮らしなんてこんなものだから。そんな言い訳を口にしようとして、いやいや待て待てと思い直す。

 そもそもなんで俺が言い訳を?

 いつの間にか立場が逆転してる。「そんなことより」とアオの肩を押して引き剥がす。なにするの? と顔が言っているが、立場が逆だ。


「俺のことはいいから」

「よくない」

「いいから」

「よくない」

「……わかった。それは後で話し合うとして」

 結局、折れるのはこっちだ。

「まずはアオのことだろ。なんか、うちの両親は公認とか言ってるけど、アオのおばさんおじさんは納得してるのかよ」

 それなりのお嬢様学園に通わせられるくらいには、アオは育ちがいい。貴族令嬢とかそういう物語のような話ではなく、両親の教育がしっかりしているからだ。放任気味なうちとは大違いだ。


 そんな大切な娘を、いくら昔から仲がいいからといって男と一緒に住まわせるなんて許可するはずがない。あってたまるか。

「ママもパパも許可してくれたわ。むしろ、率先して」

 ……あるのかよ。


 どうしてだおじさんおばさん。

 確かに娘には甘かったし、俺にも優しくしてくれたけど。

 親子揃ってこんなにも無警戒だと俺の方が心配になってしまう。信用信頼と受け止めるには、あまりにも重すぎた。


「……両家公認」

 口にすると目眩がする。

「わかった。わかったが、……俺の許可は?」

「……ダメ?」

「ダメ」

 手を繋ぐくらいならともかく、いやそれをともかくで流したくはないが、一旦ともかく。引っ越し先のあるじに許可がないのは、かわいく小首を傾げて甘えてもダメだ。……ダメだ、と言えればよかったのになぁ。


「でも、住むとこがないわ」

「だよな」

 なんだか嵌められた気がする。

 一方的な申し出。追い出しても文句を言われる筋合いのない状況だが、住む場所のない幼馴染を寒空の下追い返すわけにもいかない。

 はぁとやるせないため息がこぼれる。俺の思考まで予想されているようでとても癪ではあるが、仕方ない。本当に、仕方ないことだ。

「…………。とりあえず、保留」

「つまり?」

 期待でアオの目が発光する。クリスマスのイルミネーションみたいな瞳だなと思いつつ、あぁと諦めて首を縦に振る。

「好きにしろ」

 アオの顔がパァッと光輝く。

 瞳も髪も。

 どこもかしこも瞬いて、星でできているんじゃないかと思わせる。


「ありがとう、ユイト」

「どういたしまして」

 こんな顔をされては、引っ越し先が決まるまでなんて無粋な釘も刺せない。こうなった時点で俺の負けなのか。そうだな。負けかあははーとやけっぱちにどんよりしているとアオがぎゅぅううっと抱きついてきた。

 猫のようにほっぺを擦り寄せてくる。


「おぃ」

「これからよろしく」

 喜びを滲ませる声に、熱のこもった吐息をこぼす。

 こんな調子で俺の理性は持つのかなーと、胸板で潰れる胸の心地よい感触にガリガリと理性の削られる音が聞こえてくるようだった。

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