第2話 訓練開始
「はあっ…はあっ…」
七瀬は荒い息を吐きながら、トラックを走り続けていた。
ここは屋外トレーニング場。オリンピック競技場を彷彿とさせる広大なトラックの上で、七瀬はひたむきに前へと足を運ぶ。
(はあっ…自分の体じゃないみたいだ )
背中には20キロのバックパック、両手足には2.5キロのリストバンド。
その重さが容赦なく七瀬の体力を奪い、動きを鈍らせていく。
開会式の翌日から始まった基礎訓練。その内容は、想像以上に過酷だった。
(高強度の筋トレ、何十本ものスプリント走、ロープ渡りに壁登り。30キロを背負っての長距離マラソン。まるで軍隊の訓練だよ…)
一万人から選ばれた20人の候補生たち。
しかし、その彼らでさえ、連日の過酷な訓練に音を上げる者が後を絶たなかった。
(辞めたい…帰りたい…)
何度、そう思ったことか。
だが、まだサイバースーツを装着すらしていない。
たとえ奇跡の合格だとしても…この段階で投げ出すわけにはいかなかった。
七瀬は歯を食いしばり、震える脚を前へと進めた。
「今お前たちが感じてる重さは、サイバースーツの重さそのものだ。プロ契約が欲しけりゃ全力を出し切れ!残り3周だ!」
フィジカルコーチ、シェパードの野太い声が場内に響き渡る。
サイバーネクストプログラムでは、複数人の専門のコーチが候補生たちを指導する。シェパードは、肉体強化を一手に担う鬼教官だ。
(実際のサイバースーツにはパワーアシストが機能があるし、ここまで重さを感じないはずだけど…)
冷静にそんなことを考えながらも、「サイバースーツの重さ」というフレーズは、七瀬の心を少しだけ奮い立たせた。
あの憧れの装甲に、自分が身を包む。
ーーその姿を想像するだけで、少しだけ足に力が戻る気がした。
七瀬は息を整えながら、一歩、また一歩と足を踏み出す。
その時だった。突如、鋭い風が肌をかすめるような感覚が七瀬を襲う。
「え…」
思わず視線を向けると、ジークが横を駆け抜けていく。
七瀬の目が大きく見開かれた。
(あいつ、確か先頭にいたはずだよな?)
数秒遅れて、衝撃的な事実が頭をよぎる。
(…1周差をつけられた!?)
ジークの背中は瞬く間に遠ざかり、七瀬の視界から消えていった。
数十分後ーー
七瀬は、汗だくになりながらようやく20周を走り切った。
最後の一歩を踏み出した瞬間、膝が崩れ落ち、地面に大の字に倒れ込む。
「はあっ…はっ…。これは、流石にキツすぎるって…」
大半の候補生も、七瀬と同じように地面に倒れ込み、荒い息を吐いている。
(みんなと同じメニューを何とかこなせてる。…まだ大丈夫だ)
そう自分に言い聞かせた矢先、その安心感はあっさりと打ち砕かれた。
顔を上げると、視界の端にジークの姿が映る。
険しい表情にわずかな疲労の色がにじんでいるが、足取りは驚くほどしっかりとしていた。悠然とした歩調で、トラックを後にしようとしている。
「……何をやったら、そんな風になるんだよ」
七瀬は、呆れとも羨望ともつかない声で、ぽつりと呟く。
ジークは、他の基礎訓練でも全て1番を取り続けていた。
開会式で放たれた「プロになる」という言葉は、ただの虚勢ではない。
七瀬はそう痛感させられた。
*****
広々とした階段式の講義室。
その奥にそびえる巨大モニターには、未来的な輝きを放つサイバースーツの構造図が映し出されている。壇上に立つのは、知性を宿した瞳と眼鏡が印象的な妙齢の女性。
「みんな知っての通り、サイバースーツの基礎技術は、新エネルギー源〈サイバーフォトン〉と流体金属〈サイバネタイト〉に支えられてるわ」
凛とした声の主は、エネルギーコーチのソフィア・エンゲルス。
その立ち姿には、品の良い色気が漂っている。
サイバースーツにおいて、エネルギーは最も重要な要素だ。
ソフィアは、そのエネルギー管理と開発を専門とする現役エンジニアであり、
このプログラムでは、エネルギー理論の講師を務めている。
「〈サイバーフォトン〉、通称フォトンの性質を理解することが…ねぇ、ちゃんと聞いてる?」
ソフィアは、気の抜けた様子の候補生を一瞥する。
トレーニングセンター内は男性が大半を占めており、ソフィアの美貌は候補生たちには強い刺激だった。七瀬も慌ててペンを握り直し、真剣な表情を取り繕う。
「見惚れるのは構わないけど、あたしは頭のいい子が好きよ。誰か、今話したフォトンの特性と用途を説明してくれない?」
ソフィアはゆっくりと視線を巡らせる。
しかし、候補生たちは互いに視線を交わすばかりで、誰も手を上げようとしない。
七瀬も内心で焦りを感じていた。ソフィアにいいところを見せたい気持ちはある。だが、この空気の中で、技術的知識を体系立てて説明する自信はなかった。
「誰も答えてくれないの?じゃあ、指名しちゃおうかな。ジーク、答えてくれる?」
指名されたジークは、無表情のまま顔を上げる。
周囲のざわめきやソフィアの美貌にも一切動じることなく、静かに口を開いた。
「フォトンは、サイバースーツの核となる〈サイバーコア〉から生成される高密度のエネルギー粒子だ」
ジークは迷いなく、淡々と言葉を紡ぐ。
「フォトンの特徴は、密度、振動数、配置の制御による力場の発生。その力場を、攻撃、防御、移動に応用しているのがサイバースーツだ」
お手本のような回答に、七瀬は思わず息を呑んだ。
「いい答えね。じゃあ、具体的な応用例も教えてくれる?」
ソフィアは満足そうに頷き、さらに問いを重ねる。
ジークは少し面倒くさそうに眉をひそめた。
「フォトンを刀身に纏わせる近接武器<フォトンブレード>、フォトンフィールドで身を守る<サイバーシールド>、フォトンを推進力に変えるスラスター。…これで十分だろ」
「素晴らしいわ。的確で無駄がない説明ね」
ソフィアはジークに微笑みかけるが、彼はわずかな反応も見せず、視線を正面に戻す。他の候補生たちは、ジークの完璧な回答に驚きの表情を浮かべていた。
「そう、サイバースーツはほぼ全ての行動にフォトンを消費する。相手選手のフォトンを切らすことは、試合の勝利条件の一つよ」
自らのフォトン消費を抑えつつ、いかに相手のフォトンを削り切るかーー
その駆け引きこそが、サイバースーツの醍醐味だ。
フォトン運用における各チームの戦略。
そこには、七瀬がサイバースーツに最も魅力を感じる理由が詰まっていた。
「フォトンの性質を理解することは、パイロットにとって欠かせないわ。ジークのように知識をしっかり身につけてね」
七瀬の胸の奥に、じわりと焦燥感が広がる。
ジークの理路整然とした説明。
その裏には、技術への深い理解と、それを的確にまとめる頭の良さがあった。
卓越した身体能力に加えて、頭脳も明晰ときている。
(…まるで兄貴みたいだ)
必死に兄に食らいつこうとしていた日々が、七瀬の脳裏をよぎる。
「自分は自分だ」と何度も言い聞かせてきた、苦い記憶。
七瀬は無意識に唇を噛み締めていた。
*****
講義室を静寂が支配している。
スクリーンに投影されたサイバーセルの構造図が冷たい白光を放ち、室内全体にはどこか張り詰めた空気が漂っていた。
「サイバースーツは発足からわずか5年の競技だ。技術は進化し続け、戦術も日々更新されている」
スキンヘッドに銀縁の眼鏡をかけた大柄の男ーーカルデナスが重厚な声で語る。
サイバーネクストプログラムのコーチ陣を束ねるチーフ・コーチ。
その威圧感は、他のコーチとは一線を画していた。
「だが、どれだけ技術が変化しようと、大切なのは本質を見極めることだ」
カルデナスの鋭い視線が候補生たちを射抜く。
その圧に耐えるように、誰もが反射的に背筋を伸ばした。
( 正直めちゃくちゃ怖い。でも、講義は面白いんだよな)
七瀬はカルデナスの講義を興味深く聞いていた。
彼の話は要点が明確で、難解な戦術論もすんなりと頭に入ってくる。
だが、候補生への突然の指名ーー。
その答えが浅はかであれば、叱責は凍りつくほどの迫力を帯びる。
「さて、確認を兼ねて君たちに問おう。サイバースーツの戦闘において、勝利のために最も重要なことは何だと思う?」
候補生たちが一瞬ビクッと肩を震わせ、緊張が走った。
指名された候補生たちは、それぞれ慎重に口を開く。
「チームとの戦略共有と緻密な連携です」
「フォトン消費効率の良いサイバースーツ運用」
「自分の性格や特性にあったサイバーウェポンの選択でしょうか」
答えが出そろうと、カルデナスはゆっくり眉をひそめた。
「…こんなものか」
その一言は鋭い刃のように候補生たちの胸を刺し、講義室には重苦しい沈黙が広がった。
「ジーク、君の考えはどうだ?」
突然の指名。瀬の後ろの席に座るジークは、簡潔に答えた。
「パイロット」
シンプルな答えだが、カルデナスは小さく頷いた。
「お前らしい答えだな。強いパイロットがいなければ、いかなる戦術も成立しない。だが、それだけでは物足りない」
ジークは眉間にわずかな皺を寄せ、姿勢を正す。
「最後にもう一人聞こう。カエデ、君はどう思う?」
七瀬は息を詰まらせ、体がこわばるのを感じた。心臓がひときわ大きく跳ねる。
( 何でいつもジークの後なんだ… )
戸惑いながらも、七瀬は必死に頭を働かせる。唇を引き結び、恐る恐る口を開いた。
「あの…前提条件を教えていただけませんか?それによって、答えは変わると思います」
教室内にわずかなざわめきが広がる。
誰かが小さく「考えすぎだろ」と嘲る声を漏らした。しかし、カルデナスはその言葉を意に介さず、目を細めて興味深げに七瀬をみつめた。
「いいだろう。では…使用するサイバースーツも武器も全て同じ。チームやパイロットの能力も互角という前提にしよう。その場合は、何が勝敗を分ける?」
( ああ、しまった。予想以上に難しくされた… )
七瀬は深呼吸し、必死で考えを巡らせる。
カルデナスは、「本質を見極めることが大事だ」と言った。
勝負の本質とは何だ?考えろ…
脳裏に浮かんだのは、アマチュア五段まで上り詰めた『将棋』の記憶。
そこに到達するまでに費やした、一万時間を超える思考の積み重ね。
ーー自分は、どうやって勝ってきた?
七瀬は息を整え、静かに口を開いた。
「…違いを見つけること、だと思います。」
室内が静まり返る。カルデナスは小さく頷き、七瀬に続きを促すように言った。
「違い?具体的にはどういうことだ?」
七瀬は慎重に言葉を選びながら答える。
「能力が完全が互角だとしても、人間なので…性格や好み、プレイスタイルには必ず違いはあります。攻撃的な相手なら、勢いをそぐ。守備的な相手は、焦らせるために攻撃のタイミングを変えるとか…」
一呼吸置いて、さらに続ける。
「選手の背景も重要です。サイバースーツは、結果が出ないパイロットに非常に厳しい。追い詰められた選手は、勝つために大胆な行動に出るかもしれない。そういった要素を逆手に取ることも、勝利のための手段だと思います」
七瀬の視線は自然とカルデナスを捉え、真っ直ぐに向けられた。
「自分と相手の違いを理解し、必要な情報を取り揃え、作戦を練る。それが勝つためには必要です」
候補生たちは息を呑み、呆然としていた。
カルデナスも数秒間、七瀬をじっと見ると、ゆっくりと深く頷いた。
「いい答えだ。サイバースーツで最も重要なのは、勝つために何が必要かを考え続けることだ。カエデ、それを君は示した」
七瀬は小さく息を吐き、恥ずかしそうに頭を下げる。
何とかこの瞬間を乗り切れたことに、胸をなで下ろした。
その様子を、ジークが静かに見つめている。
その瞳には、わずかな興味と、明らかな警戒の色が宿っていた。
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