サイバースーツ 〜自分の才能を信じられない俺が、無自覚に知略を駆使してプロ契約を掴み取る 〜

黒田緋乃

第1話 サイバーネクストプログラム

 七瀬楓は、真紅の躯体と対峙していた。

 その全身は機械装甲で覆われ、表面には無数のスポンサーロゴが紋章のように刻まれている。相対する七瀬自身もまた、漆黒の外殻を纏っていた。


「ジーク、俺はお前に勝つ」


 突き放されては、追いつく。それが、七瀬とジークの関係だった。


 これから始まるのは、頂点を賭けた決戦。

 そして、二人が交わした約束に終止符を打つ舞台。


「勝つのは常に俺だ。ナナ」


 真紅の装甲を纏う男、ジーク・フェスターが応じる。静かな言葉の端には、どこか喜びの色が含まれていた。


 夜空に浮かぶ月が、近代都市を模した戦場を照らす。高層ビルの群れがそびえ立ち、無数のネオンが煌めく。何万人という観客が、摩天楼の頂で向かい合う二人を見守っていた。


 周囲を飛び交う無数のドローン。備え付けられた電光板が、『START』の文字を煌々と映し出す。


 二人は剣を構えーー


 次の瞬間、蒼白い稲妻を放つ七瀬のフォトンブレードと、ジークの刃が閃光のように交錯する。


 七瀬の一撃がジークの肩をかすめたかと思えば、ジークは一瞬の隙を突いて七瀬の防御を崩しにかかる。


 目にも留まらぬ速さで繰り出される斬撃の応酬。

 刃から散る虹色の火花が夜空を彩り、観客からは大きな歓声が上がった。


 二人は距離を取り、互いに相手を見据える。


 一瞬足りとも気を抜くことは許されない。

 全身全霊を賭けてぶつかるーー恐怖と高揚感。


 ジークとの戦いは、いつもそうだった。

 幾度となく激突してきた記憶が、七瀬の脳裏を駆け巡る。


《サイバースーツ》を巡る二人の歴史。

 その始まりは、プロになる前の、あの場所。

 初めて出会った、あの時ーー


 *****


( 俺は、ここにいて良いのだろうか… )


 七瀬楓は落ち着きなく周囲を見回し、何度も深呼吸を繰り返した。

 クシャっとした柔らかい黒髪に、中性的な顔だち。不安の色が濃く浮かぶ表情は、頼りなさがにじみ出ている。 


 ここは、トレーニングセンターの講義室。

 階段式の座席には、世界各国から選ばれた青年たちが静かに座っていた。彼らが着る白いジャージには、無数のスポンサーロゴが刻まれている。


 七瀬は小さく息を吐き、指先をぎゅっと握りしめる。


( みんな、雰囲気あるなあ… )


 引き締まった肉体、落ち着いた動作、揺るぎない自信に満ちた目。

 周囲にいる全員が、「結果を残してきた者」だけが放つ、独特の風格をまとっていた。    


 そんな中、七瀬の視線は、隣の席の男に引き寄せられた。


 無造作に伸ばされた金髪。

 貴公子のように整った顔立ち。

 だが、その瞳は氷のように冷たく、一切の隙がない。


 まるで何か"重い義務"を背負っているかのような、張り詰めた空気が漂っていた。

 その瞳が、七瀬を射抜く。


「何見てんだよ」


 低く鋭い声が、七瀬の鼓膜を震わせる。


「あ、いえ!な、何でもないです!」


 裏返った声で答え、慌てて視線をそらす。

 悪いことをしたわけでもないのに、つい謝ってしまった自分が少し悔しい。


 気まずさと自己嫌悪に襲われていると、突如、会場にざわめきが広がった。

 七瀬と金髪の男は、同時に壇上へ視線を向ける。

 そこには、髪を短く刈り込んだ壮年の男が立っていた。


「待たせて申し訳ない。諸君、ようこそ。<サイバーネクストプログラム>へ。

 私は今回プロジェクトの責任者を務めるエルドリッジだ」


 低く通る声。その堂々たる立ち振る舞いに、七瀬は息を呑む。


( …エルドリッジ!本物だ )


 その顔を七瀬はテレビで何度も見たことがある。


 ユリウス・エルドリッジ。

《サイバースーツ》創設者の1人にして、NO.1チームの代表。

 業界の重鎮として名を馳せた男だった。


《サイバースーツ》ーー


 機械装甲を纏い、すべてを賭けて激突する究極の競技。

 エネルギー武器を用いた迫力の戦闘。2vs2のチーム戦による戦略と駆け引き。

 莫大なスポンサー資金が支える豪華絢爛な演出。


 5年前、突如として現れたこの競技は瞬く間に全世界を席巻し、最高峰のエンターテインメントとして確固たる地位を築いた。


 その頂点に立つ者は、「栄光」「名誉」「金」ーー全てが与えられる。    


 憧れていた《サイバースーツ》の世界。

  その中心に立つ男が今、自分たちを見ている。その事実に、七瀬は思わず身震いした。


「今回の<サイバーネクストプログラム>の応募者は5万人。君たちは、厳しい参加試験を勝ち抜いたわずか20人の精鋭だ」


 エルドリッジの言葉が、講義室全体に響き渡る。


「これからの6ヶ月間、君たちは互いに競い合い、サイバースーツの未来を担う者として、その資質を示してもらう」


 室内は静まり帰り、その言葉の重みが全員の胸にのしかかった。


「君たち候補生に求めるものはただ一つ。圧倒的な結果だ。最も高い評価を勝ち取った者には、プロチーム《サイバーフォージ》との契約権を約束しよう」


 室内の温度が一気に熱を帯びたように感じられた。

 決意に瞳を燃やす者、静かに天井を睨む者、拳を握りしめる者

 ーー候補生たちの熱気が場を満たしていく


 しかし、七瀬だけはその熱に溶け込むことができなかった。


「20人の精鋭」「資質」「契約権」

 どれも魅力的な言葉のはずなのに、それらはまるで遠い別世界の話のように聞こえた。


( 兄貴なら、この場でも堂々としてるんだろうな …)


 天才ーー

 その言葉は、七瀬の兄を象徴するものだった。

 スポーツ万能、模試全国1位、おまけに容姿端麗。

 現在は大学でサイバースーツ技術を学び、将来を嘱望されている。


 このプログラムを七瀬に勧めたのは、他ならぬ兄だった。


「サイバースーツ、好きだったろ?お前なら、きっとやれる」


 兄の突然の提案に、七瀬は何度も首を振った。

 自分には無理だと、そう思っていた。

 しかし、兄の真剣な眼差しとその言葉に抗えず、仕方なく参加試験を受ける。   

 

 結果はーー奇跡の合格。  


 ずっと『観る側』だったサイバースーツ。

 その世界に関わるチャンスが目の前に開かれた。


 こんな自分でもやれるかもしれない。

 ーーそう覚悟を決めたはずだった。


 だが、開会式で突きつけられたのは「候補生」として彼らと競い続けるという現実。その重圧がじわりと七瀬の心に影を落としていた。


「君たちの健闘を祈る」


 エルドリッジは簡潔に締めくくり、壇上を降りた。入れ替わるように、進行役のスタッフがマイクを手に取る。


「皆さんはこれから6ヶ月、ライバルでもあり、苦楽を共にする仲間です。一人ずつ自己紹介をお願いします」


 マイクが次々と候補生に回されていく。


「カートレースで優勝経験があります」

「ボクシング歴10年。誰にも負けません」

「フェンシング国際大会で入賞しました」


 華々しい経歴のオンパレード。

 七瀬は小さく息を吐き、手のひらにじんわりと汗が滲むの感じた。


 隣の金髪の男にマイクが渡る。形のよい口元が、ゆっくりと動いた。


「ジーク・フェスターです」


 それだけだった。


 熱量の高い自己紹介が続いていただけに、拍子抜けしたような空気が漂う。進行役のスタッフが慌ててフォローする。


「あ、もう少し何か話してもらえますか?意気込みとか…」


 ジークはわずかに目を細め、淡々と言葉を継いだ。


「プロになるのは俺だ」


 その声は静かだったが、室内の空気を切り裂くように響いた。

 会場のざわめきが、ピタリと止まる。


 候補生たちはジークに視線を集中させる。ーー驚き、警戒、嫉妬、それぞれの感情が交錯する。

 ジークは、そんな視線を意にも介さず、無言のまま七瀬にマイクを差し出した。


 七瀬は苦笑いを浮かべながら、ぎこちなくマイクを受け取る。


(こいつ…ハードル上げすぎだろ)


 鮮烈すぎる自己紹介。

 同じようなインパクトを与える自信は、七瀬にはあるはずもなかった。


 七瀬がゆっくりと立ち上がると、数十の視線が一斉に向けられる。

 興味、期待、そして冷ややかさが入り混じった目つき。緊張で乾ききった口を何とか開く。


「カエデ・ナナセです。日本人ですが、7歳からイギリスで育ったので、英語は問題ありません。友人からは『ナナ』と呼ばれるので、そう呼んでもらえると嬉しいです」


 震える声を隠そうと意識するあまり、少し早口になってしまった。


「特技は『将棋』というジャパニーズ・チェスです。一応、アマチュア5段です。がんばりますので、よろしくお願いしますっ」


 噛んだ。

 七瀬は顔を赤らめ、勢いよく頭を下げる。


 場内にくすくすと笑い声が漏れる。それが「噛んだこと」への笑いなのか、「将棋」という特技へのものなのかは分からなかった。

 隣のジークは、七瀬に目を向けることもなく、ただ虚空を見据えている。


 その後も自己紹介は続いた。


「絶対に1位になります」

「目指すはプロ」

「プロになれるよう頑張ります」


 どの言葉にも力強さはあったが、ジークほどの衝撃を残す者はいなかった。


 最後の自己紹介が終わり開会式の閉幕が告げられると、場内には拍手が広がる。

 しかし、その拍手はどこか乾いた音に聞こえた。


 *****


 食堂は広く、長いテーブルには色とりどりの料理が並べられていた。煌々と輝くシャンデリア、賑やかな話し声、食器が触れ合う音が空間に満ちている。


「こういうのは…あんまり得意じゃないな」


 七瀬は食堂の隅に立ち、後頭部をかきながら落ち着かない様子で周囲を見回した。   

 候補生たちは自然とグループを作り、笑顔で会話を交わしている。自信に満ちた者同士が、自然と引き寄せられているかのようだった。


「とりあえず、食べよう」


 七瀬は適当に料理を皿に盛り、できるだけ目立たないように近くのテーブルに向かう。


「よお、チェスマスター」


 軽い調子の声が、七瀬の耳を捉えた。

 振り向くと、大柄で引き締まった体つきの男が、ニヤリと笑いながら立っている。

 七瀬は軽く苦笑しながら答えた。


「”ジャパニーズ”チェスマスター、かな。良かったら1局どう?」

「いやいや、遠慮しとくよ。思ったより面白いやつだな。俺はイーサン・クロウリー」

「カエデ・ナナセ。ナナって呼んでくれ。」

「OK、ナナ。ちなみに、俺の顔に何かついているか?」


 七瀬がじっと見ていたのを不審に思ったのだろう。

 悪いクセが出てしまった。


「ごめん、ごめん。気にしないで。イーサンってさ、もしかしてボクシングとかやってる?」

「おお、正解。自己紹介、ちゃんと聞いてたのかよ」

「あ、いや。…その、体つきが、そんな感じかなって」

「体つき?」


 イーサンは訝しげに眉をひそめる。


「う、うん。三角筋が発達してて、肩のジャージの生地が引っ張られている」


 七瀬は、イーサンの肩を指さしながら言った。


「それに、拳の表面の皮が厚いし…つま先で弾むような歩き方とか。ボクサーって、ステップ踏むイメージがあるからさ」


 七瀬が何気なく口にした言葉に、イーサンの表情が一瞬固まる。次の瞬間、大げさに笑い出した。


「気持ち悪いくらい見てんな、お前。やっぱ変わってるよ」


 その笑顔から、先ほどまでのからかいの色が薄れ、わずかな警戒心がにじんでいた。


「まあ、もっとヤバい奴もいるけどな」


 そうい言いながらイーサンは顎をしゃくり、遠くを差す。その先には、テーブルに山のように空の皿が積み上げ、黙々と食べ続けるジークの姿があった。


「やあ、ものすごい食べっぷりだね」


 他の候補生がジークに近づき、軽い調子で声をかける。しかし、ジークは無反応だった。


「おい、聞こえてるのか?」


 候補生が語気を強めた瞬間、ジークが鋭い瞳が彼を貫いた。


「俺に話しかけるな。お前らと馴れ合う気はない」


 その冷徹な一言に、候補生は顔を真っ赤にし、すごすごと引き下がる。周囲にはひそひそと声が広がった。


「…すごい態度だな」

「よっぽどの自信家か、それともただのバカか。それにどんだけ食うんだよ、あいつ」


 イーサンはそう言い残すと、別のテーブルへ向かった。

 残された七瀬は、ジークから目を離せなかった。


(…あいつはどうしてプロになりたいんだろう?)


 自分とは正反対の、迷いのない姿。

 そこまで自分を突き動かす理由が、ジークにはあるのだろうか。


 誰もジークには近づこうとしない。

 それでも、彼には目を逸らせないほどの圧迫的な存在感があった。


 ーーそのジークと、6ヶ月間競い合う。

 その現実を想像した瞬間、七瀬の背筋に冷たいものが駆け巡った。

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