第5話 七瀬の戦略

遠雷のような低音が空気を震わせ、鋭い金属音が七瀬の耳を貫いた。


「いやほぉぉう!絶好調だぜ!」


イーサンの興奮した叫び声が、通路内に反響した。

七瀬の目の前で、サイバースーツが崩れ落ちる。その頭上には、撃破を示すアイコンが浮かび上がっていた。


二人がいるのは、軍事基地を模した戦闘領域バトルエリア

サイバーウェポンが放つ蒼白いフォトンの残光が、通路の隅々まで淡く輝いている。

VRの仮装空間は、その光景を現実さながらに再現していた。


「5機撃墜!間違いなく俺がトップだろ!」

「うん!かなりいい感じだ!」


イーサンが得意気に笑う。七瀬も興奮を隠しきれず、声が弾んだ。


2枚のシールドを構える七瀬が壁となり、その背後からイーサンがライフルを撃つ。

即席の連携は、遮蔽物が少ない基地内通路にで驚異的な効果を発揮していた。


七瀬は視界モニターに目を走らせる。

HUDーーヘッドアップディスプレイには、最新の生存者数が表示されていた。


『生存数:8』


試合開始から10分。20名いた候補生はすでに半分以下に減少している。


「イーサン、フォトン残量は?」

「残り40%。まあまだ余裕だろ。効率よくやれてるからな」


サイバースーツは、攻撃や防御のたびにフォトンを消費する。

どれだけ順調に敵を倒そうとも、フォトンが尽きればその瞬間に敗北は確定する。

七瀬はHUDに表示されるフォトン残量を絶えず確認していた。


「それにしてもナナ、お前の作戦はマジで天才的だな!さすがチェスマスターだぜ!」


イーサンが軽口を叩きながら笑う。

称賛には違いないが、どこかからかいのニュアンスも含まれていた。

七瀬は苦笑する。


「本当に将棋の影響だよ。格上相手との戦い方は、全部そこから学んだから」

「格上との戦い方?数で叩くってことか?」

「今回はね。でも、重要なのは、相手を自分の土俵に引き込むことかな」


七瀬は遠い記憶を手繰るように呟いた。


5歳の頃、祖父に教わりながら覚えた将棋。

7歳で異国の地・イギリスに渡った七瀬にとって、それは孤独を埋める大切な支えだった。


彼が手にしたのは、日本から持ちこんだ1冊の将棋本。

ーー『必殺のハメ手:鬼殺し戦法』


それは、奇襲を仕掛け、有無を言わさず自分のペースに引きずり込む戦法。

将棋の王道とはかけ離れた、異端の手筋だった。


しかし、自ら描いた勝利の絵図へと相手を誘い込み、勝ちをもぎ取る快感。

その感覚に魅了された七瀬は、この戦法にのめりこんだ。


「この手がダメだったんだ。もし1手前にこう指してたら、どうなってただろう?」


鬼殺しは対策されれば、あっけなく崩壊する。

段位が上がるほど、敗北の数は増えていった。


だが、七瀬は鬼殺しを諦めなかった。

負けるたびに使い込まれたノートに局面をメモし、新たな対策を練る。


試し、振り返り、修正する。

ーーそのサイクルを何千回と繰り返した。


「やった、七段に勝った!一発いれたぞ!」


練り上げられた奇襲戦法は、格上相手にも通用する武器となった。

その戦術的思考は、七瀬の人生における基本戦略として根付いていく


ーースポーツ、ゲーム、勉強

何をしても天才の兄には敵わなかったが、わずか数回だけ勝利を掴んだ

その勝利の背景には、将棋で培った奇襲の考え方が確かに息づいていた。


「なるほど、確かに完全に俺らのペースだ。さすがだな、相棒!」


イーサンの弾んだ声が響き、七瀬は思考から引き戻された。


「調子のいいやつだな」


そう返しつつ、七瀬は小さく笑った。

初めに出会った相手がイーサンで、本当に良かった。


(もし最初にジークと遭遇していたら…?)


その光景を想像しただけで、背筋に冷たい汗が伝う。

交渉の余地など、全くなかっただろう。


(他の候補生と連携し、チームを組んで生き残る)


この戦略は、最初に出会った相手に拒否されれば、その瞬間に崩壊する。

だからこそ、何度か会話を交わしたイーサンと出会えたのは幸運だった。


結果的に、狙い通りの状況が作れていた。

もしかしたら……このまま最後まで行けるかもしれない。


「ん?何か言ったか?」

「え…あ、何でもない!敵はあと6人だ。集中しよう」


七瀬は、いつの間にか鼻歌を口ずさんでいたことに気づき、自分でも驚いた。緊迫した状況のはずなのに、どこか心が軽い。


気を引き締めるようにイーサンに声をかけたが、七瀬の胸の奥には小さな炎が灯っていた。


思考が研ぎ澄まされ、視界が冴え渡る。

全身に走る緊張感すら心地よく、指先の感覚が研ぎ澄まされる。


ーー楽しい。


その感覚は、勝利の一手を読み切った瞬間の、将棋の高揚感に似ていた。


*****


薄暗い会議室に、激闘の光景が映し出されてた。

サイバーネクストプログラムの関係者たちが、大型モニターに視線を奪われている。

コーチ陣だけではなく、サイバーネクストプログラムを主催する関係者たちも観戦に参加していた。


一際大きい歓声が、会議室内に響き渡った。


「すさまじいな!接近戦ではあいつに勝てるやつはいないだろう!」


フィジカルコーチのシェパードが興奮気味に声をあげる。

彼の視線は、モニターに映るジークの姿に釘付けだった。


屋外にいるジークは、フォトンブレードを軽やかに操り、次々と敵を仕留めていく。


一瞬で間合いを詰め、

斬り、突き、崩し、裂く。


その動きには一切の迷いがない。

芸術作品のように研ぎ澄まされた一連の所作に、見ている者は息を呑んだ。


「撃墜数4機。もはやプロと遜色ない動きだな」

「撃墜数といえば、意外な人物がトップですね」


感嘆の声を漏らしたシェパードに、エネルギーコーチのソフィアが、モニター右端に示されたランキングを指し示す。


「1位は…イーサン、か」


チーフコーチのカルデナスが眉をひそめ、意外そうに呟いた。


「正確にはイーサンですね。いや、チームと言ってもいいかしら。あの子、なかなか面白いわ」

「連携を前提にした2枚のシールド選択。バトルロワイヤルを個人戦と捉えない発想。他の候補生にはない着眼点が、見事に功を奏しているな」


ソフィアとカルデナスは、モニターに映る七瀬の姿を見つめながら、互いに頷きあっていた。

そこへ、穏やかながらも存在感のある声が割って入った。


「少し、お聞きしてもよろしいかな?」


温和な笑顔と柔らかな物腰の初老の男が口を開いた。


「ええ、マースさん。何でもどうぞ」


ソフィアがやや緊張の面持ちで答える。


ジェラルド・マース。

プログラム主催者のエルドリッジが連れてきた人物だ。


コーチ陣には、モータスポーツのチーム代表として数々の実績を残し、近年はサイバースーツ競技に関心を寄せているという紹介されていた。


「このイーサンとカエデという候補生には、どんな印象をお持ちですかな?」


マースはゆったりとした口調で問いかけた。


「イーサンは典型的な自信家ですね。あまり深くは考えず、力押しを好むタイプ。訓練成績も中位程度です」


ソフィアは少し間を置き、少し考え込むような素振りを見せたあと、再び口を開く。


「カエデは…掴みどころがない子ですね。普段は目立たないし、態度も控えめ。でも時折驚くほど鋭い発言をします」


彼女は意見を求めるように、周囲へ視線を向けた。シェパードも同意する。


「身体能力は悪くない、訓練成績も10位以内に入ってきています。ただ上位層と自分を比べてるのか、とにかく自信がない」


「プログラム参加試験の段階から、戦術考察は群を抜いてました。自己主張が強い候補生の中で、やっていけるかを案じていましたが、思いのほか、根性もある。……最もを感じる候補生ですね」


チーフコーチとして、カルデナスが総括した。


「なるほど。どちらも実に興味深い人材ですな」


マースは口元に微笑みを浮かべ、モニターを見つめていた。

メインモニターでは、七瀬とイーサンの連携が鮮明に映し出されている。

次の瞬間、会議室内にどよめきが広がる。全員の視線が一斉に画面に集中した。


「イーサンとカエデがさらに2機を撃墜した!しかも、ノアまで倒すとは…」


シェパードの声には明らかな興奮がにじむ。

関係者たちも、その光景に目を奪われていた。


「ジークも負けじと1機撃墜してますね。これで残るは……ジーク、カエデ、イーサンの3人だけです」


ソフィアは驚きを隠しきれないまま、冷静に言葉を続ける。

会議室内の空気は熱を帯び、誰もが次の展開を固唾を飲んで見守っている。

その中で、マースが穏やかな口調で呟いた。


「どうやらカエデたちは、外に向かっているようですな」


その言葉が示す状況は明白だった。

ーーついに、七瀬とジーク。その直接対決の幕が上がろうとしていた。

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