第8話 出会い
無機質な2つの目が、七瀬を見据えていた。
目の前には、白銀に輝くサイバースーツ。
その存在感は圧倒的で、機械装甲に覆われた未来兵士そのものだ。
今にも動き出しそうな迫力に、七瀬は思わず息を呑む。
(これが……本物のサイバースーツ)
ゆっくりと装甲に手を伸ばす。
指先に伝わるのは、ひんやりとした冷たさと堅牢な感触。
これはVRで再現された仮想空間のものではない。
紛れもなく、「現実」の指ざわりだった。
七瀬の視線は、装甲から肩部へゆっくり移動する。
その視線は、ある刻印に吸い寄せられた。
『KAEDE・NANASE』
そこには、自分の名前がはっきりと刻まれていた。
七瀬はその文字を、まるで時間が止まったかのように凝視する。
夢にまで見た光景。
胸の奥底から熱が込み上げ、それが全身を駆け巡る。
「俺専用のスーツ。信じられない……」
ついに、サイバースーツを着装しての実践訓練が始まる。
サイバーネクストプログラムは中盤に差し掛かり、候補生たちが待ち望んでいた瞬間が訪れた。
心躍る思いで白銀のスーツを纏った七瀬。
しかし、訓練が始まるや否や、その高揚感は容赦のない現実に打ち砕かれることになる。
広大なスタジアムを模した屋外試験場。
その一角に、七瀬のサイバースーツが無様に膝をついていた。
「VRと……全然感覚が違う……」
荒い息遣いが、ヘルメット内に反響する。
サイバースーツの内部機構が全身を包み込み、パワーアシスト機能によって、四肢をスムーズに動かせるはずだった。
(体の感覚に違和感がある……。プロは、これを自由自在に操っているのか)
サイバースーツの全高は約2メートル、総重量は250キログラムにも達する。自分の体以上に巨大で重い装甲を、まるで自分の手足の操らなければならない。
七瀬は、拡張された肉体の感覚を掴むのに苦戦していた。
頭では理解しているはずなのに、身体がついてこない。
(これじゃ、戦うどころじゃない)
周囲を見回すと、他の候補生たちはサイバースーツを軽やかに操り、歩いたり、走ったりしていた。
その動きは自分の体そのもののようで、七瀬との違いは歴然だった。
七瀬も意を決して、一歩を踏み出す。
足取りはぎこちなく、不安定だ。それでも、何度も足踏みを繰り返し、少しずつ感覚を掴もうとする。
「よし……何とか歩くのはできそうだ」
そう思った瞬間ーー
「……おおうっ!」
突然、背面スラスターが意図せず起動した。
重心が一気に崩れ、七瀬のスーツは前のめりになり、派手に一回転して地面に叩きつけられた。
「うぐっ……」
衝撃で目の前に星がちらつく。
「…っ!スラスター自動制御OFF!」
苛立ちを隠せない声でつぶやくと、HUDーーヘッドアップディスプレイ上のスラスターアイコンの点灯が消える。
サイバースーツの背面には高推力スラスターが装備されている。
筋電位センサーがパイロットの筋肉の動きを感知し、出力や方向を自動で制御するシステムだ。
しかし、無意識のうちに筋肉が反応してしまえば、意図せずスラスターが作動してしまうことがある。
「こんなことで行き詰まっている場合じゃないのに……」
七瀬はふらふらと立ち上がる。
慣れない体を動かしながら、周囲に見回したその瞬間。
視線がぶつかった。
一人のサイバースーツが、静かにこちらを見つめている。
(ジーク!?)
HUDには映るのは、ジーク・フェスターという名前の表示。
よりによって、一番見られたくない相手に自分の醜態を晒してしまった。
七瀬は思わず唇を噛む。
ジークは何も言わず、七瀬から視線を外す。
そのまま初装着とは思えないほどの滑らかな動きで走りだした。
筋肉のわずかな動きに連動して、背面のスラスターが精密に噴射される。その推力を巧みに制御し、ジークのサイバースーツは一気に加速した。
(なんだ、この動き……!)
他の候補生の合間を縫うように、ジークは流れるようなステップで地面を駆け抜ける。
ジークは一度も七瀬を振り返らなかった。
だが、その完璧な動きは、どこか七瀬に見せつけるような意図がにじんでいる。
七瀬は呆然と立ち尽くし、その光景を見送るしかなかった。
( ……あいつ)
言葉が続かない。
目の前に広がるのは、どうしようもない実力の差。
ジークが自分を意識しているーーその事実にはわずかな喜びがあった。
だが、それ以上に湧き上がるのは、抗えないほどの恐怖。
「頭の中ではイメージできてるんだ。よし、もう一度…!」
思考を振り払うように、七瀬は再び足を踏み出した。
******
サイバースーツの格納・整備を行うピットガレージ。
訓練を終えたサイバースーツが次々と運びこまれ、周囲ではエンジニアたちが忙しそうに動き回っている。
実践訓練の開始と合わせ、エンジニアチームもサイバーネクストプログラムに正式に参加していた。
「カエデ、あんた何やってんの!今日の訓練は基本操作でしょ?どうしたら装甲がこんなに傷つくのよ!」
鋭い声がガレージに響き渡る。
七瀬は正座の姿勢で縮こまり、視線を落としていた。
その声から逃げるように視線をそらすと、目の前には白銀のサイバースーツが立ち尽くしていた。
上半身から下半身まで、無数の細かな傷が刻まれている。
(ジークの動きは、結局再現できなかった)
走るだけなら何とか形になった。
だが、ジークの鮮やかな挙動に追いつこうと無我夢中で挑戦した結果、派手に転倒を繰り返してしまったのだ。
「ちょっと、聞いてんの?」
「あ、聞いてます!本当すみません」
七瀬は慌てて顔を上げる。
目の前には、腕を組んで仁王立ちする少女が厳しい視線を向けている。
彼女はステラ・ベネット。
ブラウンのショートヘアに、利発さを感じさせる大きな瞳。
化粧っ気のない素顔だが、健康的でハツラツとした美しさが際立っている。
実践訓練では、各候補生に1人ずつ主担当のエンジニアが付くことになっている。
彼女は、七瀬の担当エンジニアなのだ。
「はぁ……今日は初日だから早く上がれると思ってたんだけどな」
ステラは大袈裟にため息をつき、七瀬をじろりと見下ろす。
初対面の挨拶で見せた可憐な笑顔に、七瀬は内心「何てラッキーなんだ」と喜んでいた。
だが、今目の前にいるのは、容赦なく叱責する強気な姿。
明日もサイバースーツを使った訓練が予定されており、
その準備や仕上げを担当するのはステラの仕事だ。
七瀬の胸に、申し訳なさがじわりと広がる。
「あの……本当すみません」
「……まったく。あんたさ、そもそもサイバースーツって1機いくらするか知ってる?」
「あ……1億円くらいですかね?」
「一桁違うわ!安くても10億円。プログラム用の型落ち機ですら、その半額はするんだから!」
最新技術が集約され、世界中を熱狂させるサイバースーツ。
その市場規模は約7500億円とも言われる。
1機あたり10億円。その数字は決して誇張ではない。
七瀬の視線は、自分が傷つけたサイバースーツに向かう。
冷や汗が背中を伝い、胸の奥にじわじわと焦りが広がっていた。
「それ本当?ものすごいプレッシャーなんですが……」
「プレッシャーを感じてほしいの!今日あんたが壊した分だけでも、修理費用はかかるんだからね!パイロット志望なら、無駄な消耗はやめて!」
ステラの語気は強いが、その中には確かな責任感と、わずかな優しさがにじんでいた。
サイバースーツはとにかく金がかかる競技だ。
試合中の損傷は避けられないが、パイロットも可能な限り機体の負担を抑えることがセオリーとされている。
「まだ初日なのに先が思いやられるわ。ジーク・フェスターを見習ってほしいわよ」
ジークの名前に、七瀬の胸に小さな棘が刺さるような感覚が走る。
「さすが最有力候補生ね。初日であれだけ機体性能を引き出してて、スーツはほぼ無傷。ああいうパイロットの機体を整備できたら、エンジニア冥利に尽きるのにな」
「……悪かったですね。ジークみたいじゃなくて」
自分でも驚くほど強い口調で返してしまった。
ステラの言葉にそこまで悪意は感じられなかったのに、心の奥に燻っていた感情が、つい口を出た。
ステラの目が鋭く細められる。
「初日でスーツをここまでズタボロにしたのはあんただけ!整備するこっちの身も考えてよね!」
「……はい、気をつけます。それは本当に申し訳ない」
七瀬は深々と頭を下げた。
ジークへの対抗心が空回りし、無駄に期待を酷使してしまったのは事実だ。
(VRでジークに勝ってから、何かが変だ)
必要以上に熱くなり、冷静さを欠いている自分に、七瀬は違和感を覚えていた。
ステラは大きくため息をつくと、少し表情を和らげて口を開く。
「はぁ……。ま、それはそれとして、ステラでいいわよ。歳も近いし、敬語もやめて」
七瀬は思わず目を丸くした。
ステラはどうやら、間違った行動は叱責するが、それを個人への感情には引きずらないタイプらしい。
もしくはーー呆れを通り越してしまったか。
前者であることを祈りながら、七瀬は小さく頷いた。
「え、あ……分かった。俺もナナって呼んで。歳が近いって、ステラは何歳なの?」
「18よ」
「俺、17だから1個違いだ」
七瀬はステラの年齢に驚き、反射的に答えた。
そのまま、ふと疑問が浮かぶ。
「あのさ、サイバースーツのエンジニアって18でなれるもんなの?兄貴がエンジニア志望で、大学で勉強してるんだけどさ……」
七瀬の兄は現在20歳で、サイバースーツの技術を大学で学んでいる最中だ。にもかかわらず、その2つ下のステラがエンジニアとして現場で活動している。
(しかも、担当エンジニアって相当な技量が必要だよな……)
候補生との密なコミュニケーション、サイバースーツの細かな調整、他エンジニアへの指示、統括エンジニアへの報告
ーーその役割は多岐にわたる。
どれも新米では到底務まらないだろう。
七瀬は答えを探るようにステラをじっと見つめた。
サイバーネクストプログラムのロゴが入ったツナギは真新しいが、腰に巻かれた工具ベルトやグローブは使い込まれた跡があり、年季を感じさせる。
(経験は結構ありそうだな……)
七瀬は何気なく他にも特徴を探そうと視線を滑らせる。
ツナギ越しに隠れているはずのラインに一瞬視線が引っかかった。
(あれ?意外と……)
七瀬の視線に気づいたステラは、すかさず両腕で胸元をガードし、じろりと睨みつける。
「ねぇ?どこ見てんの?」
「えっ、いや、違う!その……グローブすごく使い込んでるなと思って!」
七瀬は両手を振り回し、必死に弁解する。
ステラはじっと七瀬を見つめたあと、ふっと息をついた。
「……さっきの質問だけど、私の場合は環境が良かったの。詳しい話は今度ね。それより、さっさと出てってくれる?整備しないといけないから」
七瀬は口を開きかけたが、自分のせいでスーツがボロボロになったことを思い出し、言葉を飲み込んだ。
(事情は気になるけど、今は聞かない方が良さそうだな……。まあ、腕がある人が担当で良かったし、機会があったらまた聞いてみよう)
心の中でそう自分に言い聞かせる。
七瀬は整備への感謝を込めて言葉をかけた。
「ステラ、整備お願いします。次はもう少しマシになるようにするから」
「ほんと頼むわよ。ナナ」
ステラは軽く手を振った。
七瀬も小さく振り返し、ガレージピットを後にする。
(ジークを見習え……か。自分でも分かってるけどさ)
七瀬の頭には、ジークが見せた無駄のないサイバースーツの動きが焼きついていた。その圧倒的な差が、心に重くのしかかる。
(もしまたジークと戦うことになったら……俺はやれるのか?)
その小さな不安は、冷たい影のように七瀬の心に染み込んでいった。
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