第3話 VRシミュレーション
七瀬の視界には、漆黒の闇が広がっていた。
20人の候補生たちは、それぞれ専用のブースに立ち、全身に電極付きのスーツをまとっている。頭部には特別仕様のVRゴーグルを装着していた。
七瀬は、緊張と興奮を噛み締めながら、ゆっくりと息を吐き出す。そして、手元の起動スイッチを押し込んだ。
『アカウント名識別中---識別完了。ナナセ・カエデ』
真っ黒なキャンパスに、白い文字が浮かんでは消えていく。
七瀬の鼓動は、次第に速さを増していった。
「これからVRシミュレーション訓練を始めるわ。ゴーグルは起動したわね?メインメニューからログインを選択して」
エネルギーコーチのソフィアの声が、ゴーグルの内臓スピーカーから流れる。
七瀬は指示通りにゴーグルを操作し、視界に浮かぶ「Login」を選択した。
無機質な機械音声が耳を打つ。
『VRサイバースーツ起動』ーー
次の瞬間、視界が一変した。
目の前には、どこまでも続く広大な大地が広がっている。仮想空間とはいえ、空気の冷たさや、微かな風の感触まで伝わってくるようだった。
視線を手元に落とすと、白銀の装甲をまとったガントレットが、指の一本一本まで完璧に覆っている。手を何度も握っては開き、夢中でその感触を確かめた。
「これが……サイバースーツ」
鋼鉄の装甲が全身を包み込み、無駄のない洗練されたデザインが未来的な美しさを放つ。まるで、映画やゲームに登場する未来兵士そのものだ。
戦場に立つだけで敵を圧倒するーーそんな力強さと存在感があった。
全身から力が満ちるような錯覚に陥り、息が自然と速くなる。
ふと周囲を見渡すと、同じようにサイバースーツをまとった候補生たちが次々と仮想空間に現れ始めていた。彼らの多くは歓声をあげ、互いのスーツを見比べながら興奮を隠しきれない様子だった。
「はい、注目!」
深緑色のサイバースーツをまとったソフィアが手を叩き、候補生たちの視線を集める。彼女のスーツは七瀬たちと同型だが、カラーリングだけがコーチ用専用にカスタマイズされていた。
「ようこそ、サイバースーツの世界へ。ここはVRで再現されたトレーニング用フィールドよ。現実と寸分違わない性能を体験できるわ。相手を識別する時は、頭上のアイコンを見てね」
七瀬の視界には、様々なデータがHUDーーヘッドアップディスプレイ上に浮かび上がった。HUDは七瀬の視線の動きに追従し、必要な情報を正確に配置していく。
視界の中央には、わずかな頭の動きにも反応するターゲット・レティクル。
そこには、腕を組み、周囲に無関心な様子を見せる一人のサイバースーツの姿が映っている。
頭上には『▼ Jeek Fester』のアイコンが表示されていた。
「次に《サイバーウェポン》の説明をするわ。音声操作でフォトンブレードを呼び出して。コマンドは『サイバーウェポン選択。フォトンブレード』よ」
ソフィアの指示が続く。
《サイバーウェポン》ーーそれはサイバースーツ専用の武器の総称だ。
「サイバーウェポン選択。フォトンブレード!」
『音声操作確認ーーフォトンブレード転送開始』
機械音声が七瀬の指示を復唱した瞬間、手元の空間が揺らめいた。
極彩色の光が弧を描き、七瀬の手にフォトンブレードが出現する。その刃にはずしりとした重量感があり、柄を握る手にはしっかりとした安定感が伝わってきた。
「……フォトンブレード。思ったより重たいな」
テレビ中継で何度も見にしてきた武器。それが今、自分の手の中にある。
周囲の候補生たちも、それぞれフォトンブレードを手にし、満足げにその感触を確かめている。中にはブレードを構えてポーズを決め、仲間に笑われている者もいた。
「試しに振ってみてもいいわよ。周囲に当てないようにね」
七瀬はフォトンブレードを起動する。刀身にサイバーフォトンが流れこみ、蒼白い輝きが刃全体に広がった。ブレードを振り上げると、空間に残る光の軌跡が美しい残像を描く。
「すごい…最高だ!」
すぐ隣に他の候補生がいることも忘れ、思わず声を漏らす。
その輝き、手に伝わる重み、光の軌跡ーー全てが現実そのものの感触だった。
ふと周囲の動きが目に入り、七瀬は視界を横に移す。
そこには、ジークの姿があった。
ジークはフォトンブレードを片手で軽く振ると、何の感慨もなさそうに腕を組み直した。
( ジークは、サイバースーツが好きじゃないのか? )
サイバーウェポンを使っている興奮や高揚感、ジークからは、その片鱗すら感じられなかった。その無関心とも取れる態度が、妙に七瀬の印象に残った。
「以前の講義で教えた通り、サイバースーツは攻撃、防御、移動。すべての行動にフォトンを消費するわ。もちろんVRでもね」
ソフィアの声が再び耳に入る。
視界の右端にはフォトン残量がバーで示されていた。ブレードを思うままに振り回していたせいか、バーの横線がわずかに短くなっていた。
「フォトンの扱い方がサイバースーツの肝よ。この訓練でしっかり叩き込むから、覚悟してね」
ソフィアの言葉を合図に、VRシミュレーション訓練が始まった。
仮想空間とはいえ、サイバースーツを纏っての訓練は時間の感覚を曖昧にし、圧倒的な没入感をもたらした。七瀬の体は、少しずつサイバースーツの感覚に馴染んでいく。
気がつけば、VRシミュレーション訓練が始まってから2週間が経過していた。
*****
会議室内の大きな長机に、そうそうたる顔ぶれが並んでいる。
カルデナスをはじめとする、サイバーネクストプログラムのコーチ陣。
最奥には、プログラムの総責任者である、ユリウス・エルドリッジ。
更に数名の関係者が彼を取り囲み、場の空気には緊張感が漂っていた。
カルデナスは淡々とプログラムの進捗状況を報告する。
「以上がこの訓練開始90日時点の進捗状況です。基礎訓練の段階ですが、既に数名、突出した候補生が見えてきました」
エルドリッジは、わずかに口元を緩める。
「いい報告だ。目ぼしい候補生の名前は?」
「まずは、ジーク・フェスターです」
その名前が上がると、コーチ陣は一様に頷いた。
「ああ、『プロになるのは俺だ』と開会式で言い放った金髪の候補生だな。あれは、印象深かった」
「ジークの身体能力は群を抜いています。特筆すべきは1位への執着心、妥協のない姿勢です。協調性にはやや難がありますが、現時点では目を瞑れる範囲でしょう」
エルドリッジは小さく頷くと、懐かしむように小さく笑った。
「1位への渇望か…。ジークは、現チャンピオンとよく似ている。まるで、彼の若い頃を見ているようだ」
その発言に、室内の空気がわずかに揺れる。
圧倒的な成績を誇る現在のチャンピオン。その姿とジークが重なり、同じ高みに到達する可能性があると、全員が感じたからだ。
エルドリッジは指先で机を軽く叩き、話の続きを促した。
「他に優秀な候補生は?」
「はい。ノア・グリーンフィールド。アレクシス・ドラゴフ。そして…」
カルデナスの言葉が一瞬、途切れる。
その微かな間に、周囲の視線が集まった。
「カエデ・ナナセです」
「カエデ?あの覇気のないやつですか?正直、目を引く印象はありませんが」
その名前が告げられると、フィジカルコーチのシェパードが眉をひそめる。
「身体能力は際立っているわけではない。しかし、発想の独自性と勝負に対する向き合い方。その点においては、才能の片鱗が見える」
「へえ。カルデナスさんが、そこまで言うんですか。まあ座学が良くても、実践で活かせない例は珍しくありませんが」
「その点は同意だ。次の訓練で結果を出せるかどうかで、評価は大きく変わる」
カルデナスは冷静に言い切った。
エルドリッジはゆっくりと椅子に寄りかかり、穏やかな笑みを浮かべる。
「多彩な才能が集まったのは素晴らしい。このプログラムを開催した甲斐があったというものだ。彼らがどう競り合い、どんな結果を見せてくれるのか、非常に楽しみだ」
彼の発言に一同が頷いた。カルデナスが手元の資料を閉じ、最後に締めくくる。
「明日は、VR訓練の集大成となるバトルロワイヤルがあります。候補生たちの真価は、そこで明らかになるでしょう」
こうして、20名の候補生による壮絶なバトルロワイヤルが幕を開けようとしていた。
しかし、その結末をこの時点で予測できた者は、誰一人いなかった。
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